医学界新聞

対談・座談会 朝倉京子,丸山和昭

2024.01.22 週刊医学界新聞(看護号):第3550号より

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 看護師の専門性はどこにあるのか――。たびたび俎上に載る話題であるものの,一定の答えを得ることの難しい問いでもある。本紙では,看護職の専門性を研究テーマとする朝倉京子氏,専門職論を専門とする教育社会学者の丸山和昭氏による対談を企画。専門職論における知見のプールを道具立てに,専門職としての看護師にこれまでにない角度から光を当てた。

朝倉 このたびはお声掛けいただきありがとうございます。私は看護職の専門性を研究テーマの一つにしていまして,昨年の日本看護管理学会学術集会で丸山先生の専門職論に関する講演を拝聴してから,腰を据えてお話ししてみたいと思っていました。

丸山 学会での報告に当たっては,朝倉先生の研究が大変勉強になりました。私自身は,社会学的に見た専門職の在り方への関心から,教員や心理職を対象に研究してきました。看護についてはまだわからないことばかりなのですが,わからないなりに看護の世界を外側から見た際の疑問や,教員等他の専門職と比較したときの看護職の課題について,役立つ視点を本日の対談で示すことができれば幸いです。

朝倉 専門職論と聞いてもピンとこない看護師も多いかと思います。まずは,専門職論の領域内におけるこれまでの議論の変遷をお教えいただけますでしょうか。

丸山 専門職論の歴史を振り返るとき,出発点には「何をもって専門職と見なすか」という問いがありました。1930年代に書かれた専門職論の古典1)の背景には,次のような社会学的関心があります。“近代化の過程で全ての働き手はプロレタリアート(賃金労働者)と資本家に分かれるという階級論の予測に対し,そのどちらにも分類できない職業集団が存在感を増している。中でも専門職(profession)は,専門性をもって自律的に働くという点で伝統的な労働者とは異なる存在であり,資本家に対しても一定の交渉力を持つことができる”。そうした専門職として代表的なのは医師と法律家ですね。さらに,看護師や教師など多くの職種が,専門職としての地位の獲得,つまり専門職化をめざした運動を展開しました。その際に議論されたのが「何をもって専門職と見なすか」,すなわち専門職の成立要件です。

朝倉 成立要件にはさまざまな要素が挙げられますが,自律性,独自で高度な知識体系,公共性の3つにまとめられると個人的には考えています2)

丸山 その3つは,専門職の中核的な要件として取り上げられることが多いですね。特に自律性(autonomy)は,専門職の働き方の特徴や,専門職が持つパワーを顕著に示す要件として議論の対象とされてきました。

 自律性の基盤となるのが,独自で高度な知識体系です。専門的な知識・技術を持っていない者には専門職の行う実践の良し悪しを判断できないため,結果として専門職には一定の裁量が与えられ,それが自律性につながるといった理路です。

 公共性については,自分たちの利益のためではなくクライエントの課題解決や公益のために自身の専門性を発揮して,その結果として対価を得るといったモデルが,欧米,特に英語圏の専門職の理想像であったことと関係しています。自らの稼ぎという目的が第一ではないことが,労働者や資本家とは異なる点として強調されてきました。

朝倉 欧米で発達してきた専門職論の考え方が,日本の知的職業の発達をとらえる上で有効であるかについてはどうお考えでしょうか。ベースにある考え方や習慣などが欧米と日本では異なっていることから,自律性にかかわる人間の個としての成り立ちがそもそも異なる感覚を抱いています。

丸山 欧米諸国の間でも,英語圏(アングロ・サクソン系)と大陸ヨーロッパでは自律性のとらえ方が異なるといった研究があり,1980年代以降に議論が重ねられています。ですから,日本ではなおさら自律性のとらえ方が異なってくるだろうとは私も考えるところです。

丸山 一方で,専門職性とは職業を通じた卓越性の表現であるとも言え,そうした卓越性は日本にもあるはずです。自分たちだからこそ深く見えるものがあるという差異の感覚が専門職性の基本にはあって,それは実際に専門職の人たちの言葉や文章に表れていますから。また,制度レベルで卓越性を担保するものとして学位,公的資格,職業集団を通じた横のつながりが挙げられますが,それらが専門職の制度要件として想定されている点も,日本と欧米に共通します。そういう意味で,欧米を中心に発展してきた専門職論の考え方は日本にも適用し得ると考えています。

