医学界新聞

連載

2007.04.09

 

生身の患者仮面の医療者
- 現代医療の統合不全症状について -

[ 第1回 精神科の洗礼 ]

名越康文(精神科医)


 皆さんこんにちは。名越康文と申します。テレビや雑誌でご覧になったことのある方はご存じだと思いますが,僕は精神科医で,数年前からメディアの仕事もさせていただいています。

 僕は医者としては本当に落ちこぼれで,それこそ「恥の多い人生を送ってきました」という感じなんですが,それでも,この新聞の読者である若い医師や,医学生の皆さんに語りたいこと,伝えたいことがたくさんあります。

 それは,一言で言うなら「いかにして臨床家というものが立ち上がるのか」という問いです。妙な例かもしれませんが,例えばあなたがデートに出かけたとする。しかし彼女とおち合った直後,よそ見をしていて水たまりで転んでしまった。2人とも泥だらけになってしまって,予定していた食事も映画も,すべてご破算になってしまった。

 そういう状況を,単に「あるべきはずだった未来(デート)がダメになってしまった」と捉えるのか,そこから始まる「何か」を感知するか。そこに臨床家としての大事な分岐点がある,と僕は考えているのです。予測や予定がすべてご破算になった時こそ,人間は成長できるし,また真価を問われると思うのです。

 「こいつ,いったい何の話をしてんねん?」と思われる人もいるかもしれない。一方,何となく自分の体験からピンと来る方もいるかもしれない。いずれにしても,僕ができるのは自分の体験と,そこで何を感じたのかを,紙面を借りてお話することだけです。ご自分の臨床経験を積む過程のどこかで,僕の感じたこととシンクロするところがあればうれしいなと思います。

「センセ,センセ」

 少し前から卒後研修が必修化されましたが,当然僕の頃は卒業後,医局に入るのが普通でした。僕は近畿大学だったんですが,縁あって大阪大学の精神科医局に入り,そこから精神科専門病院である中宮病院に研修に出されることになったんです。

 ただ,実際には,入局後半年間,大阪府内の他院で一般科の研修を受けました。スーパーローテート制度ではありませんが,最低限の救急対応を学ぶための研修が自主的に行われていたんです(その研修でも大きな体験があったのですが,それについては追々,連載の中でお話しすることにします)。

 さて事件が起きたのは,一般科研修が終わっていざ,中宮の精神科病棟に入局する,その初日のことでした。まず,指導医のT先生の後ろをついて女性の閉鎖病棟を回った。そこはほんとにすごい状況で,会議室のガラス窓に何人かの患者さんが貼り付いていたりする。ところかまわず脱ぐ,脱糞する,やたらと水を飲む,際限なく食べ散らかす……そんな方もいたりして,たいへんなことになっていました。カルチャーショックですよね。

 次に回ったのが思春期病棟。ここは,先の閉鎖病棟に比べてずいぶん静かだと感じた。T先生も「名越先生,ここは勝手に見て回ってくれていいですよ」とおっしゃって,扉を解放してくれました。

 僕は患者さんに挨拶してこようと思って,寝室とか個室,あるいは食堂なんかを見て回りました。患者さんからにこやかに声をかけられたりして,ほんと,先に比べたら落ち着いたところだな,と思っていました。

 ひと通り見終わったところで,案内してくれていた看護師さんが「T先生ももうすぐ戻らはると思います。ここで待ってて」とおっしゃって,ホールで1人,T先生を待つことになりました。

 そこへ,ホールにいた患者さんが,「センセ,センセ」と声をかけてきて,僕の前に座った。僕は「今日からこちらで勤めさせていただきます,名越です」と挨拶をした。その患者さんがヘラヘラッと笑ったな,と思った瞬間,事件は起きました。

 距...

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