医学界新聞

寄稿 六車恵子

2022.11.07 週刊医学界新聞(通常号):第3492号より

 脳オルガノイドによる研究が世界レベルで盛んである。特にヒト幹細胞由来の脳オルガノイドは,生体脳組織の代替標本として,病態解明や再生医療,創薬開発の加速が期待され,基礎研究においても進化や発生学の革新的な研究ツールとして注目が集まる。オルガノイド(organoid)は,「臓器(organ)」と「~のようなもの(-oid)」からなる造語であり,in vitroで多細胞集団が自己組織的に形成する機能的な組織体を指す。筆者は,脳オルガノイド研究のパイオニアである故・笹井芳樹氏が主宰していた理化学研究所の研究室に所属し,多能性幹細胞と発生生物学の融合から始まる一連の開発過程を目の当たりにしてきた。本稿では,脳オルガノイドの黎明期から最新状況までを概観し,その活用方法と実際の取り組み,今後の展望と課題について解説する。

 発生学の基本は,一つの受精卵から分裂を繰り返す過程で,どのようにして複雑な臓器や個体を形成するのか,との問いを解き明かすことにある。20世紀後半から急速に発展した分子生物学は,この複雑な生命現象を素過程に分解し理解することに多大な貢献をした。この発生学における「要素還元論」的手法は,ある現象にかかわる要素を同定,その因果関係を検証し,他の要素との関係性を検証する,というものである。ノックアウトマウスが例として挙げられ,ここから多くの発見がなされた。しかしながら,単なる細胞の集まりに過ぎなかったものが,自発的に高い秩序を持つパターンを生み出し,複雑な構造や機能を形成,胚として統合される現象は,要素還元論的手法で解き明かすには極めて高度で複雑である。そこで,元々パターンを持たない集合体(細胞凝集塊)が,系として機能的な組織を自発的に作る過程を研究するために,時空間的に細胞同士の相互作用を解析・操作可能な生物学的手法が求められた。胚性幹細胞(embryonic stem cells:ES細胞)の樹立をきっかけに,多能性幹細胞から脳を作るという「人為的な構成論」的手法の可能性が模索され,現在の脳オルガノイド研究につながることになる。

 脳オルガノイド技術はとかく「再生医療や疾患研究のための革新的技術」の面に焦点が当てられる。人工多能性幹細胞(induced pluripotent stem cells:iPS細胞,図①)の開発成功もあって,ヒト臓器の代替組織としての医学応用に期待が高まるのは当然であるが,学術研究としての本質は別のところにある。脳オルガノイドにより炙り出されたのは,「自己組織化を可能にするin vitro系の確立により,複雑な生体形成の一部分を高度で頑強なサブシステムとして切り出すことが可能になった」ということである1, 2)。これまで不可能であったヒト脳の実証実験が可能となり,想像を超えた発見につながる機会が得られた結果として,医療応用にも展開できると考える。

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 SFEBq法を用いて多能性幹細胞から作製された脳オルガノイドの一例(筆者作成)

 オルガノイドは,培養下で作製される器官類似構造体である。幹細胞集団の自己組織化を利用し,器官形成過程を再現することで創出される。笹井らは,マウスES細胞から層構造を持った大脳皮質組織を皮切りに,網膜,視床,小脳,海馬など任意の脳領域への分化誘導に成功し,神経組織の立体構築を再現した脳オルガノイドの作製を可能にした。笹井らが用いた手法は,SFEBq(serum-free floating culture of embryoid body-like aggregates with quick reaggregation:無血清凝集浮遊培養法)と名付けられた。他にもさまざまな脳オルガノイド作製法が報告されている3)が,基本的概念は共通している。

 まず,数千個程度の多能性幹細胞を浮遊培養することで,細胞凝集塊を形成させる。このとき,BMP(bone morphogenetic protein)阻害薬やTGF-β(transforming growth factor-β)シグナル阻害薬を含む無血清培地により,神経外胚葉,神経上皮細胞への分化を誘導する(図②)。さらにここで,発生学で蓄積された脳の領域特異化の仕組みを利用する。発生期の胚の前後軸と背腹軸を規定する分泌性のパターニング分子を至適な濃度とタイミングで培地に添加することで,任意の位置の脳領域を分化誘導できる(図③~⑤)。