朝倉 制度面での違いもあるのでしょうか。

丸山 日本では国家資格が専門職性の源泉として強く,学位への信頼が他国に比べると弱い。また,職業集団よりも同じ職場で働く現場のつながり,職場への帰属意識のほうが強くなりやすいといった特徴があると考えます。ベースは同じだけれど特徴があるという意味で,日本型プロフェッショナリズムというものが成立し得るのではないでしょうか。

朝倉 職業集団よりも職場への帰属意識が強いとの指摘には首肯します。ジョブ型・メンバーシップ型といった雇用スタイルの違いや,そこから派生する労働組合の在り方の違い(註1)は無視できないファクターとして存在していそうです。

丸山 日本でも医師については,国家資格の威信と学位への信頼が直結しており,職場を越えた職業集団の力が強い。法律家も同様です。しかし,このような在り方は日本社会における例外なのでしょう。例えば学校教員に関しては採用を担う各地の教育委員会の力が強いですし,地域を越えた全国的な職業集団としてのつながりには弱さがあります。看護師はどうでしょうか。

朝倉 看護師も教員と同様に,職場の引力が強いです。例外として日本医療労働組合連合会(医労連)といった連合体も存在しますが全ての病院が加入しているわけではないですし,基本的には事業所ごとに労働組合があります。海外のように職業集団単位の労働組合が運動を行って,全体に底上げされた給与テーブルがどこの病院に就職しても適用されるといったことはありません。

 医師と法律家は日本においても初めから独立・開業が可能であったのに対して,教員も看護師も組織に雇用されることが基本の職業です。その違いは大きいのではないでしょうか。

丸山 根本的な違いだと思います。雇われることを前提に成立する職業として,教員や看護師は日本社会の雇用慣行をより強く反映してきたのでしょう。

丸山 ここ最近の看護師の専門職化について,進展の状況はどのような具合でしょうか。

朝倉 看護職の教育が専門学校から大学に移行したという観点からは,2010年には188校あった看護学部を持つ大学は2020年には274校へと増えていて,看護系大学院も同様に増加しています。また,増加した英語ジャーナルに日本人も論文をどんどん発表するようになり,専門職の成立要件の一つである独自で高度な知識体系は積み上がっていると言えるでしょう。公共性についても,社会に必要不可欠なサービスを提供する職業集団であるとの認識がコロナ禍で一般に広がったことに加え,看護界の内部でも自覚が強まっていると考えられます。

 一方で,自律性については何とも言い難いところです。制度面では進展があり,2014年に創設された「特定行為に係る看護師の研修制度」によって一部医行為の実施が可能となりました。しかし,あくまでも医師の包括的指示の下で行うことには変わりなく,医行為を行うかどうか判断するある程度の裁量は与えられたものの,厳密な意味で医行為の導入を決定する権限が与えられたわけではありません。自律性の拡大には権限の拡大が伴うべきと考えた場合,例えば米国のNurse Practitionerが広範囲な薬剤の処方を行えることに鑑みると,日本の看護師の自律性が向上したとは言いづらいです。

丸山 医師の権限との関係は,看護職の専門職性を考えるに当たって避けては通れないポイントですね。先ほど専門職の自律性が正当化される理路をお話ししましたが,他方で専門職の自律性は,それ以外の者の自律性の抑圧と表裏一体であるとしてしばしば批判を受けます。特に医師に関しては,医学の専門性に裏付けられた高度な自律性を発揮するものの,それが患者や隣接職種の判断の自由,裁量を奪うことにつながっているとの問題も,専門職論の中では議論されてきました。そういう意味で,看護職の専門職化は,医師の強すぎる自律性を相対化する動きとして正当化され得る側面があると考えます。

