医学界新聞

寄稿 任 和子,内藤 知佐子,宮下 光令,藤野 泰平,河西 あかね,田中 いずみ,長坂 桂子

2022.06.27 週刊医学界新聞(看護号):第3475号より

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 4月に入職したばかりの新人ナースにとって5~6月頃は不安の高まる時期です。「自分は何もできない」「先輩みたいに,自分もテキパキ仕事ができるようになるのだろうか」と思い悩む新人も少なくないのではないのでしょうか。ですが,それは誰もが最初に通る道。現在第一線で活躍している先輩方も,新人時代は同じ悩みを抱えていました。

 本特集では,そんな先輩ナースから,今だから笑って話せる「新人時代の失敗談」を紹介していただきました。あまたの苦労を乗り越えてきた先輩からの熱いエールを,ぜひ受け取ってください。

こんなことを聞いてみました
①新人ナース時代の「今だから笑って話せるトホホ体験・失敗談」
②忘れ得ぬ出会い
③あの頃にタイムスリップ!思い出の曲とその理由
④新人ナースへのメッセージ

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京都大学大学院医学研究科
人間健康科学系専攻
先端中核看護科学講座 教授

かばってくれた先輩の個性的な声のトーン

①新人ナース時代の「今だから笑って話せるトホホ体験・失敗談」:看護師として初めて勤務したのは京大病院であり,第2外科・心臓血管外科病棟に配属となりました。まだICUもない時代,手術後は全ての患者が直接病棟に戻っていました。当科では多様な疾患,術式,術後ケアがある上に,レスピレーターは常時数台稼働し,新生児から高齢者まで幅広い年代の患者をケアしていました。60床を超えるベッド数では患者の状態を継続して把握することが難しいため,配属されてほどなくして2ステーション(1ステーション30~40床)体制となりました。この体制を構築できたのは当科が建築10年ほどの新病棟にあり,1フロア2ステーションとなるように建物自体が設計されていたからでした。その結果,看護師は数か月ごとにローテーションすることになり,患者の状態把握がしやすくなりました。

 この病棟には5年勤務し,よく働き,よく学び,よく遊びました。最近,他施設の会議等で偶然にも昔一緒に働いていた研修医に会うことが続き,瞬時に時空を超えてあの頃に戻りました。全てが人生の糧となっています。

 失敗談はあまりにありすぎて書ききれませんが,1つご紹介しましょう。忙しい準夜勤務の終盤,24時頃の出来事です。狭心症で冠動脈バイパス術を控えた50歳代前半の男性Aさんは,6時間ごとに血管拡張薬などを内服していました。しかし,私は他の方のケアをしており,24時に内服していただく薬を持っていくのが5分ほど遅れてしまったのです。ほどなくしてステーション付近から「俺を殺す気か!」と,Aさんの怒鳴り声が聞こえました。慌ててステーションに戻ると,ものすごい形相のAさんが仁王立ち。その時,先輩の看護師Bさんが「Aさん,悪かったのはその通りなんだけど,そんなにきつく言うと新人が萎縮するからさぁ,ね」とAさんを諭してくださったのです。沖縄出身のBさんの声のトーンはとても心地よく,ペースダウンできるような声でした。Aさんは納得されたわけではないですが,怒りが少し静まるのと同時に心拍が落ちていったように感じました。そしてぐっと私をにらんで私の手から内服薬を取り,部屋に戻っていきました。

 Bさんは普段とても厳しく,私は失敗を指摘されるばかりで実は少し苦手意識を持っていましたが,その夜は感謝の気持ちでいっぱいで,自分もこんな先輩になりたいと思いました。言葉自体は関西弁なのですが,いわゆる“関西弁”ではない個性的な話し方とトーンを今でもよく覚えています。

②忘れ得ぬ出会い:勤務していたのは外科病棟でしたが,長期入院や手術目的以外で入退院を繰り返す方もいました。思い出すのはクローン病で1年以上入院していた20歳代のCくん(みんなが名字でCくんと呼んでいました)と,化学療法のため定期的に入院していた同室の50歳代のDさんです。二人は兄弟か親子のように仲良しでした。そして,私とは患者と看護師というよりも,兄妹か父娘のような関係でした。私がステーションで先輩に指導されているのを見ると廊下から大きく手を振って私を病室に呼び,「ここでちょっと休んだらいい」とかばってくれたり,瘻孔にタンポンガーゼを入れるための手技を細かく教えてくれたりしました。

