医学界新聞

連載

2007.05.28

 

研究以前モンダイ

〔その(2)〕
方法とは何か?

西條剛央(日本学術振興会研究員)

本連載をまとめ,大幅に追加編集を加えた書籍『研究以前のモンダイ 看護研究で迷わないための超入門講座』が,2009年10月,弊社より刊行されています。ぜひご覧ください。


前回よりつづく

方法は大事

 何かを達成するために有効な「方法」を身につけることは非常に重要なことです。誰かに恋い焦がれる気持ちがあっても,適切にアプローチする方法を知らなければ,熱い思いが空回りして,下手をすればストーカーになってしまいます。

 それと同様に,研究を行ううえでは特定の研究法を身につけることが必要不可欠です。「現場に役立つ知見を生み出したい!」という熱い思いで研究に取り組んでも,まっとうな「研究法」が身についていなければ,まともな研究として結実することはありません。

方法を問うという方法

 もちろん,看護研究の教育を受けた皆さんは何らかの研究法を学ばれたことでしょう。

 しかし案外,「方法とは何か」についてきちんと学んだり,深く考えたことのある人は少ないように思います。方法とは何でしょう? 正しい方法なんてあるのでしょうか? ないのでしょうか? もし状況によって何が正しいかが変わるのだとすれば,方法の妥当性はどのように判定できるのでしょうか? 方法を勝手に修正してもよいのでしょうか?

 このように方法をめぐる問いは,多くのバリエーションを持っています。こうした疑問に対しては,いくら特定の研究法に習熟しても答えは出ないということはご理解いただけるでしょう。むしろ後述するように,特定の方法論を習得し,それによって多くの知見を生み出してきた人であればあるほど,自分が習ってきた方法の「正しさ」をナイーブに強弁してしまいかねないのです。

方法を学ぶ際に陥る錯誤

 では,こうした「方法とは何か」といった原理的な問いをすっ飛ばしてしまうことは,どのようなモンダイをもたらすのでしょうか? 具体的なイメージで考えてみましょう。看護研究の「方法」を学ぶ際,「方法とは何か」という問いを持っていないと,多かれ少なかれ「自分の学んだ研究法=正しい研究法」という認識を持つようになります。

 例えばAさんは量的研究法を学びました。もちろんこの時点では,他の研究法もある,ということくらいは理解しています。ところが,エクセルを埋め尽くす数字の羅列から,平均値をグラフにすると何らかの変数の推移が目に見えてくる。「有意差」なる「科学的結果」がはっきりと出る。それをもとに論文を書いて卒業したり,就職する。こうした体験を繰り返す中で,Aさんの中である確信が深まってきます。それは,「量的研究法こそ,科学的で正しい方法だ」という確信です。成功体験が,Aさんの信念を強化してしまったのです。

 他方,Bさんは自分の研究課題には量的研究はなじまないように思ったため,質的研究法を学びました。現場でインタビューしたものを文字に起こし,質的に分析してみると,さまざまな事象の関係性がはっきりみえてきてモデルがつくれました。それで論文を書き,現場へ知見を還元し,お礼を言われました。結果としてやはり「自分が習った質的研究法こそ,現場に有用な知見を生み出す正しい方法だ」という強い信念が育ちます。

 さて,このように異なる研究法を,それぞれ同じ強度で「これぞ正しい看護研究法だ」と信じるAさんとBさんが,何かのきっかけで交流する機会があった場合,お互いの研究法を受け入れることができないという事態が生じても不思議ではありません。「方法論間の信念対立」は,このようにして生じます。

方法に対する適切なスタンス

 それでは「方法とは何か」について原理的に考えてみましょう。

 まず,方法とは「何かを行うための手段である」ということは言えそうです。手段である以上,その「正しさ」は目的に応じて決まると考えられます。「目的を達成するための手段」こそ「方法」にほかならないためです。さて,ここまで思考を進めることによってはっきりとわかることは,すべての条件を取り払ったうえで絶対的に正しい方法などありえないということです。

 では,研究法というのは「何でもアリ」なんでしょうか? そうではありません。「あらかじめ絶対に正しい方法」というものはありえませんが,方法の妥当性はその都度,研究者の関心や目的と相関して決まると言えるのです。このことは「目的を達成するための手段」という「方法」の定義から考えれば明らかです。

 地面を掘りたければ,その関心に応じてスコップが「有効な(正しい)ツール」となりますが,屋根に登りたければ,脚立のほうがより有効な(正しい)ツールということができるでしょう。え? スコップを立てかけて屋根に登ることもできるじゃないかって? おっしゃるとおりですが,その場合は,スコップよりも脚立のほうが有効なツールであることは明らかですよね。同じように個々の研究法の有効性(正しさ)も,関心(目的)相関的に決まります。

 ここまできたら,次のステップはそれぞれの研究法の特徴をよく知るということです。つまり,それぞれの研究法が何に向いていて,何に不向きなのかを知っておくということ。このことと,1つの研究法に習熟することとは異質のスキルと言えるでしょう。

 例えば量的研究法は一般的に,仮説の検証や,一般性のある知見を生み出し,全体的傾向や分布を知る場合などに向いているとされます。しかし,量的研究法は特定の前提に乗っていなければ成立しないため,前提そのものを問うことはできません。他方,質的研究は仮説生成や前提自体を問い直すことができますが,仮説検証や一般性のある知見を生み出すには不向きです。

 かなり大まかな議論ですが,このように長所のみならず,限界をきちんと押さえ,目的に応じて適切なツールを選択する能力が,「研究以前のモンダイ」をクリアする際に重要となります()。

今回のまとめ

 もう一度今回の内容の重要な点を整理しておきましょう。「方法の正しさ」は目的に応じて相関的に決まることから,絶対的に正しい方法というのは原理上ありえないということ。そのうえで,目的と相関的に妥当な方法というのはありうるため,そうした方法を選べばよいということ。適切な選択のためには,それぞれの方法が何に向いていて何に不向きなのかを知ることが必要だということ。

 このように「方法とは何か」といったメタレベルの問いについてキチンと理解しておくことによって,本来,手段であるはずの方法に振り回されたり,ナイーブな信念対立に陥ることなく,各研究法が持つ力をより十全に使いこなせるようになるのです。

 次回は今回の応用編として「方法論を修正して使うための方法」についてお話ししていきたいと思います。

 ではまた来月。

つづく

註)
量的研究と質的研究を相補完的関係として捉えるための議論はいくつかありますが,看護領域に特化したものとしては『現代のエスプリ(特集 構造構成主義の展開)』(至文堂)における高木廣文氏(東邦大)の論考があります。

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