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第2810号 2008年12月15日


研究以前モンダイ

〔 その(21・最終回) 〕
SCRMの活用法

西條剛央 (日本学術振興会研究員)

本連載をまとめ,大幅に追加編集を加えた書籍『研究以前のモンダイ 看護研究で迷わないための超入門講座』が,2009年10月,弊社より刊行されています。ぜひご覧ください。


前回よりつづく

 研究以前のモンダイもいよいよ最終回です。これまでの議論を振り返りながら,総括したいと思います。

本物の原理はきわめて実践的なツールになる

 本連載のモチーフは,研究以前のモンダイを考えることで,よりしなやかな看護研究実践を可能にするということにありました。そのため第14回までは,「方法」「理論」「科学」「認識論」「一般化」といった研究の基本タームを根本にまでさかのぼってその本質を考えることで,多様な関心,立場の人が了解可能な原理的な研究フレームを提示することを試みてきました。

 「○○とは何か」といった抽象的な問いは研究実践とは関係ないと思われるかもしれませんが,○○に対する捉え方(認識)が変わると,研究実践(行動)も変容するため,これはきわめて実践的な問いでもあるのです。

 詳細は論じることはできませんが,実は,抽象概念を実体的に捉えてしまうことにより,多くの難問が生まれ,それを契機とした信念対立が生じてしまうのです。本書で行ってきた,方法とは何か,理論とは何か,認識論とは何か,一般化とは何かといった問い直しはすべて,実体的に捉えられてきたそれらの概念を,しなやかな研究実践を可能にするという目的に照らしてより十全に機能するような“方法概念”へと編み変える試みだったのです。

 例えば,方法を実体的に捉えると,どこかに正しい方法が存在していて,それを探すという認識態度になります。そしてひとたび正しい方法を見つけたならば,それに背反するかのようにみえる枠組みは間違っているということになってしまい,方法を契機とした信念対立に陥ってしまうわけです。ところが,「方法とは目的を達成するための手段であり,そうである以上その妥当性は目的に応じて決まる」(第2回)というように方法に対する捉え方が変化したならば,特定の研究法を盲信することなく,目的に応じて柔軟に選択したり,修正することが可能になるでしょう(第3回)。

 理論も同様です。理論とは外部世界に実在しているモノだと考えてしまうと,背反する理論が実在するのはおかしいということになり,自分の信じる理論で説明できない現象を認めない偏狭な態度になってしまったり,理論を契機とした信念対立に陥ってしまいます。しかし,「理論とは事象を説明するために人間がコトバによってこしらえたツールである」(第4回)といったように認識が変容することによって,特定の理論に固執せず,多様な理論を取り入れた柔軟な研究・実践を行えるようになるでしょう(第5回)。

 また前回も説明しましたが,科学とは外部世界に実在する真実の追究だと思っていた人が「科学とはコトバであり,特定の研究法や理論的立場のバックグラウンドになっている科学論自体にいろいろな考えがある」(第6回)ということを知り,「科学とは現象を上手に説明する構造を追求する営みである」(第7回)といったようにその認識が変容したならば,柔軟に理論を修正したり,新たな理論を創造する可能性が開かれることでしょう。また新たな実践法を科学性という観点から吟味したうえで,科学的に基礎づけることも可能になります(第8回)。

 そして,特定の認識論を「根本的な世界のあり方」として捉えていた人が「認識論とは世界の捉え方にかかわる根本仮説である」(第910回)というように相対的に捉えられるようになれば,目的に応じて適切な認識論(認識形式)を選択できるようになり(第11回),ひいては認識論間マルチメソッドの理論的基盤を確保することもできます(第12回)。

 また一般化を「特定の研究で得られた知見を他の対象にも拡張する」といったように実体的に捉えていた人が,一般化の本質は「既知のAは新奇の事象Bにも当てはまるのではないかと類推する心の営みである」(第13回)と捉えなおすことで,数量的・質的を問わずあらゆる研究の知見を柔軟に一般化することが可能になります(第1415回)。

