医学界新聞

連載

2010.07.12

在宅医療モノ語り

第4話
語り手: その後の家族を見守ります 通称天井の釘さん

鶴岡優子
(つるかめ診療所)


前回からつづく

 在宅医療の現場にはいろいろな物語りが交錯している。患者を主人公に,同居家族や親戚,医療・介護スタッフ,近隣住民などが脇役となり,ザイタクは劇場になる。筆者もザイタク劇場の脇役のひとりであるが,往診鞄に特別な関心を持ち全国の医療機関を訪ね歩いている。往診鞄の中を覗き道具を見つめていると,道具(モノ)も何かを語っているようだ。今回の主役は「通称 天井の釘」さん。さあ,何と語っているのだろうか?


通称「天井の釘」のお仕事
通称天井の釘さんの活躍をイメージした写真。再現してみると,実際の天井はとても薄かった。500 mLのボトルと点滴セットをぶら下げることは実は危険だったかも。
 緊張しますね,インタビューだなんて。えっ,私のこと釘って言っていました? 違いますけど,別にいいですよ。私の正式な名前を知っている人は少ないですからね。私の名前は「洋灯吊」です。ね,知らないでしょ? 巷では,釘だの,ネジだの,「はてなマークみたいな奴」だのと,いろんなふうに呼ばれています。出身はホームセンターで,仲間と数個まとめて,100円ぐらいで売られていました。ステンレス製だとちょっとお値段は高めかな? 私たちが設置される素材は主に木材で,錐で小さな穴を開けてもらったら後は自慢のネジでグリグリと押し入ります。

 はい,点滴セットさんと一緒にお仕事させていただきました。私たちもこれまでいろいろな所に取り付けられてきましが,天井さんとの話が出たときは,びっくりでした。だって相手は新築のお家ですよ。そのときの様子ですか?

 少し緊迫したムードがありましたね。1年前からこの家のご主人が,癌という病気でちょこちょこ入院されていました。「もう長くは生きられない」という認識が,家族の間にあったのでしょう。ちょうどそのころ家を建て直していたようですが,大工さんに仕上がりを急いでもらったと聞きました。となり町の娘さん家族や東京へ出た息子さんがよく実家に帰ってきました。ご主人はみんなから「オトーサン」と呼ばれていました。

 そのうち,医師や看護師が来るようになりました。オトーサンは口数が少なくなり,寝る時間が長くなりました。食事がとれず,オカーサンは,おかゆを作ったり,プリンを買ってきたり,少しでも何か口にしてもらおうと必死でした。でもオトーサンは次第に食べられなくなりました。オカーサンは訪問に来た医師を玄関先で捕まえて言いました。「先生,やっぱり点滴してもらえませんか?」。主治医は死期が近づいている今,点滴をしても病状は好転しない,みたいなことを言っていました。入院中,オトーサンは点滴が大嫌いだったそうです。「家は点滴がないから本当にいい。同じ痛み止めでも,こんなシールを3日ごとに張り替えるだけなら楽だよ」とよく言われていました。このシールっていうのは,経皮吸収型の医療用麻薬だったみたいです。

 診察の直後,オカーサンが切り出しました。「ねぇオトーサン,食事もとれないし,先生に点滴してもらいましょうよ」。オトーサンはしばらく黙っていましたが,ゆっくりうなずきました。むくみや胸水,また気道分泌物にも悪影響が出ないように,1日500mL皮下輸液する,ということになりました。さて,どこからこの点滴ボトルをぶらさげるか,みんなで知恵を絞りました。状況は深刻だったのでしょうが,久々の家族の賑わい,という感じでした。無口な息子さんが工具入れから私を連れ出しました。「天井にコレつけちゃえば?」の一言で決まりです。

 点滴開始から1週間もたたず,オトーサンは旅立たれました。しばらくして主治医が家にお焼香に来たとき,オカーサンが私を見上げて言いました。「やれることはすべてやりました」。この釘は抜かないって。この釘含めてのオトーサンの家だって。そこまで言われて,私も天井からこの家族を見守る決意をしたのです。主治医が帰りの車の中でつぶやいた言葉が「点滴の適応って,奥深いなぁ」でした。あの点滴は,脱水補正のためでもない,薬の投与のためでもない,オカーサンのための点滴だったのかもしれません。

つづく


鶴岡優子
1993年順大医学部卒。旭中央病院を経て,95年自治医大地域医療学に入局。96年藤沢町民病院,2001年米国ケース・ウエスタン・リザーブ大家庭医療学を経て,08年よりつるかめ診療所(栃木県下野市)で極めて小さな在宅医療を展開。エコとダイエットの両立をめざし訪問診療には自転車を愛用。自治医大非常勤講師。日本内科学会認定総合内科専門医。

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