 脳オルガノイドでは,生体でみられる秩序ある高度に複雑な脳の組織構築が自発的に生じる。元は多能性幹細胞を均一に凝集させた集合体に過ぎなかったにもかかわらず,外部からの細かい指示がなくとも自ずと複雑な構造を形成する自己組織化は驚くべき現象であり,多能性幹細胞に潜在的にプログラミングされていたと考えられる1~3)。例えば,大脳皮質の分化に適した培地で培養すると,大脳皮質特異的なマーカー分子が発現し,皮質特有の層構造が形成される。自発発火をはじめ,シナプス形成,局所回路形成などの機能的な成熟も一定程度模倣される。

 脳オルガノイドは発生期の脳をかなり忠実に再現することから,ヒト脳の発生ダイナミズムを直接的に研究するためのポテンシャルが高い。流体デバイスやマイクロパターニングなど工学技術と組み合わせることで,組織構築の物理的,化学的特性解明にも有用であろう。またオルガノイドは初期条件がクリアなため,in silicoシミュレーションと相性が良く,組織形成の数理的理解のためのプラットフォームを提供できる。

 患者体細胞から樹立した疾患特異的iPS細胞や,ゲノム編集技術による,患者の病態を再現した試験管内モデルを作製する研究も盛んに行われている。重篤な神経発達障害である小頭症やTimothy症候群の患者体細胞から樹立したiPS細胞による脳オルガノイドでは,分子・細胞レベルの新たな知見や,遺伝子変異が組織レベルの異常に結びつくメカニズムが明らかにされつつある3)。南米で流行したジカウイルスの妊婦感染は,胎児の小頭症を引き起こす原因であると疫学的研究から示唆されていたが,その因果関係は大脳皮質オルガノイドを用いることで立証された4, 5)。また新型コロナウイルスでは,SARS-CoV-2が神経細胞よりもアストロサイトに選択的に感染することが脳オルガノイドにより実証されている6)。さらに,自閉症や統合失調症など精神神経疾患,中年期以降に発症するアルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患,脳腫瘍の研究にも脳オルガノイドが活用されており,ヒトiPS細胞とオルガノイド技術による疾患モデル開発の流れは今後ますます盛んになると考えられる。

 脳オルガノイド作製技術における課題の一つは,より成熟した脳組織を作製することである。現状では,培養途中で神経幹細胞が枯渇し,オルガノイドの成長が鈍化する。細胞分裂・成長に必要な酸素や栄養の供給がオルガノイドの隅々に行き渡らないことが理由の一つと考えられ,循環可能な血管網の配置が試みられている。また,異なる細胞系譜の細胞の寄与も重要となる。最近,神経外胚葉以外に由来する細胞を個別に分化誘導し,共培養することで脳オルガノイドの機能的向上が試みられている7)

 さらに一部では,脳オルガノイド技術の向上と研究の進捗に伴い,人工産物である脳オルガノイドが意識や高次の認知機能を持つのではないかとの懸念が提起されている。特に生体へ移植された場合が問題の対象となるが,再生医療を視野に入れれば,認知機能の獲得はホスト細胞との神経回路構築がなされた可能性を示唆するものであり喜ばしいことにも思える。気をつけなければいけないのは,移植したオルガノイドが独自の神経回路網をつくり,これが機能的に暴走する可能性である。通常,移植片は何らかの手法で同定あるいは可視化が可能であるため,留意しながら解析を進めることが必要であろう。意識については,哲学,心理学,神経科学などそれぞれの学術領域において定義が異なる。倫理面での議論は後手に回ることがしばしばであり,早めに立ち上げるのは重要だが,いたずらに不安をあおることがないように願う。


1)Nature. 2013[PMID:23325214]
2)笹井芳樹.創発生物学への序:多細胞生物学研究のパラダイムシフト.実験医.2013;31(13):2116-22.
3)玉田篤史,他.脳オルガノイドを用いたヒト脳の発生・疾患の理解.生体の科学.2022;73(4):343-7.
4)Nature. 2016[PMID:27279226]
5)Science. 2016[PMID:27064148]
6)bioRxiv. 2021[PMID:33469577]
7)Nat Methods. 2019[PMID:31591580]

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関西医科大学医学部iPS・幹細胞応用医学講座 教授

京都薬科大薬学部卒。1992年大阪バイオサイエンス研究所神経科学部門,99年科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業(CREST)研究員を経て,2003理化学研究所発生・再生科学総合研究センター専門職研究員となる。18年より現職。

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