医学界新聞


転んだ数だけ立ち上がる 初めの一歩をいま踏み出そう

寄稿 山岸暁美,新井陽子,小笹由香,村岡修子,岩本大希,内橋恵

2024.05.14 医学界新聞(通常号):第3561号より

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 日勤でのひとり立ち,初めての夜勤。この春から入職した新人ナースの皆さんにとっては,毎日が不安や緊張,失敗と反省の連続ではないでしょうか。「先輩みたいに自分もテキパキ仕事ができるようになるのだろうか」「この仕事,自分に向いているのかな」と悩むこともあるかもしれませんが,それは誰もが通る道です。

 多くの苦い経験から何度も立ち上がってきた先輩から,新人の皆さんへの応援歌が届きました。

①新人ナース時代の「今だから笑って話せるトホホ体験・失敗談」
②忘れ得ぬ出会い
③あの頃にタイムスリップ!思い出の曲とその理由
④新人ナースへのメッセージ

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コミュニティヘルス研究機構 機構長・理事長
慶應義塾大学公衆衛生学教室

①「明日までに髪を黒く染めてきます! 秩序を乱し申し訳ありませんでしたっ!」。師長会議で,顔厚忸怩,深々と頭を下げたのは,金髪の私でした。英国での半年余りの調査事業の任務を完了して帰国後,某ナショナルセンターにも籍を置きつつ,退院支援関連の実践と研究を担当することになった初日の話です。

 そもそも,英国滞在中に白髪染めに美容院へ行ったところ,美容師さんから「私,黒髪を染めたことないけど,うん,きっと大丈夫」と言われた時点で「ヤバい!」と思いましたが,時すでに遅し,見事な金髪に! もろもろの事情により帰国が後ろ倒しになったことから,染め直す間もなく勤務初日を迎えてしまったのでした。

 午前中,各病棟にごあいさつに回り,看護部長室に入るや否や「あ,あなた,その髪(絶句)」。この時の看護部長のハトが豆鉄砲をくらったようなお顔は一生忘れません。「『金髪の人は悪い人ではなさそうだが,あの髪は何とかしてもらわないと!』と電話が鳴りっぱなしよ」と言われました。

 そんな訳で,師長会でお詫びして,その日のうちに美容院に駆け込んだのでした。

②心疾患を患い,入退院を繰り返していた企業戦士のAさん。ある退院を境にパタリと入院されなくなったのです。ある日,私は外来でAさんにバッタリお会いしました。「あなたが教育担当していた新人看護師のBさんいるでしょ(私がBさんのプリセプターだった)。Bさんはお元気ですか? 彼女が2年前の退院の際に,僕にいろいろ薬やら食事やら,最新の知見も交えて生活上の留意点を教えてくれたんですよ。僕は,『毎回,退院のたびに聞かされているし,また悪くなったら入院するのでよろしく』と,言わば投げやりに彼女に礼を言ったわけです。そしたら,彼女,目にいっぱい涙を浮かべて,『わかりました。でも,私は入院するほど苦しい思いをAさんにしてほしくありません。入院によってAさんのやりたいことや普段の生活が妨げられないよう,少しでも元気に過ごして欲しいんです。奥さまも入院のたびに心を痛めておられます。Aさんのことを大切に思い,またAさんの夢を応援したいという人たちが周りにもいらっしゃいます。私もその一人です』って声を震わせながら言われてね。そして,彼女,自宅での療養のポイントをまとめた手書きのパンフレットをそっと置いていった。それを読みながら,本当に思うところがあったよ……。僕が好きだと話したコスモスのイラストがあちこちにちりばめられていた。その退院から僕は,いろいろと生活を再構築する形で彼女の作ってくれたパンフレットの内容を遵守し,こうして元気に過ごしているってわけです。Bさんはあの頃,入職して半年くらいだったかと思うけど,彼女は今もなお,僕にとって最高の看護師さんなんです。僕ね,退院してから夢だった新規事業を立ち上げました。それが成功したら『あなたのおかげで僕は人生を仕切り直しできた』って彼女にお礼を言いに行きたいと思っています」。

 B看護師は,人として真正面からAさんに向き合い,彼の心を動かしたのでしょう。私も「ケアとは何か」を新人だった彼女から改めて教わった気がします。

③職場に向かうため家のドアを開けた瞬間にイヤホンから流していたのはサザンオールスターズの『希望の轍』でした。イントロの疾走感のあるピアノソロと「Hey!」という桑田さんの声を聴いて,自分を鼓舞していました。過去を肯定して未来へ向かって走っていく爽やかさと切なさ,歩み,そしてできた轍は未来の希望につながっているのだと思わせてくれる,今も大好きな曲です。

