医学界新聞

対談・座談会

2011.10.31

座談会

精神科臨床のエキスパートになるには

野村総一郎氏(防衛医科大学校教授)=司会
中村純氏(産業医科大学教授)
青木省三氏(川崎医科大学教授)


 2011年7月,厚労省は,がん・脳卒中・心臓病・糖尿病の「4大疾病」に,新たに「精神疾患」を加えて「5大疾病」とし,重点的に対策を進めていく方針を明らかにした。精神疾患を診る重要性は高まり,現場ではその診療を担う"エキスパート"が求められている。

 このたび刊行される『精神科臨床エキスパート』シリーズ(医学書院)は,その道のエキスパートたちが,「私の臨床」という視点から臨床現場で必要になる実践的な考え方を伝授するもの。本座談会では,シリーズ編集に携わる3氏が,今求められる精神科医の理想像とその養成法を議論した。


野村 以前,学会帰りに乗ったタクシーの中で,運転手さんにある疑問をぶつけてみたことがあります。「すぐ近場までしか乗らない客に対して,タクシー運転手がムッとした態度をとる。これはプロとしてどうなのだろうか?」というものです。運転手さんが言うには,「そこでムッとするようなら,プロではない」。駅前で長時間待った末にようやく来たお客さんが,すぐ近場までしか利用しないのではやはりショックに違いないでしょう。しかし,彼は「『"待ち地獄"から救い出してくれた』『無線で他のお客さんを拾えるチャンスが広がった』と次を考えることのできる運転手,これこそがプロですよ」と話すわけです。この運転手さんの姿勢に,私は「プロフェッショナリズム」を感じました。

 ここで言うプロフェッショナリズムは,「職業魂」と言い換えるとわかりやすいかもしれません。「教師魂」「板前魂」「大工魂」といった,それぞれの職業人としてのプライド。これは精神科医も同様に持つべきものです。

 このたび『精神科臨床エキスパート』シリーズの編集に当たり,「そもそも『エキスパート』とはどのような臨床医を指すのだろうか」という疑問が頭をもたげたのですが,まさに今申し上げたような「プロフェッショナリズム」を体現している者こそ,「エキスパート」と言えるのではないでしょうか。今回の座談会では,精神科医のプロフェッショナリズムについて議論することで,エキスパート像を浮き彫りにし,さらにその養成法までを考えてみたいと思います。

「プロフェッショナリズム」を体現した精神科医

野村 まず,先生方がこれまでの医師生活の中で見た「これぞプロフェッショナリズムの体現」と思われる精神科医を教えてください。

中村 私が指導を受けた教授は,お盆のころになると,ポケットマネーで用意した線香と果物を医局員に持たせて,自殺された患者さんのお墓参りへ行くよう指示されていました。事件を起こした患者さんを警察まで迎えに行くようなこともされていて,ともすれば患者さんとの距離が近過ぎるようにも映るのですが,教授は患者さんのことを本気で思い,行動されていたのでしょう。論文執筆,研究,後進の教育と多忙な身でありながら,さらに患者さんに対しても真摯に向き合う姿にはプロフェッショナリズムを感じましたね。

青木 私は,研修医のころに指導を受けた先輩の医師が印象的です。

 当時の私は,医療保護入院の患者さんを閉鎖病棟へ入院させることが本当に妥当かとずいぶん悩んでいました。そんなある日,閉鎖病棟の扉を開けた途端に飛び出そうとした患者さんがいた。その瞬間,私が呆然と立ち尽くすしかできなかった一方で,その先輩は毅然とした態度で患者さんを制止したのです。おそらく先輩も私と同じ悩みを抱えていたはずなのですが,仕事として患者さんを保護する必要があると考え,覚悟を決めていたのでしょう。その姿を見て,自分が負う医師としての責任をきちんと認識し,身体でもってそれを示すことのできる者がプロなのだと感じました。

