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第2894号 2010年9月6日


循環器で必要なことはすべて心電図で学んだ

【第5回】
「割れてしまった」QRSが物語るもの その3
左脚ブロックが病気に昇格できないワケ

香坂 俊(慶應義塾大学医学部循環器内科)


前回からつづく

 循環器疾患に切ってもきれないのが心電図。でも,実際の波形は教科書とは違うものばかりで,何がなんだかわからない。

 そこで本連載では,知っておきたい心電図の“ナマの知識”をお届けいたします。あなたも心電図を入り口に循環器疾患の世界に飛び込んでみませんか?


 これまで二回にわたって,主に心不全疾患と虚血性心疾患について割れたQRSの意義を書いてきました。今回はQRSの最終回として,無症候の脚ブロックのワークアップのあり方について考えてみたいと思います。なお今回は,前回までのような心電図豆知識の説明ではなく,別の国の医療文化を体験した者の“随筆”といった趣きの内容になっていますが,あらかじめご了承ください。

脚ブロックはよく見かける

 さて,筆者が10年近く住んでいた米国から帰国して約2年が経ち,その間いろいろと衝撃的な体験をさせていただきました。虚血性心疾患の友であるはずのβ遮断薬が,実は嫌われものであったり,米国のスタチン最低投与量がそのまま最大投与量であったり,ACLSが遠い世界の話であったりと,このテのエピソードには枚挙にいとまがありません。その中でも特に印象的だったのが,健康診断での心電図スクリーニング業務に駆り出されたときのことです。

 依頼されたのは,「健診で取る心電図の読影を片っ端からお願いしたい」ということでした。その際,脚ブロックは非常に頻度の高い心電図変化なので,やはり左右さまざまにブロックされた心電図をたくさん見かけました。そして,困ったのが「どうすればいいか指示を書いてください」という注文でした。

 教科書的には,脚ブロックは概ね以下のように表記されることが多いようです。

<脚ブロック>

 脚ブロックは心疾患だけでなく,他のさまざまな疾患に伴って見られます。特に左脚ブロックは右脚ブロックに比べて平均年齢が高くなり,心疾患の合併も多くなります。

 その根拠となっているのはどういうことなのかを調べたり尋ねたりしてみると,やはり欧米の教科書の記載や臨床研究の結果に由来しているようです。実際,伝家の宝刀(?)UpToDate®にも以下のように記されています。

 When present, these subjects should be evaluated for hypertension, coronary disease, and other disorders that have been associated with LBBB.
「Overview of left bundle branch block」より

(筆者意訳:左脚ブロックが見つかったら,高血圧,冠動脈疾患,その他関係のありそうな疾患の評価をしましょう。)

 もちろんすべての脚ブロックが病的で予後不良であるわけはないのですが,こうした表記をみると,「では,とりあえず循環器外来を受診して,エコーとトレッドミルとホルターをお願いします」ということになってしまいそうです(実際,こうしたケースは多いようですが)。

 教科書でのこのような記載を考えるに当たって,私が個人的に問題だと思っているのは,欧米と日本で心電図が取られる背景が全く異なるということです。果たして欧米の脚ブロックに関する記載を丸飲みにして,日本の健康診断に当てはめて良いのでしょうか?

心電図をすべての人に?

 わが国では労働安全衛生法(表1)によって,事業者は労働者に健康診断を行わなければいけないことが定められています。そして,その中で「医師による健康診断を行わなければいけない」と定められた項目に心電図も含まれているのです。

表1 労働安全衛生法と労働安全衛生規則

労働安全衛生法

第66条(健康診断)
1 事業者は,労働者に対し,厚生労働省令で定めるところにより,医師による健康診断を行なわなければならない。

労働安全衛生規則(厚生労働省令)

第44条(定期健康診断)

事業者は,常時使用する労働者(第45条第1項に規定する労働者を除く。)に対し,1年以内ごとに1回,定期に,次の項目について医師による健康診断を行わなければならない。

一  既往歴及び業務歴の調査
二  自覚症状及び他覚症状の有無の検査
三  身長,体重,腹囲,視力及び聴力の検査
四  胸部エックス線検査及び喀痰検査
五  血圧の測定
六  貧血検査
七  肝機能検査
九  血糖検査
十  尿検査
十一 心電図検査

