医学界新聞

寄稿 吉新 通康,大津 欣也,玉城 和光,伊原 和人,河北 博文,石川 賀代,水方 智子,西島 正弘,塚田(哲翁) 弥生,仲間 知穂,大内田 美沙紀,藤田 千代子

2022.01.03 週刊医学界新聞(通常号):第3451号より

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公益社団法人 地域医療振興協会 理事長

 本年は自治医大が創立して50年。自治医大の卒業生が中心となって設立した地域医療振興協会も36周年を迎えた。

 1979年,1期生が初期研修の2年目を終え,翌春にはいよいよ地域に出るころ,自治医大の1,2期生100人ほどの卒業生が集まる同窓会で,当時の全国自治体病院協議会会長の諸橋芳夫先生があいさつされた。「自治体の悲願でできた自治医大。これからの君たちの頑張りで本学の評価が決まる。頑張ってほしい」とへき地医療に新たに取り組む卒業生を激励された。

 自治医大の仕組みとして,都道府県単位で選抜入試が行われ,入学後は全寮制で6年間,仲間と起居を共にする。そして卒業と同時に母校を離れて出身都道府県に戻り,義務年限9年間(その半分はへき地)を知事の指定する施設で勤務すれば,学費は返済免除になる。へき地に行くかどうか心配した者もいたが,93%が義務を果たしている。

 入学してほぼ50年たった昨年,100人の1期生全員に自治医大の仕組みについてアンケート調査を実施した。89人と予想を上回る回答があり,うち95%が「へき地を含む義務年限内の勤務」に満足していた。義務年限の勤務で良かった点として「幅広い医療の経験ができた」「地域住民・団体の中に知己を得た」,そして「職場の同僚」を挙げていた。1期生の6割は,「医学部に再び入学するなら,また自治医大に入学する」と答えた。全寮制にも,教員にも,同窓生にも皆満足で,高い評価を得ていた。緊密な人間関係が自治医大の基礎になっていることがわかる。

 今,へき地勤務の義務年限を過ぎても3割がへき地に勤務している。へき地医療は,個人の頑張りから「へき地医療のシステム化へ」の流れができつつある。へき地と言っても,研修システム,インターネット環境,道路事情などの改善で,50年前とは状況が全く異なる。流行や情報に遅れがあるようなへき地はもうない。

 少子高齢化,過疎化が一段と進み,常勤医師の診療所は,出張診療所になったり,合併や統廃合が進んだりしている。これは,へき地・離島だけではない。その手前の地方都市でも,似たような現象が至る所で起こっている。かつての商店街は閉じ,患者さんを紹介した病院もない。

 へき地から見ると「国全体が,確実に小さくなっている」。


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 国立循環器病研究センター(以下,国循)は,循環器疾患の究明と制圧をめざして設立された国立高度専門医療研究センターである。対象疾患は,脳・心臓循環器疾患に特化し,その予防や診断,治療法の開発,病態生理の解明を推し進めている。1つの建物に病院,研究所およびオープンイノベーションセンターの3つの機関が入る,世界レベルの医療研究機関である。周辺には,吹田市民病院,大規模マンション,高齢者向け住宅,企業や国立健康・栄養研究所が建設予定のイノベーションパークなどがあり,一帯は,北大阪健康医療都市(健都)と呼ばれ,医療クラスターの形成をめざしている。

 国循の対象疾患である脳卒中や心臓病などの循環器疾患は,不適正な生活習慣や生活習慣病による発症,脳梗塞,心筋梗塞などの突発的な発症や重症化,合併症の発症,徐々に進行する慢性期,繰り返す急性増悪が幅広い年代に存在し,かつ長い経過をたどる。循環器疾患は年齢によって増加するため,これからの高齢化社会においてはさらに増加することが予想される。主要な死亡原因であるとともに医療費に占める割合も最多である。また介護が必要となる主な原因であり平均寿命と健康寿命との乖離の大きな要因である。

 循環器疾患診療には,急性期患者搬送体制の不備や急性期から慢性期へのシームレスな医療体制の不備,チーム医療を行うための人材不足,全国規模の疾病登録事業の不備,国民への教育・周知不足などの問題がある。さらには循環器疾患に対する原因治療が欠如している。

