医学界新聞

連載

2016.11.28


看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第143回〉
「いかがですか」の含意

井部俊子
聖路加国際大学特任教授


前回よりつづく

 2016年10月は,毎日バッグにポケットティッシュを3~4個入れて出勤していた。止まることを知らない鼻水と咳に対処するためであった。マスクをすると吸気が温められて息が楽になることもわかった。ポケットティッシュは,クリネックス・ローションティシュー・エックスというブランド品を使った。これは「お肌と同じ弱酸性ローション液配合」で保湿成分は主に「植物性グリセリン」であるとされ,おかげで鼻孔の下が赤くならずに済んだ。マスクもいろんな種類を試してその進化を知った。

 そうこうしているうち,10月11日午後あたりから左耳に違和感があった。声が聞こえにくい。その夜は楽しみにしていた宴会があったので出掛けた。仲間はおいしそうにまつたけご飯をおかわりしているのに私は食欲がなく,どうしてあんなに食べられるのだろうと思いながら付き合っていた。

 帰宅して翌朝,前夜の高級懐石料理を大量に吐いた。ほとんど消化されていなかった。これが不調の始まりだった。左耳の後ろを拠点として片頭痛が強くなり,38℃の発熱,咳と痰,鼻水が続く。予定を全てキャンセルして3日間,家で伏せていた。食事に未練はなかったが,水分だけは摂るようにしていた。尿の色が目安だった。

 4日目に耳鼻科を受診した。耳鼻科医は耳をのぞいて,いとも簡単に「中耳炎です」と言った。週末だったので,翌月曜日に聴力検査をしたら,明らかに左耳の聴力が低下していた。「このくらいの低下は大したことはない」と彼女は言うが,私には大変なQOLの低下だった。抗菌薬,抗炎症薬,去痰薬が処方された処方箋を持って近くの薬局に行った。

薬局薬剤師との対話

 ここからが今回の本論である。

 しばらく椅子に腰掛けて,ぬっと出された麦茶を飲んでいると私の名前が呼ばれた。カウンターの向こう側で白衣を着た薬剤師が対応してくれた。30代の気の良さそうな男性であった。見るからに私と何か対話をしなければと思っている様子であった。

 一瞬,彼と目が合った。彼は少しにこっとして「いかがですか」と私に問い掛けた。私は内心,〈いかがですかと言われても,これまでの症状や経過を話すには時間がかかるし,私にその気もないし,しかし,彼に答えてあげる必要はあるし……〉と,数秒の間に考えをめぐらし,「ええ,左耳が聞こえにくいんです」と言った。すると,彼は何か答えようとした。この一秒にも満たない“長い時間”が,薬剤師の私への誠実な関心を示していた。しかし,彼は用いることのできる言葉が出てこなかった。彼の善意に応えるほどの優しさを持ち合わせていなかった私は,「おいくらですか」と話を切り替え,お金を払って店を出た。

 発行された「調剤明細書」には,調剤技術料56点,薬学管理料(薬剤服用歴管理指導料)50点,薬剤料69点(この中に後発医薬品が含まれていた)で保険合計点は175点とあり,支払った金額(定率負担金)は530円であった。彼の「いかがですか」はおそらく薬学管理料に関連するものであろうと考えると,あの一言は500円の価値を持っていたことになる。

 もうひとつ,薬局からの帰途,私はハタと気がついたことがある。私に優しいまなざしを向けてくれた彼は,私に関する情報はほとんど持っていないということである。入院や外来のような病名や検査値が記載されたカルテは基本的に存在しない。つまり,薬剤師が患者にアプローチする手掛かりは薬からということになる。服用している薬からその人の状況を知り,「いかがですか」を焦点化していくには道のりがある。薬という科学的な情報をどのようにして症状や苦痛,生活といった人間情報に変換して相手に対峙するかは重要なポイントとなる。ここがないと,薬剤師と患者の対話が成立しない。

外来看護における「療養上の世話」

 中耳炎の患者となってもうひとつ気がついたことがある。それは外来看護師のありようである。外来診察室の入り口は個別であるが,診察室の奥にある裏廊下はつながっている。ここを看護師が往来して,「診療の補助」と「療養上の世話」を行う。

 保健師助産師看護師法第5条では,「療養上の世話」が先に来るが,外来の診察室では「診療の補助」が業務量としては多いように思う。つながっている裏廊下を歩きながら,看護師は各診察室で繰り広げられる診療と患者の状況に精通しておかなければならない。おそらく,ベテランナースと新人ナースの質的な違いはこの判断と行動に現れてくるのであろう。

 私のところに現れた耳鼻科ナースは,ぬっと出現し,「診療の補助」業務がないと判断すると,すっと消えた。まるで忍者のように。私は耳鼻科ナースに中耳炎の苦痛を聴いてもらい,どんな注意をしたらよいかを教えてもらおうと思っていたが,彼女の姿はなかった。これでいいのかと患者として考えた。患者としてみると,この看護師はいるようでいないという,はかない存在である。

 初めての中耳炎は,私にとっていくつかの発見をもたらした。たしか,マーガレット・ニューマンの理論にあったと記憶しているが,「健康とは意識の拡張である」という。苦痛や不便をもたらした中耳炎のおかげで,薬局薬剤師の臨床推論の特性に気づき,外来看護師のありようを考察したのである。

 ベッドの中でもがいている間に,夏が去り秋が忍び寄っていた。順調に回復すれば秋の虫の音は聴こえるであろう。

つづく

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