 その後,先輩看護師がご家族の支援を含め手厚く看護実践され,二人とも病棟で看取りました。私はお二人から見ればおそらく最期まで,看護師ではなかったでしょう。そのような関係は看護師人生で二度とありません。

③あの頃にタイムスリップ!思い出の曲とその理由:一時期ですが,ロッド・スチュアートの『Hot Legs』をよく聴きました。少し業務に慣れた頃,深夜勤務で起きるのがともかくつらかったのですが,この曲で勢いをつけて,顔を洗って歯磨きをして,曲が終わる頃には出勤準備が完了していました。

④新人ナースへのメッセージ:知識や技術が未熟で経験がなくても,患者さんやご家族の力になれたり,勇気付けることができたりします。その過程で看護師としての力も付くでしょう。そのために,仮説を持って仕事に臨み検証するというプロセスを地道に繰り返しましょう。


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愛媛大学医学部附属病院
総合臨床研修センター
助教

先輩からのため息に無意識の舌打ち

①新人ナース時代の「今だから笑って話せるトホホ体験・失敗談」:看護師になって初めての配属先は,呼吸器内科と血液内科の混合病棟でした。初めての大卒新人,しかも1人だけの配属,先輩らの視線は私に「全集中の呼吸」です。しかし,ほぼ何も習得せずに卒業してしまった私は,プリセプターに何を聞かれても「やったことありません」と返答。当然のごとく,プリセプターからは「はぁ……」という深いため息が。ここで落ち込めば新人らしいのに,なんと私は「チッ」と舌打ち……(汗)。後にわかったことですが,私には無意識に舌打ちをする癖があったのです。指摘されても半信半疑でしたが,気にし始めると,まぁすごい舌打ちの数。挙げ句の果てには,師長さんにまで舌打ちをする始末。もう,どんだけ~です(笑)。

 そんな態度だけは立派な私。何をするにも時間がかかり,深夜勤が始まる22時過ぎまで病棟に残って仕事をする日もありました。当然,帰宅が遅くなるため勉強は手に付かず,業務を覚えるので精いっぱいの毎日。そんなある日,6床部屋の肺がん女性患者さんから息苦しさの訴えがありました。継続指示に従い酸素投与を開始すると次第に息苦しさは軽減し,患者さんからは「楽になった,ありがとう」の言葉が。すると,同室にいた他の患者さんが「私も,何か苦しい。それ(酸素)もらおうかしら」と。酸素飽和度を計測すると,95%! すぐに酸素流量計をセットし,経鼻カヌラで酸素投与を開始しました。「大丈夫,さっきやったばかりだから」と,妙な自信に溢れていました。酸素投与を開始して間もなく,外来を終えたオーベンが病室に入っていくのが見えました。「ちょうどよかった」と思ったのも束の間,普段は温厚なオーベンが片手に流量計と経鼻カヌラを握りしめ,仁王像のような顔で部屋から出てきたのです。そう,私はCOPDの患者さんに勝手に酸素投与してしまったのです……。幸い,大事には至りませんでしたが,大失態でした。

②忘れ得ぬ出会い:大切なことは,いつも患者さんやご家族に教えていただきました。今でも走馬灯のように思い浮かびます。人工呼吸器につながれるつらさ,吸引には上手い下手があること,痛くないテープのがし方。頂戴したお手紙や多くの言葉が,全て私の糧となっています。

 また,指導してくださった先輩方との出会いは,一生忘れることがないでしょう。そして,プリセプターをはじめ諸先輩方,副師長さんや天国の師長さんにも感謝をしています。出来の悪い私を見捨てず,粘り強くかかわっていただき本当にありがとうございました。「内藤ちゃん,愛が足りないね~」と,ケアの雑さを明るく指摘してくださったこと,厳しく言わなくても伝わることを体感した最初の経験でした。

 加えて,同じ大学から入職したRちゃん,Fちゃん。配属先はバラバラだったけれど,院内に同じ境遇の仲間がいるというだけで心強かったです。たくさん話を聴いてくれて,今でもつながっていてくれてありがとう。