 これらの諸問題に対応するため,2018年12月に「健康寿命の延伸等を図るための脳卒中,心臓病その他の循環器病に係る対策に関する基本法」が成立した。この法律により,義務教育における予防教育や市民への啓発や循環器疾患予防を目的とした健診システムの構築による発症抑制をめざす。そして救急受診を促す市民啓発,医療機関のネットワーク作成,遠隔医療の活用による再灌流療法や緊急手術が受けられる急性期医療の充実を促進する。さらにリハビリテーションや在宅医療,介護,社会支援の充実による慢性期医療の充実,また登録事業による医療の質を評価する体制を構築すること。それらによる高齢者医療費の削減,さらには人材育成や臨床・基礎研究の強化などにより循環器病の克服への道が加速することが期待される。


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厚生労働省医政局長

 国内で2020年初めから始まった新型コロナウイルス感染症との闘いは,ついに3年目に入ろうとしています。この間,医療現場の最前線で保健・医療従事者の方々が懸命に奮闘されてきたこと,感謝の念に堪えません。「医療崩壊」などと言われる厳しい状況の中,患者さんのために全力を尽くされる姿に,多くの人々が心を動かされ,医療の大切さを改めて身近に感じたと思います。実際,欧米諸国と比べても格段に低い感染率や死亡率は,感染防止に向けた国民の理解と協力と共に,こうした保健・医療従事者の方々のご尽力によるものだと感じています。

 幸いにも昨年後半に入り,短期間に効果の高いワクチンが普及し,中和抗体薬など新たな治療手段を手にできました。何より今は,昨年末に取りまとめた保健・医療提供体制確保計画の実行など,さらなる感染拡大への備えに万全を期したいと考えています。

 他方,これまでのコロナ対応を振り返ると,わが国の保健・医療提供体制をめぐるさまざまな課題が浮き彫りになりました。「日本の感染者数は欧米に比べはるかに少なく,人口当たりの病床数は多いのに,なぜ病床ひっ迫が起こるのか」など,政策担当者にとって耳の痛い指摘も数多くあります。

 近い将来,次の新興感染症の襲来リスクが決して低いとは言えません。今回得られた教訓を基に,いざという時の人材確保,地域における医療機関の役割分担と連携強化など,保健・医療提供体制を見直し,次に備えることが必要だと感じています。同時にこうした備えは,2040年頃を見据えた時に,担い手不足等のさまざまな問題に直面している日本の医療現場の課題解決にもつながるものと思います。

 今回の経験を次につなげていくために,2022年が,いざという時に頼りになる「しなやかで,たくましい」医療提供体制の実現に向けた一歩になればと願っています。


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沖縄県立中部病院 病院長

 今年は沖縄が本土に復帰して50年目に当たる。医療においては,1972年5月15日を境に本土の現物給付制保険が導入された。激変緩和措置もない,いきなりの移行で沖縄の医療は大混乱に陥った。この復帰前後の激動を,患者側と医療者側両方の視点から私の知る限りで述べてみたい。

 本土復帰後,患者側にとっては,診察後帰る時に窓口で診療費の3割分を支払うだけになり,相当楽になったと言える。大変だったこれまでを簡単に振り返ると,沖縄戦で医療は完全に崩壊し,その後は実質上の無保険状態が続く。1965年に現金給付制保険が制定されるが,これは受診した患者が医療機関の窓口で診療料金全額を支払い,診療料金受取証書を受領する。証書に給付申請書を添えて保険事務所に提出。さらにそこで診療料金受取証書に記された個々の診療行為を算定基準に照らして算出し,その額の7割が給付額として患者に支払われるというものであった。当時はバスなどの公共交通機関も十分整備されておらず,多くの患者が保険事務所まで出向けずに還付を受けられなかったと聞いている。

 医療者側にとっては,これまで診療料金全額が毎日入っていたのが,2か月以上経ってからしか入らなくなり,諸経費等の支払いが大変になった。その上,診療報酬の大部分は診療月の初日から末日までの1か月分を翌月の10日までに診療報酬請求書として社会保険診療報酬支払基金に提出,さらにそこで請求書の診療内容の適否を審査した上で診療報酬が支払われるなど事務作業も複雑化した。

