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  • 看護研究の道しるべ―私がブレークスルーした“あのとき”(山口桂子,萱間真美,川口孝泰,吉田みつ子,北村愛子)

医学界新聞

寄稿

2008.08.25



【特集】

看護研究の道しるべ――先達からのメッセージ
私がブレークスルーした“あのとき”


 看護の研究テーマは,常に患者さんと研究者とのかかわりの中から生まれる。その研究の道筋においては幾度も底知れない困難に遭遇するだろう。困難の壁を前に,進むべき道を見失っている読者もおられるかもしれない。

 本紙では,看護研究をリードする5名のエキスパートに,研究の過程においてご自身が抱えた困難,そしてブレークスルーが起きた“あのとき”についてご寄稿をいただいた。また,わが国における看護研究を,黎明期から支えてこられた南裕子氏にインタビューし,ご自身の研究生活と看護研究の将来像について伺った。

 各氏の言葉からは,“患者さんとのかかわりや,仲間とともに学ぶことが研究を前に進め,自らの心をも支える”という共通のメッセージが浮かび上がってきた。


何を測れば明らかになるのかを熟考・吟味することの重要性

山口 桂子(愛知県立看護大学教授 小児看護学/家族看護学 日本看護研究学会理事長)


 「不安を知る」ために何を調べるのかが「鍵」だった。

 私が初めて看護研究を意識したのは,やはり卒業研究である。私は高校の衛生看護科教員に関心があり,千葉大学教育学部に入学したが,ここで学ぶうちに,まずは臨床の看護師になり,もっと看護を知りたいと思うようになった。そのため,卒業研究もなるべく看護の臨床現場にかかわるテーマを選びたいと考え,当時,看護記録という視点から看護実践そのものを研究されていた宮崎和子先生のご指導のもと,臨床現場で研究を体験する貴重な機会をいただいた。

 研究テーマは,当初から明確になっていたわけではないが,入院患者さんの「不安への援助」という漠然とした思いから,不安の多い方の看護記録にはその記述が残されているべきだという前提のもと,その援助を探るための記述を抽出する研究計画を立てた。

 しかし,そこには2つの大きな問題があった。1つめは患者さんの不安の同定方法を知らなかったことであり,もう1つの問題は,当時の看護記録には精神的な情報がほとんど書かれなかったことから,患者さんに不安があろうがなかろうが,その記録には差がないことが十分に予測できたことである。つまり,これだけの調査であれば「精神的な状態を適切に記述しよう」が結論となることは明白であり,わざわざ研究する意味はないのであるが,当然ながらここでやめるわけにはいかなかった。

 この2つの問題を解決するヒントは,教育学部在籍の心理学系の先生方からの貴重なアドバイスから得られた。先生方は,まったく面識のない他課程の学生の突然のあつかましい質問に対し,当時のスタンダードな不安尺度であった「MAS」,神経症傾向を測る「CMI」を紹介し,そしてさらに,不安のある人の不定愁訴のリストを蔵書の中の1ページから示してくれた。これらのことは,現在では一般市民にも周知の知識ではあるが,インターネットなどの情報入手手段のない30年以上も前の学生にとっては,「不安」を不安以外の言葉で看護記録から拾うことが可能になるかもしれない画期的な知識との出会いであった。

 そのヒントと宮崎先生のご指導の下,対象群にこの2つの心理テストを実施し,その組み合わせから不安程度の群分けを行い,それぞれの看護記録内の精神状態の記述,身体症状の記述の比較を行った。その結果,精神状態については予想どおり記述そのものがどの群にもみられなかったが,不定愁訴には大きな違いが見いだされた。不安の強い患者さんの記録には「不安がある」という記述はないが,「不安」を表す多くの症状が患者さんの訴えとしてまた看護師の観察として記されていた。私自身,研究のために,1人ひとりの患者さんの記録を読ませていただくなかで,「不安」はいつでも「不安」という言葉で語られたり記述されたりするわけではないということをあらためて実感させられた日々であった。

 以上のような,とりとめのない思い出は,今では当たり前の研究のプロセスであるが,その後の私自身を育ててくれた日本看護研究学会がその特徴として掲げてきた看護の「学際性」には大いに通じるところがあり,他領域の専門家との連携の重要性を感じていただければ幸いである。(連携といいながら,時にはかなり強引に他領域の先生方から知識をいただく姿勢は今もあつかましい限りであるが。)そしてもう1つの学びは,研究計画において自分が掲げた従属変数は「“何を測れば明らかになるのか”を,熟考・吟味することの重要性」である。学生の指導にあっても,従属変数が適切に定義づけられた時点で,研究の半分以上が終わるのではないかと感じる昨今でもある。

最近の研究テーマ:看護学教育方法に関する研究,新人看護師の職場適応に関する研究など


現象に対する深い関心によって,力のあるデータを得ることができる

萱間 真美(聖路加看護大学教授 精神看護学)


 母親による幼児への虐待行動について,勤務した公的研究所が取り組む実態調査に参加。自由記載を分析して浮かび上がった概念「気が合わない子ども」が,当事者の体験を的確に説明できるか検討する,説明可能性についてのグループインタビューを行うことになりました。この時期,研究者自身が幼児を子育て中の睡眠不足の母親でした。深刻な虐待をしている対象者の話を冷静に聞ける自信がありませんでした。どんなことが語られるか,それを聞いたとき,私自身が自分の子育てについてのつらい感情を掘り起こされて,コントロールできなくなるのではと,とても怖かった。当日,インタビューの場所は知っているのになかなか行く気になれず,食事も喉を通らず,涙が出てきました。

 がちがちに緊張して始まったグループの冒頭に,「この人に語ることで,あなたたちは弱者ではなく,社会に貢献する存在になれる。がんばって話して」と,グループ主催者が呼びかけました。その言葉に,私は母親たちも自分をも弱者としてとらえていたことに気がつきました。緊張していても,インタビュー経験は大学院時代に豊富で,インタビューガイドを時間をかけて練っておいたことで救われました。母親たちに「虐待してしまうお子さんと気が合わないと思うことがありますか?」と聞くと,一瞬の沈黙の後,せきを切ったように,「気の合う子を虐待する人なんかいない」と,自分の虐待について,生々しい感情や経験を語り始めました。この概念が,彼女らの経験を言葉にすることを助けていると実感し,怖さは吹っ飛んでいました。この現象に対して何かしなくてはいけない,私にも何かできるのではないかという思いが沸いてきました。

 これは,概念が現象を言葉にすることを助けた例ですが,説得力のあるデータや概念は,どんな人をも一瞬沈黙させ,厳粛な気持ちにさせます。私の場合,鳥肌が立ちます。量的研究でも質的研究でもそれは同じで,その一瞬のために仕事を続けているとさえ思います。政略的な人であっても,弱っている人であっても,真実の前に立ったときの反応は変わらない。そのような力のあるデータを得るには,現象に対する深い関心が源泉になります。もちろん研究の基礎的な知識やテクニックが前提なので,勉強や訓練は大切です。その上で,今つらいこと,行き詰まっていることが強ければ強いほど,その現象や感情を,研究活動を通じて形のある,名前のあるものにすることができることの意味も大きくなると思います。

 研究活動そ...

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