④新人ナースへのメッセージ:「すべての出来事は,あなたへのギフトである」(アンソニー・ロビンズ名言集より)。つらい時には,誰かに聴いてもらいましょう。聴いてくれる人がいなければ,日記を書きましょう。つらい体験の中に教訓が見えてきます。それが,あなたへのギフトです。皆さんは大切な看護の仲間。応援しています。


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東北大学大学院医学系
研究科保健学専攻
緩和ケア看護学分野 教授

患者さんに嫌われた経験

①新人ナース時代の「今だから笑って話せるトホホ体験・失敗談」:看護師として病棟に出て2か月くらいの時だったと思う。Kさんという喉頭がんの男性患者さんを受け持った。Kさんは既に喉頭全摘術により失声しており,人工喉頭と筆談でやり取りをしていた。Kさんが頸部リンパ節転移の郭清術を受けることになり,術前の剃毛をすることになった(当時はこれが普通であった)。剃毛範囲は今でいうツーブロックの刈り上げ部分に当たる耳の周りである。

 事前にきちんと説明したつもりであったのだが,バリカンで剃毛を始めると,「何をするんだ!」という感じで,ものすごい勢いで怒られた。私の説明が不十分だったのか,手技が悪かったのか,今でもわからない。その時は先輩看護師が間を取り持ってくれて,なんとか剃毛を終え,手術も無事終了した。

 困ったのがその後である。Kさんを担当することが少なくなかったのだが,血圧を測ろうとしても,そっぽを向いて手をぐっと差し出すだけで,目も合わせてもらえない。Kさんが朝方散歩がてらナースステーションに来て「今日の受け持ちは誰だ?」と言い,「私です」と伝えると,手のひらを肩の上あたりに上げて「Why?」のようなポーズを取る。「今日は外れだ」という意味だろう。Kさんを受け持ちの日の出勤は少し憂鬱であった。

 今なら「まあ仕方ない」と考えるのかもしれないが,当時はまだ若く,何かチャンスを見つけて信頼を回復できないものかと考えていた。たまたま訪室時に困りごとなどを問いかけると,「背中が凝って痛い」と話された。これはチャンスと思い,マッサージをしてみた。やってみると,どうもかなり強い指圧が好みであることがわかった。その後,訪室ごとに指圧をしていたのだが,表情も緩み,ある程度の信頼を得られたようだった。ある時,先輩が「宮下君を呼んでくれ」という紙を持って「ご指名よ」と言ってくれた時はうれしかった。男性看護師は少なかったので,おそらく力の入れ具合だけを評価されて呼ばれたのだと思う。

 ある日の朝の申し送りで,主治医が「腫瘍が頸動脈を巻いているので,そろそろかもしれない」と話していた。その日の午前は担当ではなかった気がするが,「ちょっと押しておくか」と思って訪室した。Kさんが頸動脈の大出血を起こしたのはその日の昼休憩の時間帯だった。意識は戻らず数日後に亡くなられた。

②忘れ得ぬ出会い:私は臨床が短いので特別な人というのはあまりいないが,強いて挙げるとすれば自分を指導してくれた先輩方だろう。とにかく何もできず失敗ばかりだったので,かかわってくださった皆さまには感謝しかない。失敗も何もかも全てフォロー・指導してもらった。そのような経験がなかったら,看護界に長くいることにはならなかったと思う。

④新人ナースへのメッセージ:マッサージや手浴,足浴,洗髪といった「からだに触れる」ケアは大事だし,時に武器になるだろう。現在の現場は医療安全対策や看護記録作成など業務が多岐にわたり,昔のようなのどかな雰囲気ではないかもしれない。しかし,アセスメントから治療・ケアまで「からだに触れる」という基本的な看護行為を大切にしていってほしい。


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株式会社デザインケア 
みんなのかかりつけ訪問看護
ステーション 代表取締役社長
 

愛に気付くことで厳しい指導も超えていける

①新人ナース時代の「今だから笑って話せるトホホ体験・失敗談」:新人時代,救命センターのICUに配属になりました。1分1秒を争う部署であったため,緊張感のある職場でした。人工呼吸器・IABPを装着中の方や,脳から多臓器にわたるまでの疾患がある方などを支えるために日々必死でした。先輩方は体育会系の方が多く,厳しく育てていただいた記憶があります。ベッドサイドでいろいろなモニターを見ながらアセスメントをしていると,先輩が私の横に来て,「この二酸化炭素濃度と脳圧の関係は?」など,よく質問されていました。答えが違うと怒られるので,いつも緊張感がありました。1年目の時は怒られすぎてできない自分が嫌になり,病院にあった教会の前で勤務後に泣いたこともしばしばでした。