 疾病を長く抱えながらも医者へかかれずにいた患者(潜在的疾患を抱えた患者)が,気軽に受診可能になったことで多く掘り起こされ,ただでさえ少ない医療機関に殺到し,そこに慣れない事務作業が追い打ちをかけた。これらの負担増加で,これまで輪番制で行っていた夜間救急診療を断る医療機関が続出。ついには当院が本島で救急を受け入れる唯一の施設となってしまう。当院はまさに野戦病院と化し,夜間は200人以上の受診が当たり前,緊急手術の連続で予定手術が夜中から始まるというのも日常茶飯事,あまりに厳しい勤務で看護師の約3分の1が退職する等,本当に凄まじいものであった。

 その困難を全職員が協力して乗り切った。このことで,“当院は救急医療の最後の砦であり,救急患者は決して断らない”という認識が全職員の心に刻み込まれ,その姿勢は現在に至るまで変わらぬ伝統となったのである。


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社会医療法人 河北医療財団 理事長
公益財団法人日本医療機能評価機構 代表理事 理事長

 「公」「私」「官」「民」はよく混同して用いられる言葉ですが,整理して考えなければなりません。「公」「私」は気持ちの持ちよう,あるいはその立場での事柄・事態のことを指します。Public mindとpersonal mind,public matterとpersonal matterという使い方をします。一方,「官」「民」は運営主体を指したものでgovernment sectorとprivate sectorのことです。

 日本は明治維新以降,多くの「公」が「官」によって運営されてきました。しかし,日本国有鉄道がJRに民営化され,日本電信電話公社がNTTになったように,多くの社会インフラを含めて「公」は「民」でも運営できるのです。軍隊や警察は難しいかもしれませんが,「公」のほとんど全ては「民」によって運営できると思っています。社会保障においても全てを「官」が担う必要はないと考えています。

 わが国は「貧しい国日本」になりつつあり,多くの経済指標がそれを物語っています。それにもかかわらず,政治は自らの立場を擁護することだけにこだわり,行政は前例を踏襲し,“お上”意識がいまだに全く抜けていません。一方,民間と私人は行政に対しての依存心が極めて高く,社会を牽引する気概が見られません。

 今日,話題になっている渋沢栄一は,明治初期にこれらのことを見透かし,民間の立場で社会作りを進めました。戦後,鈴木善幸内閣に始まり中曽根康弘内閣まで続いた土光臨調,そして小倉昌男氏の「クロネコヤマトの宅急便」が,まさにこの公私・官民の在り方を強く意識した変革を実現してきたわけです。

 医療も例外ではありません。将来「官」の立場だけで政策を進めれば,財政は破綻するでしょう。ぜひ,これからの社会保障政策,社会保険制度に民間の立場を大いに反映させなければならないと考えています。

 本稿をお読みの方にも,医療における「公」「私」「官」「民」の在り方を考えていただきたいと強く思います。


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社会医療法人石川記念会HITO病院 理事長
石川ヘルスケアグループ 総院長

 日本の置かれた急激な社会構造の変化の中で,地域に必要とされる医療機能を維持し,少子高齢化に伴う働き手不足をマイナスのイメージからプラスへと転換していくためには,テクノロジーの活用が必須である。人口構造においても高齢者の割合が増加し,高齢者特有のmultimorbidity(マルチモビディティ)に対応するために,多職種協働のチーム医療が必要となる。2024年から医師の働き方改革が実装される中で,当院では医療の質を担保し,かつ業務の効率化の両立を図っていくために,5年前からICTの利活用を推進してきた。

 病院でデジタル化が進まない背景として,いくつかの要因が挙げられる。無線LANなどの環境整備における課題,導入と維持のコスト,IT人材の確保などである。また,デジタル化を開始する時点でのシステム構築への完璧主義も物事が進まなくなる要因であると考えている。

 加えて,病院運営の中で,医師の指示の下という原理原則があり,今までは,ピラミッド型の組織体制が構築されていた。しかし緊急事態下での情報共有の在り方,迅速な決定,対応・対策について,新興感染症の流行が,自らの組織の体制があまりに脆弱であることを再認識する大きな機会となった。2021年1月にグループ内の老健施設でクラスターが発生した際に,職員間の情報共有の中心は,業務用のSNSであった。1対多のコミュニケーションを可能とし,相手の時間を奪わず場所も問わない。隔絶された状況下にあっても双方向でのコミュニケーションが可能となり,スタッフの心理的な安全性にも寄与していた。医療の日常は緊張と決断の連続である。自身の問い掛けに返事や反応があること,賛同してくれる仲間がいること,素直に感謝の言葉(絵文字)を伝えられることなど,多くの利点がある。

