医学界新聞

対談・座談会

2015.08.03



【対談】

地域で暮らすことを支えるには,かかわりを続ける必要がある

平澤 哲哉氏(在宅言語聴覚士)
古屋 聡氏(山梨市立牧丘病院院長・医師)


 STを「幸せをもたらす職種」と表現し,平澤氏の地域での活動を高く評価する医師・古屋聡氏。本紙では,平澤氏と古屋氏の対談を企画した。訪問STの意義はどこにあるのか。そして,患者・利用者の幸せを実現するためには何が求められるのか。活動拠点を地域に据える両者の対話からは,「かかわり続けること」の重要性が立ち上がってきた[収録地=山梨県甲州市]。

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平澤 私の訪問ST活動に対して開始当初から関心を寄せてくれたのは,古屋先生でした。初めてお会いしたときの古屋先生はまだ塩山診療所(山梨県甲州市)に勤務されていたころで,患者さんの往診に同行させてもらったのを覚えています。

古屋 深くかかわるようになったのはそれからですよね。僕はあのころ,ある患者さんへの摂食嚥下支援の方法をめぐり,地域の歯科医師,歯科衛生士,言語聴覚士の方々に助言を求めて回っていて,その一人が平澤さんだったんです。それで,「口」と「コミュニケーション」と生活の質には密接なかかわりがあることを,さらにそこには多職種がかかわっていくべきだということを痛感し,多職種から成る「山梨お口とコミュニケーションを考える会」()を立ち上げた。その研修会の第1回でも,「ぜひに」と平澤さんに講演をお願いしました。

 平澤さんが現在の活動を開始されたのって,会の発足直前ぐらいでしたよね。実は,開業に関しては「無謀にも……」とも思っていたのですけれど。

――(編集室)フリーランスのSTという働き方は厳しいと思われた?

古屋 もちろん,在宅訪問してリハを提供するSTの存在意義は大きいと思いましたよ。ただ,平澤さんが開業した当時(2002年)は保険算定外で,利用者の実費負担でしたからね。リハの価値を理解し,金銭的な負担をしてまで希望する利用者がどのぐらいいるだろうか,と。でも結果的には思っていた以上にニーズは大きく,強かった。

平澤 私自身,仕事として成立するまでには時間がかかると思っていました。まずは地域の方々にSTによる訪問リハの意義を浸透させなくてはなりませんでしたから。でも,地元メディアに取り上げられたこともあって,開始間もなくいくつかの依頼を受けるなど,すぐに軌道に乗りました。数年後には医療保険,介護保険と,STによる訪問リハが保険適応になったわけですから,タイミング的にも良かったのでしょう。

古屋 制度が平澤さんに追いついてきたんですよ。

身体機能の改善とともに,生活を支えるのが訪問ST

古屋 平澤さんは病院でのST経験もあるわけですけど,在宅訪問によって行うリハはどのような点に違いがあると感じていますか。

平澤 単純な違いとして,利用者の生活の場でリハを行えることや,制度や組織の枠に縛られず,長期的な視野に立った目標設定が可能であることが挙げられます。でも一番の違いはリハの重心の置きどころでしょう。

 訪問する利用者の多くは失語症の方ですが,私は「当事者の生活を支えること」に重きを置いています。それを実現するには,言語機能の改善も大事なのですが,その一点を考えて接すればよいわけではありません。実際の生活で使えるようにアレンジする必要があって,当事者やその家族の関係性,自宅での過ごし方についてなど,個別的な事情まで把握していなければ難しいものがあります。

――それらは病院のSTのリハに足りない点とも換言できるでしょうか。

古屋 病院では短い間で最大限の効果を得るべく,身体機能の改善に集約的にかかわっていく。そうした機能分化を前提としているわけですから,病院では短期間に身体機能の改善に注力すること自体は間違っていないと思うのですね。しかし,平澤さんは病院のSTによるリハが,患者が生活の場に戻ってきたときにまでつながったものになっていないのではないか,ということはかねて指摘されていますよね。

平澤 ええ。失語症を例にとると,病院のSTであれば,失語症検査で明らかになった言語機能の低下を改善させること,つまり身体機能の面に主眼を置くことになると思います。ただ,古屋先生がおっしゃるように,病院のSTがかかわれる期間は決して長くありません。その期間のみで日常生活の場面で十分な言語機能を発揮できるようにするのは困難と言えます。

 それにもかかわらず,限られた時間内でのリハでもって「言語療法は完了」とし,長期的な見通しのないままに地域へ帰しているケースも見られる。「生活の場に戻ったらどうなるか」というイメージや,「生活の場に移行した後にもケアが続いた場合は,どのように変わることができるのか」という視点が抜け落ちているのでないかと感じてしまうことが少なくないのです。

古屋 そのあたりは同感です。僕は,病院における「アセスメント」とか「ゴール」という言葉があまり好きではない。きちんと「限定的な環境における,一時的な判断」と認識した上で使われているのであれば,まだいいんです。しかし,時として,それが忘れ去られてしまっているかのように感じられることがある。

 本来,医療の目的は患者が日常の生活を取り戻すためにあるはずなのに,病院という極めて限定的な場における,一定の評価基準と短期的な目標にとらわれ,医療が患者のためにならない方向へと進んでしまうことがあるのです。転倒を予防するために拘束したけど,それに伴ってADLが著しく落ちて,退院後の生活はベッドから離れられない――。こうしたことって医療現場では本当に起こってしまっていますからね。長期的というか,本来的な目標をとらえ直すことがいかに大切であるかがわかります。

平澤 言葉にしても,食事にしても,その改善を期待してきた...

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