 ただ,当時のアシスタントマネージャーにご飯に連れて行ってもらえることがあり,愛がある指導をいただいていたのだなと実感できてからは,厳しい指導であっても乗り越えることができました。先輩方には今でも感謝しています。

②忘れ得ぬ出会い:いろいろな方がいましたが,思い出に残っているのは夜勤日の朝方,暴れて病棟から逃げ出したある患者さんです。面食らってしまいおろおろしていたら,先輩に「追いかけるよ!」と言われ外まで追いかけました。ペットボトルを投げつけられながらも,「危ないから戻ってください,命にかかわります」と声を掛けながら走り,やっとの思いで追いついて病棟に帰っていただきました。こんなことも実際にあるのだなと,仕事の幅の広さを感じました。

③あの頃にタイムスリップ!思い出の曲とその理由:毎日の出勤時に聞いていた,BENNIE Kの『Sky』という曲に背中を押してもらいました。看護師になった自分の信念を変えないこと,自分に負けないこと,前を向いて頑張り続けることができたのは,この曲のおかげです。

④新人ナースへのメッセージ:看護師になってやりたいと思っていたことと現実のギャップに苦しむ方もいるかもしれません。できない自分よりも先輩が患者さんを看たほうが,患者さんのためになるのではないかと,自分の存在意義が感じられない方もいると思います。そう思って私もつらい思いをしていました。ただ,つらい時期を越えて少し年を取った今だからこそ言えることは,あなたがそこにいる意味は絶対にあります。先輩だけでは,病院や訪問看護ステーションがある地域全ての患者さんを看ることはできません。多くの苦しんでいる人がいるからこそ,われわれは多くの仲間を育成し,チームで患者さんを支えることが大切だと思います。だからこそ,あなたの成長が社会にとって必要です。

 誰しも初めはピヨピヨの1年生。目の前の怖い先輩もそうだったのです。できないことに過剰に落ち込まず,一歩一歩できていることを承認し,今しかない1年目をしっかりと味わいながら成長していってください。今のかけがえのない経験は将来,同じように戦っている新人を救うかもしれません。

 社会をより良くするため,皆さんが看護師になってくれたことを心よりうれしく思います。最高の仕事を選びましたね。ともに看護師として,社会をより良くしていきましょう!


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東京都福祉保健局保健政策部
東京都多摩府中保健所
地域保健推進担当課長
 

「小さくて,かわいいですね」何気ない一言の重み

①新人ナース時代の「今だから笑って話せるトホホ体験・失敗談」:過去の失敗を振り返ると忘れられない思い出が2つあります。1つ目は,乳児健診の問診デビューでの一言。今は市町村へ移管されている乳幼児健診を,保健所で実施していた時代。問診の際に,私の前にかわいいBabyがママに抱かれて現れたので,とっさに「小さくて,かわいいですね」と声を掛けました。するとすかさず指導保健師から「低出生体重で生まれた子の母親は『小さい』の言葉に敏感。知らないうちに傷つけてしまうこともあるから注意するように」と指導されました。配慮足らずの自分の未熟さと,保健師の一言が住民に与える重みを実感しました。その後,先輩の対応を観察したり,健診や電話,家庭訪問等で沢山の育児相談に対応したりする中で,ママやパパがわが子に抱く思いへの想像力,コミュニケーション能力や相談対応力が培われたように思います。

 2つ目は,「全くダメダメ」だった,母親学級での沐浴指導のデモンストレーション。母親学級の沐浴指導デビューに向けて,所内の大先輩保健師の方々を前に緊張のデモンストレーション。台本通りには実施したものの,カミカミ,汗だく,ぎこちなさで,係長から「全くダメダメ! そんなに緊張していたらママたちが不安になってしまう。ママ友同士の仲間づくりにもつながらない。やり直し!」と指導があり,大変落ち込みました。その日のうちに,沐浴人形をリュックに背負って連れて帰り,自宅で自己学習し,大先輩方にもOKをもらい乗り切りました。当時はバイク通勤だったので,沐浴人形の首の出たリュック姿に気が付いた人は大変驚いたと思います。