 また新人教育においてもICTの利用は有効だ。Z世代のITリテラシーは高い。彼ら,彼女らがタブレット端末を使いこなし,自らの隙間時間を利用し,e-ラーニングを活用しながら当前のように知識を習得している。今までの当たり前が当たり前でなくなり,新しい学びの環境や医療の在り方においても,DX推進に多くの可能性を感じている。

 今,日本が,そして病院も大きな分岐点にいる。本来の日本人や医療人らしさ,その核にある精神(私は利他の心だと思う)や企業理念を中心にDX推進を図れば,独自の「らしさ」を追求できるのではないだろうか。今こそチャレンジである。


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パナソニック健康保険組合立松下看護専門学校 副学校長兼教務部長
一般社団法人日本看護学校協議会 会長

 2020年から続く新型コロナウイルス感染症の影響で,看護教育機関も大変困難な状況を強いられてきた。対面が常識であった授業がオンラインになっただけでなく,医療体制の逼迫や感染予防対策のため,臨地実習も大きな制限を受けることになった。友人と議論し,共に教え合い,学校帰りに悩みや愚痴を聞いてもらう。それらの人と人とのかかわりの中で成長・成熟・発展することを大切にしてきた看護の「当たり前」の世界が,一気に「当たり前」でなくなっただけでなく,「制約される」ものへと変化してしまった。オセロの黒が白に変わるような,まさに一瞬の変化であった。

 加えて,2021年4月1日に保健師助産師看護師学校養成所指定規則と看護師等養成所の運営に関する指導ガイドラインが改正され,2022年4月の入学生から新しいカリキュラムが運用開始となる(2年課程においては2023年4月1日から)。この第5次カリキュラムは,総単位数が97単位から102単位へと増加するとともに,総時間数が削除されて完全な単位制となることにより,学生が主体的に学べるような柔軟なカリキュラム編成を可能にする。また,人生100年時代に必要な健康寿命の延伸をめざし,「在宅看護論(4単位)」が「地域・在宅看護論(6単位)」へと発展し,基礎看護学の次に位置付けられることになった。

 これらを基に,「看護教育機関に求められるこれからの能力」とはどのようなものかを考えてみたい。「マウスイヤー」という言葉がある。これは,ネズミが人間の18倍の速度で成長をすると言われていることから,一般的な人間の時間間隔で臨んでいると認識や技術が瞬く間に進化し,従来の知識や技術は,すぐに陳腐で時代遅れのものとなり,成長から取り残されてしまうことを指す。まさに,現在はこの状況であろう。しかし,2020年に生誕200年を迎えたF・ナイチンゲールは,全ての人が健康に暮らす世界を支援するために,「病院は文明の中間段階にすぎない」と看護師が地域で果たすべき役割を説き,自然治癒力を高めるための「換気と清潔による衛生の大切さ」も述べている。また弁証法では,「事物が螺旋的発展する時は,未来進化と原点回帰が同時に起こる」と言われている。

 2022年は事物が飛躍的に発展する年になるだろう。看護がこれからも人々の健康に寄与し続けていくには,変わるものに柔軟に対応する未来進化と,時代を越えても変わらない教育や看護の本質を見抜く原点回帰の両方の能力が今まで以上に求められる時代になった。看護教育がより発展できるよう,私自身もワクワク楽しみながら挑戦していきたい。


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一般社団法人薬学教育評価機構 理事長

 昨年来,厚生労働省の「薬剤師の養成及び資質向上等に関する検討会」(筆者が座長)において,これからの薬剤師の養成や資質向上等にどのように取り組むべきかが検討されています。その背景には,わが国において一層の少子高齢化が進み人口の地域差が拡大していること,またかかりつけ薬剤師・薬局の推進,医療機関におけるチーム医療の促進,地域包括ケアシステムにおける薬剤師の対応など,薬剤師に求められる役割の大きな変化があります。

 薬剤師の養成の根幹となる6年制薬学教育については,実務実習導入,コアカリキュラム作成,教育の第三者評価(後述)など,関係者の大きな尽力により,順調に進められてきました。しかし,6年制薬学教育が開始されてから約10年が経過した現在,国家試験合格率が低いこと,多くの大学で見られる国家試験対策に偏重した教育,留年や卒業延期する学生の多い大学の存在,研究力の低下など多くの問題が顕在化してきました。最大の原因は,6年制導入後の薬学部(学科)数の増加とそれに伴う入学定員の大幅な増加にあります。これらに対しては,将来的に薬剤師が過剰となることも予想されるため,入試の厳格化や適正な入学定員の検討を早急に行い,薬学の教育と研究の質の向上に取り組む必要があります。特に,私立の薬科大学は一致団結してこの問題解決に頭を絞ることが喫緊の課題であると強く感じます。