 このように研究の基本タームに関する“共通言語”を共有することによって,それらのズレによってもたらされる信念対立に陥らずにすむだけではなく,別々の専門テーマに取り組む研究者同士のスムーズなコミュニケーションや,より建設的なコラボレートが可能になるのです。

 また,後半に入ってからは質的/量的を問わずに活用できる「研究デザイン」(第17回)「論文執筆」(第16回18回)「プレゼンテーション」(第19回)「研究評価」(第20回)に関する原理的な方法について論じていきました。鍛え抜かれた本物の原理は,テーマや領域,時代を問わず有効性を発揮する超汎用性を備えた実践的なツールになりうるのです。

SCRMとは何か

 こうした研究原理群を総称して「SCRM(Structural‐construction research method,構造構成的研究法)」,通称「スクラム」と呼んでいます()。

 SCRMは,さまざまな研究営為に共通する原理的な方法論であることから,個別の研究法に対して「メタ研究法」ということもできます。メタ研究法は個別研究法を用なしにするものではありません。従来の方法論がソフトだとすればSCRMは個々のソフトの性能をバージョンアップさせると同時に,ウイルス(難題)を退ける機能を備えたOS(ハード)に位置づけられます。あるいは,個別研究法を包丁や鍋,皮むき器,コンロといった調理器具だとすれば,メタ研究法とは個々の道具を使いやすく整備したシステムキッチンのようなものだということもできるでしょう。

 「研究というのは,要するにこういうことなんだな」ということがわかると,枝葉末節にとらわれることがなくなります。自分が進むべき目的地が見えているか,暗中模索のなか手探りで進まなければいけないかは大きな違いです。

 SCRMは真夜中の森をさまよう旅人を照らす月のように,あるいは迷いそうになったときに行き先を示してくれるコンパスのように研究者を導いてくれるのです。

「正しさ」という呪い

 連載タイトルである「研究以前のモンダイ」は,従来の理論や方法論をいくら積み重ね,洗練させても解消できない難問のことです。例えば,方法を順守することが自己目的化してしまう研究以前のモンダイがあります。これは個別の方法を鍛えるだけで回避することはできません。

 なぜならその方法を鍛え,その方法が有効性を発揮すればするほど「これこそが正しい方法論だ」という思いが強くなるからです(これを「方法のパラドクス」と呼んでいます)。そして方法が絶対化したとき,たちまち方法論間の信念対立に発展してしまうのです。

 もちろん,本連載の読者の皆さまには「質的(量的)研究こそ正しい方法だ」といった言明は妥当なものではない,ということはご理解いただいていることと思います。

 しかしもし「質的研究と量的研究の双方を併用するトライアンギュレーションこそ正しい看護研究の方法だ」と思ってしまったならば,それは「方法のパラドクス」に陥っていると言わねばなりません。そうした固定化された「正しさ」を出発点としてしまうと,今度は「トライアンギュレーションを行っていないからこの研究はだめだ」ということになり,新たな信念対立を引き起こすことにもなりかねないのです。

 関心相関的観点から考えれば,研究法の妥当性は目的に応じて決まるのですから,目的によってはトライアンギュレーションが必要ないことだっていくらでもあり得るわけです。このことは,私の提唱するSCRMにもまったく同じようにあてはまります。したがって「なるほど確かにSCRMは原理的だからこれが正しい方法だ」と思ってしまったなら,やはり立ち止まって考えてみる必要があります。

 SCRMは,正しい枠組みなどではありません。よりしなやかな研究実践を可能にするという目的に照らせば,従来の考え方より,より機能的であろうというものなのです。ですからその目的に照らして,方法,理論,認識論,一般化といったそれぞれの方法概念の定義をより機能的なものに修正していくこともできるのであり,そうした反証可能性,継承可能性に開かれた枠組みとなっているのです。

 このようなことからも,僕らはたやすく「正しさ」という幻想に取りつかれることがおわかりになるかと思います。これは僕ら人間が持つ認識構造から必然的にもたらされる「呪」というべきものです。そして特定の正しさを前提とした枠組みでは,正しさの呪を解くことはできません。いかに緻密な理論であっても,何らかの正しさを前提として議論を積み上げる限り,異なる正しさを前提とする人々に了解されることはないためです。