④制度化,機械化が進み,効率化や生産性ばかりが問われる医療・ケア現場は「人間性に欠ける場」になってしまいがちです。さまざまな思いの中にいらっしゃる患者・利用者さんやそのご家族を慰め,励まし,癒すことのできる「ケア」を私たち看護師が軽視したり,手放したりすることがあってはならない。これが未来のケアを担う大切な存在である新人の皆さんにお伝えしたい私からのメッセージです。


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群馬大学大学院保健学研究科 教授

①今から約30年前の新人時代……。すでに忘却の彼方となっていますが,その中でも記憶に残っているのは,ある週末の朝の,路上で墜落産した母子の搬送依頼にまつわる体験です。新人の私は,先輩にサポートしていただきながら対応することになりました。救急隊からの情報は「母親は当院未受診の初産婦であり,生まれた赤ちゃんは元気に泣いている」との情報だけでした。私は,妊娠週数不明であること,生まれた赤ちゃんが低体温の可能性があることなどを想定し,すぐに小児科医の診察とNICUへの入室準備の必要性を考えました。血液検査をしていないことは明白なので,感染症の可能性を考えて,分娩室の準備も行いました。そう,ここまでは1年生なりに頑張って考えていたのです。

 その後,救急隊が到着したと連絡があり,病棟の入口で待っていました。救急隊が移送しているストレッチャーには母親が横たわり,保温用のアルミシートにくるまって元気に泣く赤ちゃんがいました。すぐに赤ちゃんを預かり新生児科医と状況を確認してNICU病棟に移送し,分娩室に戻ってきました。その時に,ふと周りを見ると,先輩はガウンと手袋をしています。私は素手で赤ちゃんを触っていました……。当時は,現在行われているような標準予防策(スタンダードプリコーション)という考えがまだなかったので,出血や羊水にまみれた状態の赤ちゃんを素手で触っていました。とはいえ,今回は感染症未検査です。生まれたての赤ちゃんを目の前に慌ててしまい,普段通り素手で対応してしまいました。

 新人の自分に対して,「アセスメントは頑張ったのに,最後の最後にツメが甘かった!」と今なら笑って言えますが,その当時は,不安でしょうがなかった私がいます。皆さん,緊急時こそ基本に忠実に対応することが重要です!

②先輩方との出会いは忘れ得ぬ出会いです。最初の夜勤の時,準夜勤のあとに食事に連れて行っていただいたこともあります。夜の12時を過ぎての食事,それもかなりヘビーな中華や串揚げなどです。でも,夜勤後はどんなにつらい思いをしても先輩方と話すことでクールダウンでき,気持ちを切り替えて帰宅できたことを覚えています。そして,その先輩方は私たち新人が失敗すると,上司には「自分の指導が悪かった」と謝罪してくださっていました。先輩に申し訳ないと思いながら,自分自身を省みる機会としていました。自分もそんな先輩になりたいと,今でもロールモデルにしています。

③米米CLUBの『浪漫飛行』。長期休暇がもらえるようになったら,CMのように綺麗な海がある場所に旅行に行きたいと憧れていたのを思い出します。カールスモーキー石井さんの声も好きでした。

④初めての時は上手くいかないこともたくさんあります。安心して周囲を頼ってください。今たくさんできるように見える先輩たちも最初は何もできませんでした。先輩たちも同じ道を通っていますので安心してくださいね。そして,on/offの切り替えはしっかりと! お休みの日は,全てを忘れて遊びましょう。気分転換は仕事をしていく上でとても大切な要素だと思います。ちなみに,私はライブに行くのが今でも楽しみです。


