医学界新聞


ゼロ次予防の社会実装

寄稿 井手一茂

2024.02.19 週刊医学界新聞(通常号):第3554号より

 暮らしているだけで健康になるまち――。そんなまちは存在するのだろうか? 人間の行動や健康には,本人の自覚や努力のみならず,個人を取り巻くさまざまな環境要因が関係しているというエビデンスが徐々に蓄積されてきている1)。本稿では,まず,暮らしているだけで健康になるまちづくりの根幹をなす“ゼロ次予防”の重要性と科学的根拠について,われわれが取り組む日本老年学的評価研究(Japan Gerontological Evaluation Study:JAGES)2)の知見より概説する。その上で,暮らしているだけで健康で活動的になるコミュニティ(Well Active Community::WACo)1)に関する千葉大学予防医学センターの取り組みを紹介する。

 JAGESでは,北は北海道から南は九州までの多くの市町村と共同し,要介護認定を受けていない65歳以上の高齢者を対象とした全国規模の大規模調査を3年に1回実施してきた2)。直近の2022年調査(75市町村,約22.8万人を対象)より,認知症のリスクとされる買い物,食事の用意,公共交通機関利用などの手段的日常生活動作(IADL)の低下者割合を市町村ごとに集計し,比較したものが図1である。IADL低下者割合は,2.3%から9.7%(平均6.5%)と,最大7.4ポイントの市町村差があった。つまり,暮らしているだけで4.2倍認知症になりやすいまちが存在していた。

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図1 認知症リスク(IADL低下者割合)の市町村差(文献2より)
JAGES2022調査(参加75市町村)におけるIADL低下者の割合。1つの棒が1市町村を示す。各市町村の高齢化の影響を取り除くために,要介護認定を受けていない前期高齢者に限定している。

 では,認知症になりにくいまちにはどのような特徴があるのだろうか? まず,“歩く人が多いまちでは認知症リスクが低い”という特徴がみえてきた1)。そして,そのようなまちでは,歩道,公園や高齢者の外出目的の上位である生鮮食料品店が整備されているということもわかった。こうした歩きやすい・目的地があるという環境が行動につながり,認知症になりにくいまちの一因となっている可能性がある。次に,“社会参加している人が多いまちでは認知症リスクが低い”こともわかってきた。地域における通いの場,スポーツや趣味の会などへ参加している高齢者は,その後の要介護認定を受けたり,認知症を発症したりしにくいことが個人を追跡した多くの縦断研究でも報告されてきた3)。さらに,驚くべきことに,地域(おおよそ小・中学校区相当)レベルで社会参加をしている人の割合が高くなることで,その恩恵が参加していない人にも及ぶ(参加していない人も暮らしているだけで要介護認定を受けたり,認知症を発症したりしにくくなる)こともわかった。これは,地域組織に参加しやすい,人とつながりやすい環境をつくることで,参加者だけでなく,その地域全体の高齢者の健康にも寄与することを示唆している。

 こうした個人を取り巻く地域・社会環境の整備を重視した新しい予防の考え方が「ゼロ次予防」である。世界保健機関は「ゼロ次予防」を「原因となる社会経済的,環境的,行動条件の発生を防ぐための対策を取ること」と定義している4)。これまでの一次・二次・三次予防は,個人に着目したアプローチであった。それに対し,「ゼロ次予防」とはそこに暮らしていれば,本人がさほど努力や我慢をせずとも,健康になってしまうような地域・社会環境づくりであり,元気な対象者から障がいをもつ対象者まで,どの領域においても基盤となる重要な考え方と言える5)。2024年度から開始される健康日本21(第三次)の概念図6)においても,「自然に健康になれる環境づくり」が新たに加わった.今後,個人を取り巻く地域・社会環境にアプローチする「ゼロ次予防」は必須の考え方になると考えられる。

 千葉大学予防医学センターでは,ゼロ次予防戦略に基づき,WACoの社会実......

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千葉大学予防医学センター健康まちづくり共同研究部門 特任助教

2008年広島大卒。理学療法士。20年千葉大で医学博士号取得後,同大予防医学センター社会予防医学部門特任研究員。同部門特任助教を経て,23年4月より現職。千葉県八街市を中心に介護予防・障がい福祉・まちづくりにも従事する。研究関心は,通いの場,Age-Friendly cities。

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