新年号特集 認知症と共に生きる カラー解説
認知症と社会をめぐる歴史的変遷
寄稿 粟田主一
2024.01.01 週刊医学界新聞(通常号):第3547号より
認知症と社会をめぐる歴史は,認知症を生きる人々へのまなざしを通してさまざまに変遷してきた。本稿では,そのような社会のまなざしと社会政策の変遷を概観しながら,「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」(以下,認知症基本法)が制定された今日までの歴史をたどる(図1)。
古代から近代まで
古代から近世まで,認知症は老いによる自然の摂理あるいは老耄とみなされ,その異常性が顕著であったとしても社会から疎外されることはなかったという。しかし,近代になって西洋医学が普及すると,老耄者は精神病者として医学や警察の管理下におかれ,家族による保護が強制され,手のつけられない状態になれば私宅監置,癲狂院への入院も視野に入れられるようになった1)。当時,西洋医学のさまざまな用語が日本語に翻訳されたが,Dementiaについては,「痴狂」「瘋癲」「痴呆」などと翻訳されていた。しかし,明治末期に呉秀三氏が「精神病ノ名義ニ就キテ」2)と題する論文の中で,「癲」「狂」の文字を避ける観点から「痴呆」という用語を提唱した。
救貧対策としての高齢者福祉
すでに明治期より,身寄りのない困窮した老衰者を収容・保護するための養老院がキリスト教系や仏教系の団体によって設立されはじめていたが,1929年に制定された救護法によって養老院は救護施設の一種として法文化され,政府から必要な財政的支援が受けられるようになった。また,戦後の1946年には救護法が廃止,旧生活保護法が制定され,養老院は保護施設となり公費で運営される公的事業となった。さらに,1950年には新生活保護法が制定され,養老院は「養老施設」として「老衰のため独立して日常生活を営むことのできない要保護者を収容して,生活扶助を行うことを目的とする施設」として法文上も明記された。一方,その頃より入所者の長命化,入所期間の長期化によって,医学的管理を要する入所者の増加が問題となり,1961年に“病弱老人”のみを収容保護する養老施設「十字の園」が創設された。また,1956年に長野県の13市町村で家庭養護婦派遣事業が始まり,1958年に大阪市で老人家庭奉仕員制度,1959年に布施市(現東大阪市)で独居老人家庭巡回奉仕員制度がつくられた。これらは,生活に困窮した老人が老衰や病気で日常生活に支障を来したときに,洗濯,清掃,炊事,看病等を行う事業として,1962年に老人家庭奉仕員事業として国庫補助化された。これらが特別養護老人ホームや訪問介護のモデルとなった。
在宅介護・施設介護の法制化と体系化
1963年の老人福祉法によって,養護老人ホーム,特別養護老人ホーム,軽費老人ホーム,訪問介護,健康診査が法制化され,今日の介護サービスの原型がつくられた。当時の老人福祉は,救貧対策の流れを受けて措置制度によって運用されていたため,中高所得者は実質的にはこの制度から排除された。しかし,現実には,所得に関係なく虚弱な高齢者は増加し,1968年の国民生活審議会では「深刻化するこれからの老人問題」として,年金,福祉,保健,就労,住宅政策が課題とされ,1972年には有吉佐和子氏の小説『恍惚の人』3)によって家族の窮状がクローズアップされた。こうした状況を背景に1973年に「老人医療費の無料化」が導入されたが,それによって老人医療費は増大し,国民健康保険の運営も厳しくなり,さらに病院のサロン化・社会的入院といった問題も生じるようになった。一方,1976年に発せられた厚生省社会局長通知「在宅老人福祉対策事業の実施及び推進について」によって,寝たきり老人対策事業(老人家庭奉仕事業,日常生活用具給付・貸与),ひとり暮らし老人対策事業(老人電話相談センター設置,介護人派遣事業),生きがい対策事業(老人就労斡旋事業,老人クラブ助成事業,老人社会奉仕団活動助成事業,老人スポーツ普及事業),在宅老人デイサービス事業などが創設された。このようにして,1960~70年代に在宅介護・施設介護が法制化・体系化されていったが,認知症のケアという視点はなく,在宅介護や施設介護が困難になれば精神病院に入院するしか手立てがなかった。こうした状況の下,1980年に「呆け老人をかかえる家族の会(現・認知症の人と家族の会)」が発足した。
老人精神保健対策としての認知症の医療とケア
1982年の老人保健法によって老人医療費の一定額負担が導入されると共に,老人精神保健対策としての認知症施策がスタートした。すなわち,1984年以降,痴呆性老人処遇技術研修事業,痴呆性老人対策推進本部,老人保健施設,老人性痴呆疾患治療病棟,痴呆性老人デイ・ケア施設,老人性痴呆疾患センターなどが整備されていった。1986年に設置された「痴呆性老人対策推進本部」の専門員を務め,「痴呆性老人処遇技術研修事業」や「国立療養所における老人性痴呆に対する医療のモデル事業」を通じ,国立療養所菊池病院で認知症の医療に取り組んでいた室伏君士氏は,当時有効な薬もない認知症医療の領域に「ケア」という言葉を初めて導入し,「理にかなったメンタルケア」4)の普及に努めた。同氏は,ケアという言葉を介護とは区別して用い,それは「障害された状態像に対し治療的に,人間的な生活機能を回復・維持・向上するリハビリテーションの考えや方法による指導を主とするもので,その基盤には人間科学の理が流れている」とし,認知症高齢者の行動を「痴呆というハンディキャップを持ちながらも,その中で彼らなりに,何とかして一生懸命生きようと努力している姿,あるいはそれができなくて困惑している姿」ととらえる立場を強調した。
介護保険制度の導入と「痴呆」の呼称変更
高齢者人口の増加と共に,医療費と社会的入院は増え続けた。1989年に消費税が導入され,同年の高齢者保健福祉推進十か年戦略(ゴールドプラン)によって介護資源整備が本格的に進められるようになった。しかし,高齢者人口の増加は予想をはるかに上回るものであり,税による財源確保は限界とされ,2000年に介護保険制度が導入された。その一方,制度が導入されて間もなく,「痴呆に対する偏見と無理解が適切なケアを阻んでいる」といった意見が聞かれるようになった。これを受けて,2004年に「痴呆」という呼称が「認知症」に改称され,認知症サポーター養成講座がはじまり,認知症サポート医養成研修,かかりつけ医認知症対応力向上研修が始まった。また,2006年に地域包括支援センターや地域密着型サービス,2008年に認知症疾患医療センターが創設された。さらに,2001年に,高齢者痴呆介護研究・研修センター(現・認知症介護研究・研修センター)が東京,仙台,大府に設置され,初代の東京センター長に就任した長谷川和夫氏の指揮のもと認知症介護の研究と指導者の育成がなされるようになった。
地域包括ケアシステムとオレンジプラン
2010年代に入ると,急速な少子高齢化,要介護要支援高齢者の増加,単独・高齢者のみ世帯の増加,認知症高齢者の増加によって,現行のサービス提供体制では医療ニーズの高い高齢者,重度の要介護高齢者,特に単身・高齢者のみ世帯を地域で支えることが困難となった。日常生活支援や権利擁護等の介護保険制度外サービスを含む地域づくりや,高齢者に配慮された住宅整備の必要性が強調され,地域包括ケアシステムの構築が国および地方公共団体の責務とされた。2012年に策定された認知症施策推進5か年計画(オレンジプラン)は,認知症の人の暮らしを支える
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粟田主一氏 東京都健康長寿医療センター・認知症未来社会創造センター長
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