②忘れ得ぬ出会い:入職当時は年齢の離れた先輩が多く,少し距離を置いていたように思います。休日には,職場の他職種や別の保健所の同期とのスキーやテニス,地区活動を通して知り合った地域の関係機関の方々と勉強会などをしていました。

 職場では,相談者や関係機関の方々と真摯に向き合う先輩に刺激を受けながら,のびのびと地区活動をさせてもらいました。担当地区の対象者へのケアの提供(家庭訪問での相談対応,褥瘡処置,洗髪,清拭などなど),育児相談,精神保健相談,結核患者への対応,健診,育児グループの育成,自治会等での健康教育,人工呼吸器を装着した難病の方の療養支援体制の整備,精神障害者の社会復帰に向けた作業所づくりなどなど,個人・家族,集団,地域支援,事業立案を通した地域づくりに取り組みました。保健師活動の中で,先輩方に相談しながら学び,保健師の役割を考え,成長させてもらい,当時の先輩方,担当したご本人・家族,関係機関の方々との出会いは忘れられません。

③あの頃にタイムスリップ!思い出の曲とその理由:サザンオールスターズの『Ya Ya(あの時代を忘れない)』。看護学校の2年次の終わり,先輩を送る会でロウソクの明かりの中で合唱。病棟実習のつらさ(命の重みと膨大なレポート作成……)と,あと1年間頑張れば先輩のように卒業できるかもとの希望で,涙した思い出があります。

④新人ナースへのメッセージ:コロナ禍で地区活動もままならない中ではありますが,住民一人ひとりに寄り添う心,地域の多職種の方々と協働して仕事を進める力,さまざまな相談から課題を読み取る力,柔軟な発想力を身に付けて,新たな健康課題の解決に向けて取り組むチャレンジ精神を発揮してもらいたいと思います。


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手稲渓仁会病院
副院長/看護部長

失敗しても温かく包んでくれた先輩たちとの出会い

①新人ナース時代の「今だから笑って話せるトホホ体験・失敗談」:看護師人生を振り返る時,いつも思い出すのは失敗したことばかりです。例えば,初夜勤で点滴管理ができなくてルートを詰まらせ患者さんに多大な迷惑をかけてしまい,看護師には向いていないと泣きながら帰ったことがありました。他にも,先輩に術後用ベッドの湯たんぽを作ってくるように指示されましたが,金属製の湯たんぽを使ったことのなかった私は,お湯を入れたものの熱くて持てず,「湯たんぽも作れないの!」とあきれられたこともありました。

 さまざまな失敗の中で今思い出してもトホホとなるのは,輸血する時に失敗し,白い寝具を血まみれにして殺人現場のようにしてしまったことです。本当に何もできない新人でした。

②忘れ得ぬ出会い:何もできない新人でしたが,同期,先輩,医師も含め一緒に働いていた仲間には恵まれ,かわいがってもらいました。病棟は確か60床以上の放射線治療科,耳鼻科,形成外科の混合病棟で,病棟内には放射線の小線源の治療部屋や形成外科の熱傷浴,空気流動ベッドなどがあり,今では考えられない病棟構成でした。その分チーム力が高くなったのか,素敵な方々がたまたま多かったのか,若かった私にはよくわかりませんが,今でいう心理的安全性の高いチームだったように思います。例えば,私がカンファレンスの時に「なんだかあの患者さんのことが好きじゃないです」と抱いていた気持ちを思わず言葉にしてしまったことがありました。怒られると思ったのですが,主任さんは「どうしてそう感じるのだろうね」と私の発言を受け止めてくれたのです。安心して発言できる環境を整え,自分の意見を持つことを育んでくれました。

 また,プライベートでも先輩方とよく遊びました。時はバブル。医師と看護師の食事会も多く,素敵なお店に連れていってもらいました。もちろん2次会もあり,ここで当時の宴会に不可欠なチークダンスを習得。そして「チームの結束力は宴会にあり!」という今の私のモットーができました。

 多くの素敵な先輩の中でも特に印象深いのは,チームリーダーです。先輩の患者さんに対する姿勢には憧れました。また,自分が業務で失敗した時は何も言わずにカバーしてくれ,時には家まで招いてくれて,さっとすき焼きを作ってご馳走してくれました。仕事でもプライベートでもカッコよく,患者さんであってもチームメンバーであっても分け隔てなく人に対して愛を貫く姿に,大げさに言うと看護師としてだけでなく人としての強さを見ました。いわゆる私のモデルナースです。