 6年制薬学教育では,臨床・在宅医療に関する実習や医師・看護師など他職種と連携した教育が一部の大学で既に行われつつあります。これらは,調剤中心の業務から,チーム医療や地域包括ケアシステムなどで幅広く活躍する薬剤師を育成するために極めて重要であり,今後一層力を入れる必要があります。また,AI業務の導入など薬剤師を取り巻くさまざまな環境変化に対応するために,あるいは新型コロナウイルス感染症に対するmRNAワクチンなど,進歩の著しい新薬の開発に対応するために,卒後研修や生涯研修の一層の充実が重要になります。10年,20年先に求められる薬剤師の養成と資質向上に向けて,薬学分野の多方面の関係者が,他の医療関係者とも強く連携しながら尽力することを期待しています。

 最後に,この場をお借りして,私が理事長を務める薬学教育評価機構を紹介させていただきます。この機構は,6年制薬学教育において薬剤師養成のための質の高い教育が行われることを社会に対して保証するための第三者評価機関として2008年に設立され,2019年度までに74校の第1期の評価を滞りなく終了し,現在第2期の評価を開始したところです。今後も薬学教育・研究活動の充実と向上に取り組んでゆく所存です。


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日本循環器学会ダイバーシティ推進委員会委員長
日本医科大学武蔵小杉病院 副院長

 2021年に開催された「2020東京オリンピック・パラリンピック」は「多様性と調和」のテーマ通り,ハーフの日本人,障がい者,性的マイノリティのアスリートの活躍によって,「ダイバーシティ」の概念が日本社会に浸透したことを象徴するものであった。翻って,医学界ではダイバーシティが進んでいるだろうか。

 日本循環器学会ダイバーシティ推進委員会は,その前身である男女共同参画委員会の設置から2020年に10周年を迎えた。当初は,女性循環器医の勤務環境の改善と就労継続支援への取り組みが主たる活動であった。具体的には,学術集会での保育所の設置や地方会での産休・育休復帰研修,スキルアップセミナーなどを実施。2014年には,女性循環器医の勤務環境改善のための提言を行った。さらに目的達成のための意思決定の場へ女性が参画できるように,社員選挙で女性枠社員を従来の社員数の外枠で増設および女性枠の理事の任命,各委員会・賞選考委員会への女性の参画について要望書を提出した。女性医師のネットワーク(JCS-JJC)も構築した。

 このような組織における意識改革や女性のリーダー層の育成に努めた結果,2021年の第85回日本循環器学会学術集会総会では会長(奈良医大・斎藤能彦先生)のご理解を得られ,目標としていた「一般演題における女性座長比率30%」を超えることができた。

 2018年,私立医大入試における差別が指摘され,文科省による指導が行われた結果,2020年は女性の医学部合格率が男性を凌駕し,女性入学者数は4割近くを占めた。一方で新専門医制度導入後,研修はより長く厳しいものになった。妊娠・出産期を迎える女性医師には負担が大きく,内科系でも特に救急診療の多い循環器領域では若手女性医師の割合が伸び悩んでいる。放置すれば絶対的なマンパワー不足に陥ることが予想され,今後も継続的な支援が求められる。

 本委員会は2018年からダイバーシティ推進委員会に発展し,現在は性差にとどまらず「世代・職種・留学生・他学会などさらなる多様性の交流と相互理解・進歩を考える場」として活動を行っている。40歳未満の若手医師の部会である「U-40」を新規に設置し,若手の人材育成に注力している。「働き方改革」の問題にも着手した。さまざまな領域に属する委員も加え,循環器領域において横断的かつイノベーティブな研究活動が発展するように,さらなる多様性の推進に向けて活動を始めた。

 日本が多様性に向かう時代に,社会を支える医学・医療の現場も多様性を受容する組織への変革が望まれる。そのためには,構成する医師一人ひとりに「寛容性」を醸成していく機運を,医学界に高めていくことが必要であろう。