 「論理的に考える限り,なるほど確かにその件についてはそのように考えざるを得ないな」と思ってもらえるような強靱な考え方だけが,異なる立場の間にそびえ立つ「正しさの壁」の下をするりと抜けて,了解を広げる共通言語(ツール)たりうるのです。SCRMはそのようなモチーフのもとで組み上げられたメタレベルの研究法なのです。

実践継続ツールとしてのSCRM

 ここで「SCRMといってもそれは当たり前のことを言っているに過ぎないのではないか」と思われる人もいらっしゃるかもしれません。確かにSCRMは了解の強度の高い原理的な研究法ですから,一度わかってしまえば当たり前のことのように感じられることでしょう。

 しかし,当たり前であるべきことが見失われたときこそ,その被害は甚大なものになってしまうのです。したがって,当たり前のことを実践し続けるためには,SCRMのように深くて強い考え方が有効になってくるでしょう。

 「知る」ことと「わかる」ことは違います。「理解する」ことと「実践できる」ことにも大きな隔たりがあります。そして「一度実践できた」ことと「実践し続ける」ことは,「一度ホームランを打てた」ことと「ホームランを打ち続ける」ことと同じぐらい違うものです。

 そのためやや逆説的に言えば,SCRMを知り,理解したからといってそれが身についたと考えるならば,その有効性が十分発揮されることはないでしょう。最初から「自分には関心相関的観点が身についている」と思っている人は,関心相関的観点をあらためて意識することはないため,むしろ正しさの呪縛にからめとられてしまう可能性が高まります。

 SCRMを理解することには,便利な認識ツールを手に入れたという程度の意味はあっても,それを実際に使わなければ,せっかく買った家電用品を押し入れの中にしまってしまうのと同じく,有効性が発揮されることはないのです(これは当然,筆者にとっても同じです)。

 本連載で提示してきた諸ツールを理解することは,「研究以前のモンダイ」解決の出発点に過ぎません。SCRMはよりしなやかな研究実践を行うために使い続け,精度をあげていくことではじめて意味を持つと言えるでしょう。

おわりに

 さて,最後のモンダイです。

 研究とは何のためにするのでしょうか?

 ……それぞれ答えは違うと思いますが,あえて言うならば“幸せに生きるため”だと僕は思います。研究とは自他ともによりよく生きるための手段の一つなのです(ですから忙しいなか,無理に研究をして病気になるぐらいなら研究なんかしないほうがいいと思います)。生きていればつらいことや苦しいこともありますが,一度しかない人生ですから,ときには「そもそも何のために」と問い直すことで,できるだけ楽しく意味ある人生を生きたいものですね。

 

 本連載はこれで終わります。僕は病気を治療する技術も,困っている人を看護する技術も持っていません。それだけに医療関係者には格別の敬意を抱いております。本連載は,そうした皆さまが研究を行う際に少しでもお役に立てていただければという思いで書いてきました。

 ご愛読していただいた皆さまに心より感謝申し上げます。ではまたどこかでお会いしましょう。

(おわり)

:類似した枠組みとして,質的研究に特化した形で提唱されたSCQRM(Structural-construction qualitative research method,構造構成的質的研究法)がありますが,これらの基本原理は同じです。

西條剛央氏 関連情報
 西條氏による4日間の質的研究集中ワークショップが開催されます。九州でも開催予定です。詳細は「構造構成主義アカデメイア」のHPを参照してください。
 また講演のご依頼などは下記のメールアドレスにご連絡ください。
 構造構成主義アカデメイア事務局:sc.akademeia@gmail.com


西條剛央氏
早稲田大学人間科学研究科にて博士号取得後,現職。養育者と子どもの「抱っこ」研究と並行して,新しい超メタ理論である構造構成主義の体系化,応用,普及を行っている。著書に『構造構成主義とは何か』『母子間の抱きの人間科学的研究』(以上,北大路書房)『ライブ講義・質的研究とは何か』(新曜社)などがある。
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