③あの頃にタイムスリップ!思い出の曲とその理由:大好きだったモデルナースの先輩と仲の良い同期の二人が大好きだったTHE BLUE HEARTS の『リンダリンダ』。先輩の家でよく聞いたのを思い出します。

④新人ナースへのメッセージ:何もできなくて失敗するのが新人です。ただ学生の時と違って勉強をしたからといって仕事ができるようにはなりません。何でもトライして失敗する,その経験を生かしてまた次にトライする,そのような人が成長するのだと思います。新人の皆さんには失敗しても患者さんに,そして自分自身に向き合う勇気を持ってもらいたいです。先輩の立場にある私たちは,自分がそうだったように失敗できる,言い換えるとトライできる環境を作りたいと思っています。


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西武文理大学看護学部 
准教授
母性看護専門看護師
 

分娩室からのナースコールに全員集合!!

①新人ナース時代の「今だから笑って話せるトホホ体験・失敗談」:初めて就職したのは周産期センターでした。過去の経験を振り返ると複数のトホホな失敗談が思い出されますので,その一部をご紹介します。

 その日の夜勤は,厳しいけれど気配りが抜群な笑顔の美しい5年目Y助産師がリーダーでした。新人の私は,分娩係で初の双胎産婦さんの受け持ちをしていました。手袋して分娩室にこもって産婦さんと二人。ハイリスク産婦さんの分娩介助だったので,心臓がバクバクです。緊張のあまり,Y先輩に一目会いたくなり,分娩室からナースコール。ふらっと先輩が分娩室に来て,「順調だね」と言ってくれることを期待したのですが,なんと! 深夜帯に新生児科医師,産科医師,NICUの看護師,夜勤看護師長,リーダー助産師がすっとんできて全員集合し,クベースや救急カート類一式が分娩室に搬入され,まだまだ生まれないのにハイリスク出産体制に。産婦さんはびっくりするし,医師たちはキョトンとしているし,穴があったら入りたいとはこのことです。後で先輩に,「ごめんなさい。Yさんの顔を見たかっただけでナースコールしちゃいました」と謝ると,「もう生まれるかと思って各部署に連絡しちゃったわよ。大丈夫よ」と優しく笑ってくれました。

 別の日,その先輩が激怒していました。「死産になった褥婦さんに,他の赤ちゃんの泣き声が聞こえているじゃないか! どれだけつらいか,新人たちはわからないのか!」と。そして,激怒の途中でナースステーションの裏に駆け込み,悔しそうに泣いていました。先輩たちは,普段と動線を変えて赤ちゃんの移動を行っていたのです。チームが一丸とならないと届けられないケアがあると,その涙から学びました。

②忘れ得ぬ出会い:外国人妊産婦さんのケアを極めたいと留学をめざしたのは2年目のこと。休みを利用して,オーストラリアの大学にアポなしで見学に行き,勝手に校舎に入ってうろうろし,「Nursing」と書かれた研究室を見つけて,運を天に任せてノックしました。“Hello, from Japan!”。今思うと完全に不審な不法侵入者ですが,Dr. Robertは“Welcome!”と驚きながらも迎えてくれました。結局留学はしませんでしたが,その後,Dr. Robertを通して知人が留学し国際共同研究が生まれるなど,交流の輪が広がりました。看護やキャリアで迷った時,学位を取る時,いつも支援してくれたDr. Robert。恩師であり,一生涯の友人になりました。不思議な出会いをもたらしてくれた,あの時の若気の至りに感謝しています。

③あの頃にタイムスリップ!思い出の曲とその理由:Queenの『I was born to love you』。マタニティビクスインストラクター資格試験の実技の指定曲でした。助産師になって2年目に資格取得を決意し,当時は練習のためにワンルームの狭い寮で踊りまくっていました。

④新人ナースへのメッセージ:臨床現場は非日常,驚くことだらけですよね。失敗しても一人で抱えこまないで。必ず,あなたを気にかけてくれている人はいます。コインに表面と裏面があるように,裏面が「反省」とすれば,表面は「できていること,好きなこと」。つらい時ほど表面にも目を向けてくださいね。

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