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東京医科歯科大学大学院保健衛生学研究科 准教授

①助産師として勤務しようと意気込んでいた新人の私は,あっさり内科病棟に配属となりました。毎日ナースステーションの本棚から参考書を取り出し,新しく入院となる患者さんに関する情報収集を試みる日々でした。そしてある時,事件は起こりました。先輩が親切にも,「糖尿病の患者さんの自己注射,見たことないよね? とりあえずインシュリン用意してきて!」と,ケアに同席するよう声を掛けてくれたのです。「インシュリンって冷蔵庫にあるよね。自己注射の注射器って細いし,針もすごく細いはず。もしかしたら患者さんのところにある注射器に移し替えるのかな」と考え,18Gの針でインシュリンをバイアルから全量(10 mLくらい)吸出し,意気揚々とベッドサイドに行きました。病室に着くなり私が手に持つシリンジを見て,親切な先輩の顔がみるみる赤黒くなりました。患者さんも驚いているなと思った瞬間,「とりあえずナースステーションに戻って!!!」と,すごい剣幕で言われました。ナースステーションに戻ってからは,もちろん大目玉です。「小笹さん,患者さんを殺す気なのっ!」。そうですよね。さすがに新人の私でも全量を注射しようとは考えていませんでしたが,先輩や患者さんからすれば,そのように見えても不思議はありません。しどろもどろになりながら何とか弁明したところ,先輩がホッとした顔をして「わからないことがあったら,ちゃんと事前に聞いたり,準備したりしなくちゃ。患者さんだってビックリするもの」と言われました。取り返しのつかないインシデントとなる可能性があったことを,肝に銘じた事件でした。自信がなかったら,口に出して聞いてみよう!

②そんな内科病棟時代に,ある2型糖尿病の男性患者さんを受け持ちました。「歩きましょうね,お食事は考えましょうね」と,新人の私がどんなに説明しても,ニコニコ受け答えしてくれるものの,ちっとも改善の余地がない。まさに「生活習慣による病いなのだ」と理解させられる,そんな受け持ち体験でした。ほどなくして産科病棟に異動し,妊娠性糖尿病の悪化もあって,帝王切開となった褥婦さんを受け持ちました。「なんかやっぱり,ごはんとかやめられないのよね~。前の子の後も大丈夫だったし」と,とても楽観的でした。「困ったなあ。わかってもらえるためにできることないかなぁ」などと,病棟の廊下で思案しながら歩いていると,内科病棟時代の受け持ちだった先の男性が前から歩いてこられました。「お久しぶりですね,どうされたのですか?」と聞くと,娘が帝王切開で2人目を生んだので,会いに来たとのこと。そうです。あの糖尿病の男性患者さんの娘さんが,妊娠性糖尿病で帝王切開になった方だったのです。不本意ながら内科病棟に配属になったことは,「産科だけわかればいい」と考えそうになっていた私に「親子とは,生活習慣とは」ということを考えさせてくれる貴重な体験のためだったのだと思います。

③藤井フミヤの『Another Orion』。当時の個人的な心情と合っていたからでしょうね(笑)。

④「人生はみんな正解」と,亡き父がよく言っていました。どのような経験も,きっとみなさんを形成する,大切なコト,時間,モノ,ヒトとつながるのではないかなと思います。いろんな世界を見て,聞いて,歩んで,時には休んだりしてくださいね!反省はしても,後悔はしないでおこう!


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NTT東日本関東病院看護部 副看護部長

①遅出業務を担当していた時,「紙パンツに血液が少量付着していました。便は茶色の水様便です」と日勤の先輩看護師から申し送りがあった患者さんがいました。その言葉が気になったため勤務終了間際に訪室したところ,患者さんの様子が何かおかしいと感じました。「紙パンツを見せていただいてもよろしいですか」と問いかけたところ,うなずきがあったので布団を外しました。すると,大量の血で汚染されたタオルケットと紙おむつから漏れ出た大きな血塊を目の当たりにしました。

 驚いた私は,すぐに先輩看護師のところに駆けつけ,「〇〇さん,下血しています」と報告しました。「どのくらい出血している?」と先輩から質問があったため「いっぱいです」と回答しました。先輩は怪訝な顔をして,もう一度「どのくらいなの?」と私に尋ねました。わたしは真顔で「“わしゃっと”です」と両手を広げてジェスチャーを交えて伝えました。そんな私に,「“わしゃっと”ってどのくらいなんだ」とつぶやきながらも,すぐに患者さんの部屋へ行き,バイタルサインを測定し医師へ報告していた先輩の姿は今でも覚えています。ちなみに先輩は,「先生,〇〇さんですが,タオルケット半分を汚染するほどの大量の下血と紙パンツからはみ出るほど大きな血塊が出ています。血圧も低下しています」と報告し指示を仰いでいました。