 「医師の指示の下」という制度上の規定は,日本社会の文脈において容易には変わらないものかもしれません。同時に,医行為にかかわる看護師の自律性については,法・制度レベルでの限界を,現場レベルにおける裁量の拡大や,世論における理解の獲得によって乗り越える可能性もあるのではないかとも考えます。複数の専門職間の葛藤に注目した米国の社会学者Andrew Abbottは,特定の業務に対する専門職の管轄権(jurisdiction,註2)が,法・制度レベル,公衆レベル,現場レベルの三段階において,重なり合いながらも,それぞれ別々の様態で成立し得ることを示しています。実際,看護師の管轄権に注目した海外の研究では,公式の制度が定める裁量の限界を,現場レベルの交渉や学習によって克服する事例が数多く報告されています(註3)。現場レベルの自律的な実践が積み重なり,職業集団レベルで共有され,徐々に世論(公衆)レベルの変化,さらには法・制度レベルの変化につながる,といった形で自律性が確立されていく道筋はあり得るかもしれません。

朝倉 他職種の領域に分け入って権限を獲得することで専門職化が進むだろうと思う一方で,今取り組んでいることの中にも可視化されていない/されにくい専門職性があるはずだとも考えています。最終行為者としての看護師が責任を果たそうとするプロセスを,聞き取り調査をもとに描き出した博士論文3)が,先日本学の研究室から発表されました。看護師の仕事は一見医師の指示を受けて受動的に行われているように見えますが,患者に対して診療行為を施す最終実施者として,その行為を実施するか否かについて最終的な判断を下していること,すなわち「関門」として最終的な判断をする権限を行使しているとの見解を提示する論文です。この研究成果から,これまで看護職が取り組んできたことの中にも高い自律性の芽はあるのだと感じました。わかりやすくて華々しく見える権限の拡大とは異なる,今あるものを再評価するといった方向性も業界として大切なのではないでしょうか。

丸山 同感です。総合的な知見をもって,観察の上に判断を下す。相当に高度な行為だと思います。それゆえに,全ての看護師ができるわけではないですよね。

朝倉 できている人とそうでない人の差は大きいと思います。傍から見ると同じに見えるかもしれないけれど,医師の指示をそのまま実行する看護師と,自らの判断を挟んでから実行に移る看護師では,たとえ行為の結果が同じでも大きな違いがあります。

 それを視覚化するために,看護師のプロフェッショナルとしての態度を測定するスケールを開発しました4)。看護師の専門性の全てを数値化して測定することは不可能ですが,少しでも可視化の役に立てばと。

丸山 見えにくい専門性をいかに説得的に示すのかとの課題は,学校教員と重なりますね。児童・生徒を総合的に観察した上での判断こそが教員の専門性の核にあるということが,教育学ではしばしば強調されます。目につきやすいのは教科教育のうまさですが,それだけなら塾講師が同等以上の力を持つかもしれません。本学大学院では現職の教員も学んでいますが,彼らと議論すると,普段から児童・生徒の様子や行動をよく見ているからこそ良い授業ができるし,良い教員とされる人たちはそうした感覚を共有している,との主張を耳にします。しかし,そうした専門性を外部に説明しようとすると,伝わりづらい。専門性に基づいて仕事をしているのか,そのことがどのような意義を持つのか,という点に見えにくさがあるのです。

朝倉 看護の世界では,Patricia Bennerをはじめとする看護学研究者らが卓越した看護師の実践を記述する試みを行っていて,日本でもそうした研究は長年行われているのですが,それを伝わりやすい形で社会に提示することで制度につなげる取り組みが必要なのかもしれません。

丸山 専門職化に伴う職域の拡大は一見良いことのように思われますが,負の側面も包含しています。現在,学校教員の長時間労働と志願者の減少が社会問題化しており,業務範囲の際限のない拡張は,適切な制度設計や資源配分を伴わない場合に過重労働を常態化させる危険性を孕みます。その点はいかがでしょうか。

朝倉 看護師の仕事には,どこからどこまでが看護の仕事なのかわからない,やろうと思えば全てが看護の仕事になってしまうある種の無限定性がありますから,指摘された懸念はごもっともです。しかしそれは強みでもあって,仕事を限定することが看護のためには必ずしもならないと私は考えています。過重労働の問題は確かにありますが,医療事務,看護補助者や介護福祉士といった周囲の職域に仕事を渡すことはこれまで行ってきています。その上で,看護師のやるべき仕事に集中することが大切なのだと思います。