野村 私が印象に残っているのは,慶大精神科に入局して1週間も経たないころに,ベシュライバー(カルテ記載係)でついた故・伊藤斉先生です。

 統合失調症の若い女性患者さんの診察の際,先生が「入院しましょう」と話しかけたところ,患者さんが急にこちらに近づいてきて,先生の股間をギューッとつかんだ。私は驚いて何もできなかったのですが,伊藤先生は慌てずに患者さんの手を握り,「あっ,ごめんね! 僕,油断しちゃった」と逆に謝るような対応をされていたのです。その一部始終を目の当たりにした私が精神科に嫌気がさすことを心配されたのか,その晩,先生は食事をご馳走してくれました。その席で,「精神科医とは因果な商売だと思ったでしょうけど,もう遅いですよ」と笑いながらおっしゃっていましたが,私にしてみれば,あの場面で条件反射的に「ごめんね」という言葉が出る伊藤先生に,プロの姿を見る思いでした。

 その後も,さまざまな「大先生」と言える方々のベシュライバーを経験しましたが,共通していたのは「我慢強さ」です。患者さんに対しては,本当に我慢強い態度で接していらっしゃった。ただ,このような先生方が日常生活でも我慢強いかと言うとそうとも限らない。むしろ怒りっぽかった(笑)。つまり,先生方の人間性が卓越していたからではなく,精神科医という職業人としてのプロフェッショナリズムを持っていたからこそ,患者さんに対して我慢強くいられたと言い換えることができるかもしれません。

プロフェッショナリズムを支える4つの柱

野村 昨今では医学教育の分野でも「医師のプロフェッショナリズム」をキーワードとした議論が百出しています。書籍「Measuring Medical Professionalism」(オックスフォード大学出版局)の中で示された「プロフェッショナリズムの定義」の概念図()では,プロフェッショナリズムを支える柱として,「卓越性」「人間性」「説明責任」「利他主義」の4つを挙げています。この概念図を基に,「精神科医のプロフェッショナリズム」を考えた場合,4つの柱を構成する資質としてはどんなものが適当かを,われわれで考えてみたいと思います。

 オックスフォード大が作成した「プロフェッショナリズムの定義」
「臨床能力(医学的知識)」,「コミュニケーション技術」,「倫理的および法的理解」を土台とし,「卓越性」「人間性」「説明責任」「利他主義」の4つの柱でプロフェッショナリズムが支えられている。(Stern DT.Measuring medical professionalism.Oxford University Press,2006,p19より)

 まず私の個人的な見解として,以下の4つの資質を挙げてみます。まず,「卓越性」は「勉強する習慣」と言い換えてよいのではないでしょうか。精神科医たる者,やはり勉強は大事であり,それが「臨床能力(医学的知識)」という土台になります。そして「人間性」は,「世話好き」と言い換える。面倒見が良く世話好きの方にはやはり精神科医の適性があると感じます。「説明責任」は「説明能力」としてみる。精神疾患を持つが故に理解力に乏しかったり,物事を歪んでとらえたりする患者さんと接する機会があるので,きちんとした説明をできる能力が求められますよね。最後に,「利他主義」を「患者の立場で考える」と言い換えてみました。これは「いつも患者さんの味方であれ」という意味ではありません。医師として医学的な側面から患者さんを冷静に観察するのは当然として,その上で患者さんの視点に立って考えることのできる能力が大事だと思っています。

 さて,以上の4つを「精神科医のプロフェッショナリズム」を支える資質として挙げましたが,お二人はどうお考えでしょうか。

中村 「人間性」を「世話好き」と置き換えられていますが,ここではさらに突っ込んで,「臨床が好き」や「患者さんが好き」とするのはいかがでしょうか。臨床現場では患者さんへ積極的にかかわっていくことが大事だと思います。

野村 「世話」ではなく,「人間」そのものが好きということですかね。

青木 ただ,不器用で,世話をしたり,人間にかかわったりするのが決して上手とは言えないけれど,だからこそ患者さんの抱える孤独に共感でき,結果として非常にうまく患者さんに寄り添うことのできる医師もいます。

野村 確かにそうかもしれませんね。「世話好き」に代わるものとして,例えば冒頭で挙げた「我慢強さ」だといかがでしょう。私がエキスパートだと感じた先生方は皆共通して我慢強かったように思うのです。

青木 そうですね。「患者さんが十分にお話しされるまでは口をはさまずに聞く」ことを実践するのも大事です。そういう意味では,「我慢強さ」も大切と言えるのかもしれません。

患者背景を知ることで,診療の質が上がる

中村 野村先生が先ほど挙げ...

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