 その後,職場でしばらくの間“わしゃっと”という言葉が意味なく使用され,先輩方にいじられたのは言うまでもありません。

②新人の頃,「君は将来,看護師長になるね」と言ってくださった患者さんがいました。つらいときはその言葉を思い出して頑張り,本当に看護師長になりました。

 また,中堅の頃,「気骨がある資料と説明だけど,みんなを引き付ける何かがあるといいんじゃない?」と言ってくださった某大学病院の医療情報部部長には今でも感謝しています。まだまだ先生の域には達していませんが,講演の機会をいただくことが増えてきました。

③新人から現在に至るまで好きな曲は,サザンオールスターズの『希望の轍』です。「夢を乗せて走る車道~明日への旅~」で始まるこの曲を聞くたびに,看護師になると決断した時の情熱を想起し,明日は明日の風が吹く,先に進もうという気持ちになります。

④臨床現場では,たくさんの人との出会いがあります。その出会いの中では,楽しい経験だけではなく苦しい経験もあります。しかし,その経験は私たちには大切です。特に苦しい経験や困難を乗り越えたときの体験を得ることは,疾患や障がいをもつ患者や家族と向き合う際にいかされることでしょう。

 看護には,理論やエビデンスは不可欠です。しかしながら,看護アセスメントや実践にはエビデンスだけではなく,患者の価値観や看護師の感性,経験も重要と考えます。経験を積むためには失敗を恐れず,新しいことにチャレンジしましょう。また,看護以外の世界にも視野を広げて,他の産業や国から看護を俯瞰的にみてみましょう。新しい発見や気づきが,皆さんを待っています。


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WyL株式会社代表取締役

①新たに入職された皆さんおめでとうございます。私は新卒時,相模原にある北里大学病院の救命救急センターでデビューをしました。卒業した大学とは全く別の場所・コミュニティでやっていくぞという気持ちで胸いっぱいでした。ところが,私はまあまあポンコツでそんなに仕事ができるほうではないことを自覚していく日々でした。特に「細かいことは気にしないぜ!」という性格の私にとって,細かい管理や気遣いが重要なこの仕事は真逆の性質であると,就職してから気づかされるくらいにはのんびりしていました。仕事自体は楽しく,日々厳しくも優しい先輩から指導を受けつつも,毎日小さな失敗をたくさん重ねていました。特に,同じミスを繰り返すこともあり,「同じことを何度言われるのか?」と自分自身にゲンナリすることもありました。だからこそ,今は指導する側になって,当時の自分を思い出しながら「10回同じことを聞かれても(指導しても)気持ちよく答えよう」という10回ルールを肝に銘じています。

 病院内での失敗は数知れない自分ですが,仕事がそんなにできなくても,「愛嬌があり元気よく素直でいることでちゃんと周囲は認めてくれる」と皆さんにお伝えしたいです。自分は愛嬌でカバーするしかない面もあったので,仕事を頑張りつつ明るくポジティブに過ごし,飲み会などにも積極的に参加して一人の人間として気に入ってもらうことを大事にしていました。そうすると,仕事ができない奴なりに先輩たちも可愛がって教えてくれることが増え,仕事面でも成長できる機会につながっていきます。ただし,この方法は諸刃の剣でもあります。(お酒が好きなのもありますが)積極的に先輩たちや同期たちと飲みに行きすぎて,前後不覚になるまで酔い雨のなか駅前のロータリーで寝てしまい,寝坊して日勤に間に合わずにしこたま叱られることもありました。また,腰痛予防には筋トレがいいと先輩から聞き,その後ジムに通い始めたことをやや自慢げに語っていたら,筋トレ中にぎっくり腰で動けなくなり1週間勤務できなくなったこともあります。自分が上司であれば「調子いいのもいい加減にしとけよ~」と小言を言いたい新人だったと思います。皆さんにはほどほどに良いバランスでやっていただけば幸いです。

②三次救急だったので外傷の患者さんもたくさん運ばれてくるのですが,なかでも自分と同じくらいの年齢の男性がバイク事故で運ばれてきたのをよく覚えています。その頃は自分もバイクに乗っていたこともあり,とても印象的でした。大変な事故と怪我,そして壮絶な治療を乗り越えなんとか回復し,その後転院・退院したあとも病棟に遊びに来てくれました。病院で働いていると退院した後のことを知ることができないので,その後の生活を想像することが難しいわけですが,この方との出会いを通じて,退院してもその方の人生は続くのだよな,と当たり前のことを感じたり,患者と医療者という枠を超えて関係が続いていくというのは素敵なことなんだな,と今の仕事に通じる感情を抱いたりしたことを覚えています。

