医学界新聞

インタビュー

2018.11.26



【interview】

臨床仏教師と「いのちのケア」
いのちの根源的な力を探し当て,強める

神 仁氏(臨床仏教研究所上席研究員/東京慈恵会医科大学附属病院スピリチュアルケアワーカー)に聞く


 「こんなにつらいのに,なぜ生きなければならないのか」。患者が抱えるスピリチュアルな痛みに対し,何ができるのかと戸惑う医療者は多いだろう。医学的アプローチだけでは解決が難しい苦悩に仏教者の立場で向き合うのが臨床仏教師(MEMO)だ。その資格制度の設立者で僧侶の神仁氏に,臨床仏教師の役割と看護に活かせる「いのちのケア」の視点を尋ねた。


――神先生の医療とのかかわりを教えてください。

 大学卒業後,インドに留学し仏教を究めるとともに,マザー・テレサが創設した「死を待つ人の家」や「シシュババン(子どもの家)」で終末期患者や障害児のケアに携わりました。1990年代には国立台湾大病院でターミナルケアやグリーフケアにかかわり始め,活動を続ける中で台湾の臨床仏教宗教師の認定も受けました。

――日本ではどのような活動をしていますか。

 臨床仏教研究所では,現代社会において仏教者や寺院が果たすべき役割を探求してきました。具体的な活動は,一般社会のニーズや寺院の活動実態の調査,僧侶対象の研修会開催などです。

 私個人としては2016年から慈恵医大病院の緩和ケアチームに参加しています。緩和ケア医,精神科医,看護師,薬剤師,ソーシャルワーカーなどの各専門職と共に,スピリチュアルな痛みを含めた包括的ケアをめざしています。

自己存在の根源的な力「スピリチュアリティ」

――スピリチュアルな痛みとはどのようなものですか。

 死への恐怖,人生への後悔,生きる目的・意味の喪失などがもたらす,人のいのちの有り様に関する根源的な痛みです。WHOによる緩和ケアの定義(2002年)では,身体的,心理社会的問題と共にスピリチュアルな問題がケアの対象に挙げられています。

 スピリチュアル(spiritual),スピリチュアリティ(spirituality)は一般的に「霊的」,「霊性」と訳されますが,ラテン語のspiritus(=呼吸)に由来する語です。呼吸は古くから最も根源的な生命活動と考えられてきたことを踏まえ,私はスピリチュアリティを「自己存在を成り立たしめる根源的な力」と理解し,スピリチュアルケアを「いのちのケア」ととらえています。

――具体的には何を指すのでしょう。

 簡単に言うならば,ベースとなる価値観です。家族の愛や神仏への信仰など人によってさまざまですが,苦しい時,悩める時,何をよりどころに判断するか。その人がその人であるために欠かせない力のことです。

――仕事や趣味の場合もありますか。

 生きがいになることはあります。しかしスピリチュアリティ,つまり,いのちの根源的な力とは,仕事や趣味のような目に見えやすい支えを失っても残るものです。その力を探し当て,最大限エンパワーメントするのが「いのちのケア」なのです。

傾聴で語りを紡ぎ,いのちの尊厳に気づく

――スピリチュアリティは人によって異なり,目にも見えません。「いのちのケア」では患者さんのスピリチュアリティをどのように探すのでしょう。

 基本は「傾聴」です。「訊く(ask)」ではなく,「聴く(listen)」。こころに寄り添って耳を傾け,患者さんの語りを紡ぎます。答えを引き出そうとするのではなく,一緒に考えるプロセスを大事にしています。

――「いのちのケア」で患者さんの様子はどう変化しますか。

 私がベッドサイドでのスピリチュアルケアを行っている慈恵医大病院で,先日,ある女性を看取りました。彼女はキリスト教徒で,若い頃のある行いを悔やみ「死んだら神に裁かれ,地獄に落ちるのではないか」と恐れていました。私は「神様はあなたを見守ってくださいますよ」と繰り返し伝え,一緒にお祈りをしました。彼女は次第に安心して,最期は心穏やかに旅立っていきました。

――終末期の患者さんに向き合うとき,神先生は何を大事にしていますか。

 その人が持つ「いのちの力」を信じることです。終末期で動けず,食事ができない状況でも「今のあなたはとても尊い」とお伝えする。いや,ご本人にそう感じていただけるように支えるのです。