丸山 お話を伺っていて,状況を見極める高い力が必要となる職業なのだろうと感じました。患者を総合的に観察した上で,必要な仕事を見定め,適切な職種に仕事を渡す。そのためには他職種の強みも知っておかなければならない。専門職間連携の核となるフロントラインのマネジャーのようなイメージが浮かびます。看護師の側から見ると,医師のかかわる範囲も限定的なのかなと推察します。

朝倉 そうだと思います。私から最後に伺いたいのは,自律性を高めることが本当に良いのかという質問です。看護職集団にとって良いのは間違いないですが,社会の役に立つということをどう言語化してよいか,迷うことがあります。

丸山 どのような自律性を発揮することが医療全体,社会全体にとって良いのかを考える必要があるように思います。例えば,看護師の裁量または権限が拡大し,医師が担う仕事の一部を代替することで,医師の働き方改革が促進され,結果的に医療リソースに余裕が生じてケアの質が向上する,医療費が抑制されるといったように,広い視点から逆算して考えることが,自律性の追求において必要ではないかと。

朝倉 逆に言うと,看護師が裁量または権限を発揮しないほうが良い医療を提供できるととらえた場合,看護師の裁量/権限拡大に反対の姿勢を取ることもあり得るわけですね。

丸山 そうですね。ですので,看護師が自律性を発揮するほうが医療や社会が良い方向に進むのだということを,いかに説得的に打ち出していけるかが肝なのだと思います。

朝倉 よくわかりました。これからも看護職の専門性についてさまざまな観点から研究を続けていきたいと思います。本日はありがとうございました。

(了)


註1:ジョブ型雇用とは,職務内容を明確に定義した上で,職務遂行能力のある人材を採用する雇用スタイル。メンバーシップ型雇用とは,組織の成員となる人材を採用し,組織内で発生する職務を割り当てる雇用スタイル。前者の場合,労働組合の形態は職業別,産業別になりやすく,後者の場合,事業所別の労働組合が形成されやすい。現代日本の組織は基本的にメンバーシップ型雇用を採ってきたとされる。〔参考:『ジョブ型雇用社会とは何か――正社員体制の矛盾と転機』(岩波新書,2021年)〕

註2:専門職と仕事のつながりを示す概念。ある職業が特定の業務内容をコントロールできる度合いを意味する。医師の業務独占に代表されるような強い管轄権から,他の専門職の指示の下にのみ特定業務を担う権限が与えられるような限定的な管轄権まで,その強度には幅がある。

註3:近年の研究例として,ノルウェーのEPCC(emergency primary care clinic)におけるトリアージの実践を対象にした研究(Soc Sci Med.2018[PMID:29433013])がある。この研究では,患者の重症度判定において看護師が公式の制度が想定する以上の裁量を発揮する様子と,それを可能にした現場レベルの学習の内容が報告されている。また,現場レベルでの裁量の拡大が,公式の裁量の確立につながる可能性も示唆されている。

1)Carr Saunders AM, et al. The Professions. Oxford:The Clarendon Press. 1933.
2)朝倉京子.看護師の専門職化はどう評価できるのか.保健医療社論集.2015;25(2):1-6.
3)杉山祥子,他.看護師が責任を果たそうとするプロセス.保健医療社論集.2022;32(2):111-21.
4)Int Nurs Rev. 2021[PMID:33047308]

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東北大学大学院医学系研究科 看護管理学分野 教授

1991年日赤看護大を卒業後,日赤医療センターにて勤務。2000年厚生省(当時)健康政策局看護課保健師係長,02年新潟県立看護大看護学部助教授などを経て,10年より現職。博士(看護学)。看護職の専門性,看護職の職業移動と心理社会的労働環境,看護職に与えるジェンダーの影響などをテーマに研究を行う。第40回日本保健医療社会学会大会長を務めた。

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名古屋大学大学院 教育発達科学研究科 准教授

2004年東北大教育学部卒。09年同大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。10年福島大総合教育研究センター特任准教授,15年名古屋大高等教育研究センター准教授などを経て,23年より現職。専門は教育社会学,専門職論。著書に『カウンセリングを巡る専門職システムの形成過程』(大学教育出版)など。

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