③Nujabes×Shing02の『Luv(sic)』。Nujabesが好きだったのと,その頃の失恋を重ねて。

④繰り返しになりますが,仕事は誰しもがいきなりできるなんてことはないです。僕のようにポンコツで仕事ができなかったとしても,愛嬌があり元気よく素直でいることは,どの職場でも重要なことだと思います。綺麗事ではなく,そうすることにより自分の技術だけで解決できない場合も周囲に助けられ,結果的に仕事の成果も上がっていくからです。なんなら,仕事がどれだけできても攻撃的でネガティブで怒りっぽい人は組織にも関係者にもあまり歓迎されませんし,長期的に評価されず成果を出せません。そして重要なポイントは,仕事における愛嬌や元気の良さや素直さ,ポジティブさは,持って生まれた気質や性格ではなく努力で実現できる点です。なので,機嫌良く楽しく働けるよう,前を向いて楽しんでください(飲み会に参加せよ!という意味ではありません)。


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Nurture代表

①夜勤の見回り中,腹部に皮膚潰瘍が形成されていた患者から「お腹が痒いから見てほしい」と言われ,ガーゼを剥がして観察。すると白くうごめくものが見え,「虫が湧いている!?」と思った私は,すぐさま当直医師に電話し,仮眠中の先輩ナースを起こしに行った。よほど気が動転していたのか,病室に運ぼうとした処置カートをガンッと壁にぶつけてしまうという最悪の状況。実際は人工血管が潰瘍部分から表出していて,それを虫と勘違いしただけだった……。

 その後のステーションでの重苦しい雰囲気は,思い出すだけで今も震える(笑)。とても謝罪を言い出せる雰囲気ではなく,先輩ナースからの「なぜ虫とアセスメントしたのか,正直にカルテに記録しなさい」という指示に,ただただ涙を流しながら従った。実は人工血管に置換されていることはカルテに記録があったのだが,当時,医師は自筆かつドイツ語で記録するため,字が汚くて読めなかった(そもそもドイツ語の「人工血管」なんて知らない)。当然これらの言葉はメガトン級の重りをつけて飲み込んだが,読みづらいことを言い訳に,先輩ナースが書く看護記録だけで情報収集していた私,後悔先に立たず……。

 夜勤が明けると師長から当然のごとく呼び出しを受け,「本当に虫だったとしても,慌てて対応することがどれだけ患者さんを不安にしたか分かる?看護婦には,冷静さが求められるのよ」と注意された。新人ナース時代の失敗談は数多くあるが,30年以上たっても昨日のことのように思い出されるのはこの件しかない。当時は,失敗というより事件ぐらいのレベルで怒られた。

 この事件以降,私の観察力への信用はガタ落ち。タール便を報告すれば「黒色便じゃなくタール便?その違いを説明して」と言われ,あるいは捻髪音を報告すると「どこの部位だった?」と質問の嵐を受けた。必然的に勉強をする羽目に(トホホ)。その時のメモ帳はすっかりボロボロになったが,今もかけがえのない相棒である。

②格好をつけているようだが,本当に全ての患者さんとの出会いが忘れられない。

 採血を失敗しても「何度でも刺したらええ,新人の時は失敗するものや」,剃毛に時間がかかっても「丁寧にありがとな」のように温かい言葉をもらうこともあった反面,「採血下手やな,違う人に変わって」「遅い,早よして」と言われ,表情が強張ったこともある。でも,後から「さっきはキツい言い方してごめんな」「いい看護婦さんなりよ」と声をかけられたことも。振り返ると,患者さん1人ひとりの言葉が,スポンジに水が少しずつ染み込むように私の看護観を形成したと思う。何度も看護の仕事を辞めよう,来月こそ退職しようと決心したこともあったが,結局,患者さんの「ありがとう」の言葉に励まされ,看護を続けて来られた。

③PRINCESS PRINCESSの『M』一択(笑)。国試直前に友達が失恋をして,一晩中ドライブに付き合った時にかかっていた曲で,友達の涙にもらい泣きしながら,ナースになって,もっと良い彼氏見つけて見返すんや,絶対国試受かろなと,猛烈に勉強した。

④「大きな意味で看護に間違いはない」。いつも新人ナースに贈る言葉である。正解か?を気にする必要はなく,自分らしくのびのびと看護を楽しんでほしい。あなたの誠実さは患者さん本人が一番わかっている。失敗しても患者さんに許されるナースであれ。You can do it!

 

:会話文中に「看護婦」とありますが,当時の表現をそのまま使用しています。


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