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第2793号 2008年8月11日


〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第133回

格差社会の不健康(6)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2791号よりつづく

 ここまでいくつか代表的なデータを示してきたが,「社会経済的格差が健康の不平等を引き起こす」ことを示すエビデンスは文字どおり枚挙に暇がなく,いまや,「格差症候群」が国や時代の違いを超えた普遍的現象であることに疑念を差し挟む余地はない。疑念の余地がないどころか,最近は,「ではどうしたら社会経済的格差に基づく健康の不平等を防ぐことができるのか」ということが,WHOや西欧諸国では,「政策」目標として掲げられるまでになっている。

 例えば,WHOは,「格差症候群(status syndrome)」の名付け親,マイケル・マーモットを長として,2006年に「健康の社会的決定要因に関する委員会」を組織したし,西欧諸国の中でも,英国は,特に熱心に格差症候群対策に力を入れている。もっとも,英国が他の西欧諸国よりも熱心に取り組んでいる理由は,決して他国よりも博愛精神が強いことにあるのではなく,前回も述べたように,サッチャー政権以後格差が急拡大,他国に比べて「問題が大きい」からに他ならない(前回も示したように,日本は,格差対策に躍起になっている英国よりも格差の度合いがはるかに大きいだけでなく,最近は,サッチャー時代に匹敵するようなスピードで格差が進行しているだけに,その無策ぶりが際立つ)。

「アチェソン報告」と税制改革

 さて,この英国で,格差症候群対策の基本となっているのが,ブレア政権の下で設置された「健康の不平等に関する特別委員会」報告である。この報告は,同委員会の議長を務めたドナルド・アチェソン医師の名を取り,「アチェソン報告」と通称されるが,健康の不平等を改善・防止するための,39項目からなる政策を提言している。同報告の根幹をなす精神をひと言で言うならば,「健康の不平等を減ずるためには,社会全体の不平等を減じなければならない」ということに尽きるが,同報告で謳われた政策提言は,収入・教育・雇用・住環境など多岐に及び,「医療」に直接かかわる提言は,全39項目中わずか3項目にしかすぎなかった。

 例えば,アチェソン報告の各論部分でまっさきに謳われたのは「収入格差の是正」であったが,1997年以降労働党政権が実施してきた税制改革は,同報告の精神に見事に沿うものであった。図に1997年以降の税制改革が可処分所得に与えた効果を所得階層別にまとめたが,低所得者ほど可処分所得が増えた一方で,高額所得者ほど可処分所得が減じた(つまり税負担が増えた)ことは一目瞭然だろう。具体的には,例えば,低所得者ほど手厚い配慮がなされるような仕組みで「就労世帯控除(WFTC, Working Family Tax Credit)」などを導入,控除額が課税額を上回った場合は還付金(負の税金)が低所得者に支払われる仕組みとしたのである。なお,地方税も含めた場合,英国全体の所得税税収は年平均0.6%増加したとされ,「応能負担」の原則を徹底することで,所得格差の是正と税収増の「一石二鳥」を達成しているのである(註1)。

急速に増大する格差症候群と医師の義務

 ここまで6回にわたって格差症候群について論じたが,以下,結論に代えて,極めて単純な三段論法の例を2つ示そう。

<三段論法1>
1)社会経済的格差は健康に甚大な害を及ぼすだけでなく,格差が拡大すればするほど,健康被害も増大する。
2)日本では,ここ十数年,急速に格差が拡大した。
3)ゆえに,今後,日本で格差に基づく健康被害が急速に増大する(註2)。

<三段論法2>
1)患者の健康を増進するために励むのは,すべての医師にとって必須の義務であり,健康に害となる条件はこれを排除するよう努めなければならない。
2)社会の格差は健康に害を及ぼす。
3)ゆえに,すべての医師に,社会の格差を排除するよう努める義務がある。

この項おわり

註1:前シリーズ「小さな政府が亡ぼす日本の医療」最終回(第127回)で,「応能負担の原則を徹底すれば,社会保障の財源は手当てできる」とする意味のことを明記したにもかかわらず,一部の読者から「社会保障の財源はどうするのだ?」とする批判が寄せられたが,日本では,言葉だけを聞いても政策の具体的イメージがわいてこないほど,「応能負担」という言葉は「死語」と化しているようである。その一方で,「社会保障の財源=消費税」と議論が短絡化しているようだが,低所得者ほど負担が重いという消費税の「逆進性」を考えたとき,消費税の税率を上げる行為は,格差及び格差に起因する健康被害を増大する結果にしかならないだろう。
註2:このまま格差が放置された場合,例えば20年後に「派遣社員は,正社員よりも平均余命が短い」というようなデータが出てくるであろうことは容易に予言できる。もし,為政者が「(人が早く死ぬという)データを見るまで何もしない」という態度を取り続けるのであれば,そういう輩に政治を為す資格はないのだから,速やかにお引き取りを願わなければならない。 連載一覧