生老病死の苦悩に寄り添う臨床仏教師

――「いのちのケア」の担い手として,2013年に臨床仏教師の養成がスタートしました。経緯を教えてください。

 「葬式仏教」と揶揄されるように,現代の日本では仏教の形骸化が進んでいます。しかし,「寺院と葬儀に関する一般人の意識調査」(臨床仏教研究所,2009年)では,寺院がすべき活動として29.8%もの回答者が「介護や死の看取りなど,老い・病気・死に関わる取り組み」を挙げています。ニーズがあるにもかかわらず,葬儀や法事以外で社会に貢献する寺院・僧侶はまだ少ない。そこで,台湾の臨床仏教宗教師を参考に養成を始めました。

――どのような場で活動するのですか。

 「いのちのケア」が求められるのは,終末期にとどまりません。貧困,引きこもり,虐待,災害など,生老病死に伴う現代人のさまざまな苦悩に臨床仏教師は寄り添います。

 古来,寺院は地域コミュニティーの中心として医療,教育,福祉などの役割を担っていましたが,明治維新以降,病院,学校,福祉施設に機能分化し,役割が縮小してきました。昔の形に戻すのではなく,今度は私たちが寺院の外に出ていく。臨床仏教師は仏教者による社会貢献の新たな姿です。

――日本では,病院など公共空間と宗教はなじみにくいかもしれません。

 臨床仏教師の活動は宗教活動と切り分けて行います。当然,布教はしませんし,ケア対象者の信仰する宗教や価値観を尊重します。また,医療の現場で各専門職と連携するためには,医療の知識やケアの技法が必要です。僧侶であれば簡単に臨床仏教師になれるわけではなく,特別な教育や実践を経た者に認められる資格なのです。

――今後は,臨床仏教師の数を増やしていく予定ですか。

 単純に数を増やせばよいとは考えていません。「いのちのケア」の現場は真剣勝負です。何気なく放った一言が相手をさらに追い詰めてしまう可能性もあると自覚して行動しなければなりません。早急に数を増やすよりも,じっくりと輪を広げていきたいです。

そばにいるだけで,あなたは尊い

 臨床仏教師の数が限られる中,医療の現場で私たちの立場に近いのは看護師ではないでしょうか。患者さんの心身のケアを担い,長い時間を共に過ごす看護師だからこそ支えられるいのちがあると思います。

――看護師にも実践できる「いのちのケア」を教えてください。

 患者さんの抱える痛みには身体的・心理社会的なものだけではなくスピリチュアルな痛みがあることを知っってください。その上で,患者さんの思いを傾聴するのです。医師には言いづらい深い苦悩を看護師には打ち明けてくれる患者さんも多いですから。

――苦悩を受け止めても「何もできない」と無力を感じることもあると思います。何ができるでしょうか。

 自分のスピリチュアリティがどこにあるのかを考えてみてください。スピリチュアルな痛みは,病に苦しむ患者さんだけでなく,誰もが抱える実存的な問いです。まずは皆さんご自身のスピリチュアリティを大切に育む。これが,いのちの尊厳への気づきをもたらすケアを,自然と生み出します。

 「いのちのケア」で大事な視点を最後にもう一つ。それは“Not doing, but being”。目に見える何かができなくても,相手の持つ力を信じて,そばにいる。それだけで,あなたは尊いのです。

MEMO 臨床仏教師

 生老病死に伴う現代人の苦悩と向き合い,専門的知識や実践経験をもとに行動する仏教者を認定する資格。臨床仏教研究所によって2013年から養成開始。現在,スーパーバイザーを含め15人の臨床仏教師が活動している。活動範囲は終末期ケア,貧困,引きこもり,虐待,災害など幅広い。

 養成プログラムは,①仏教者としての現代社会の課題への向き合い方を学ぶ臨床仏教公開講座(15時間),②傾聴やカウンセリングの技法を身につけるワークショップ(40時間),③養護施設,介護施設,医療施設等での実践研修(100時間以上)の3ステップから成る。公開講座は僧侶に限らず誰でも受講可能。

(了)


じん・ひとし氏
1961年生まれ。大正大,駒澤大で仏教学を専攻。87年インド国立バナーラス・ヒンドゥー大大学院へ留学。社会参加仏教(Engaged Buddhism)の立場から,仏教者としての社会貢献を追究。全国青少年教化協議会常任理事,同会付属の教育研究機関・臨床仏教研究所にて上席研究員を務める。2016年より慈恵医大病院緩和ケアチームにスピリチュアルケアワーカーとして参加。同大非常勤講師。

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