 何を当たり前のことを,と考えられる方もあるかもしれませんが,世界的にみると心電図を定期健康診断項目に盛り込んでいる国は少数派なのです。大多数の国では健常人に対してスクリーニング目的で心電図を取ることはない,もしくは,少なくとも取ることが議論を呼びます(表2)。ですので,マススクリーニングをすべての労働者人口に行っている国で見つかった脚ブロックと,何かの訴えをもって診療所に来て心疾患が疑われるような国で見つかった脚ブロックでは,意義が全く異なると考えられます()。

表2 心電図スクリーニングに対するさまざまなガイドラインの考え方

スクリーニングを行うことを「推奨しない」と表記するガイドライン

1)米政府予防医学作業部会ガイドライン
 (US Preventive Services Task Force)
2)カナダ定期健康診断作業部会ガイドライン
 (Canadian Task Force on the Periodic Health Examination)

高齢者に対してのみ「限定的な適応がある」と表記するガイドライン

1)米国循環器学会・心臓病学会ガイドライン
 (American College of Cardiology/American Heart Association)
2)米国内科学会ガイドライン
 (American College of Physicians)

スクリーニングを行うことを「強制」するガイドライン

1)厚生労働省 労働安全衛生規則

心電図スクリーニングは贅沢だ

 米国では診療所ベースで年間2千万件以上の心電図が取られており,これは1970年代後半からずっと変わっていません。米国で認められる心電図のコストは,高齢者対象の公的保険であるMedicareを基準とすると,おおよそ3000円程度です。日本での「四肢単極誘導及び胸部誘導を含む心電図」の厚生労働省の定めた保険点数は150点ですが,診断書料の約1500円を加算すれば似たようなものかと思います。これを先ほどの2千万件で換算すれば年間約600億円になるわけです。また,さらに心電図の偽陽性所見にまつわる二次検査(例:とりあえずのエコー)や究極的にカテーテルまで行き着いた場合の費用も含めると,結構な額になるのではないでしょうか。

 ちなみに,この2千万件というのは,全米の医療施設訪問者数総計の3%弱に過ぎません。日本の統計はわかりませんが,感覚としてこれ以上であることは間違いなく,ここにさらにスクリーニングの心電図が加わるわけなので,健康診断で行われる心電図から派生する金額はさらに膨大であろうと予想されます。

検査が先か,患者が先か

 検査は便利です。診断や治療の重要な指針を与えてくれることもありますし,全く思いもつかなかったような疾患を探りあててくれることもあります。また,何もなかったとしても将来何か問題となったときのベースラインとして役に立つかも知れず,何もせずに帰宅することと比べると患者さんの満足度も間違いなく高くなります。そうした考え方が,心電図スクリーニングや米国の3倍の台数のCTスキャナーにつながっているものと思われます。この稿の目的はそうした検査の使い方の是非を問うことではありませんが,一枚の心電図が“Fool's Gold(愚者の金)”にならないようにするためには,かなり読み手の技量が問われるというところは伝わったのではないかと思います。特に大事なのは,どういった背景(理由)でその心電図が取られたのかというところでしょう。

 単なる脚ブロックの話から随分スケールの大きな話になってしまいましたが,三回続いたQRSの話は今回で終わりにしたいと思います。

 次回のテーマは,心電図の影の主役“P波”です。

つづく

:このことは例えば,全国民を対象とする調査から肺癌の発症原因を見いだそうとするとかなり困難な仕事になりますが,喫煙者を対象に調査を行えば肺癌と喫煙に容易に強い相関が見いだせる,といった事象にも当てはめることができます。こうした「過去に起きた事象の発生確率からある程度未来が予測できる」という考え方はベイズ理論(Bayes' Theorem)として知られており,エビデンスの解釈やWeb検索などの技術にも用いられています。過去のデータを蓄積して提示されるアマゾンの「オススメ商品」も,これと類似した理論を用いています。興味のある方はぜひ確率論の書籍などを読んでみてください(連載『論文解釈のピットフォール』で,そのうち植田真一郎先生が取り上げてくれるかもしれません)。

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