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YUIMAWARU株式会社 代表取締役

 近年,生徒指導や特別支援教育等にかかわる課題が複雑化・多様化していることに伴い,学校では教員と多様な専門家が共にチームのメンバーとして,それぞれの専門性を生かして協働することが求められている。

 作業療法は,対象とする人々が目的や価値のある作業を,その人の生活環境でできることを通して健康と幸福を促進する。学校においても問題行動の解決に焦点は当てず,本人・保護者・教員がしたいこと,期待していること(以下,届けたい教育)を目標とし,その実現をめざす。目標がみんなの届けたい教育であるため,その生活をよく知る教員と保護者,本人が中心となり安心してチーム作りが可能となるのである。さらに作業療法士(以下,OT)は,本人がその環境で作業を遂行する時の質の分析(作業遂行分析)ができるため,情報を基に教員が主体的に取り組むことを可能にする。

 沖縄での事例を通して説明したい。

小学3年生,男児。担任教員より授業中の離席について相談があった。OTは教員に「離席しなかったらどんな教育が届くことを期待しているのか」など問題行動の先にある届けたい教育について面接を実施。担任は「この子は離席などで毎日注意ばかりされている。授業で褒められる経験をさせたい」と語った。

このケースの場合,OTは離席をしないことではなく,授業で褒められる経験を積めることを目標に介入を進める。

 このケースが目標とする授業の遂行上の問題点(動くことへの衝動性や机上作業に必要な巧緻性など)と利点(情報処理能力と理解力があり,発表が好きなど)をチームで共有。担任はグループワークを頻回に設け,机移動により動く機会を増やし,本児童の得意な発言をワークの中で生かし,授業中ノートの書く量を少なく調整した。その結果,本児は授業中よく発言するようになり,家庭でもできたことを話すなど,学校でも家庭でも褒められる経験を積むことができ,離席もしなくなった。

 届けたい教育の実現は,それが新たな変化につながるという特徴を持つ。昨日まで離席し注意されていた児童がグループワークで活躍し成長することを目の当たりにした教員の健康にも影響を与える。また他児童も,多様性を尊重したかかわりを学べるのである。

 学校の専門家としてのOTの介入はまだ前例が少ないため,今回は沖縄での実践を紹介した。このように子どもの多様性を尊重した学校と家庭のチームアプローチを可能にする作業療法が広がることを強く望んでいる。


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京都大学iPS細胞研究所(CiRA)国際広報室 サイエンス・コミュニケーター
サイエンスイラストレーター

 「SARS-CoV-2がACE2発現iPS細胞に感染するためには,エンドサイトーシス経路ではエンドソームに存在するカテプシンBが,エンドサイトーシス経路を通らないケースでは細胞膜に存在するTMPRSS2が重要な役割を担っていることがわかり,それらの阻害薬またはゲノム操作によって感染を防ぐことができる」という論文の概要文1)があったとします。専門用語の補足説明があったとして,すぐに研究成果のイメージがつかめるでしょうか。概要分に加えて内容を表すイラスト()があれば,概要を把握する時間が一気に縮まるように思います。このような論文の趣旨を一枚にまとめたイラストを「グラフィカルアブストラクト」と言います。

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 文献1に掲載のグラフィカルアブストラクトを日本語訳したもの

 近年,SNSの普及などにより,学術誌の多くはグラフィカルアブストラクトの提出を論文投稿者に求めるようになってきました。私は現在,京都大学iPS細胞研究所(CiRA)国際広報室に所属し,科学専門のイラストレーター(サイエンスイラストレーター)として,学会の発表スライドなどで使用する細胞や臓器のイラストから,論文のスキーマ(図式),学術誌のカバーアートまで,CiRAの研究者が必要とする科学や医療に関するさまざまなイラストを制作しています。最近では,上記で挙げたようなグラフィカルアブストラクト作成の依頼が増えている印象を受けます。学術誌の読者はほとんどが多忙極まる研究者や医師であり,彼らは限られた時間の中,大量の論文の中から素早く読むべきものを見極める必要があります。グラフィカルアブストラクトはそのような精選の手助けになっているようです。また,一枚にまとめられたこのようなビジュアルは,そのままSNSに貼り付けて拡散したり,学会発表などでスライド一枚に簡潔に示して説明したりと,さまざまな場面で活用できます。

 CiRAの国際広報室で,日々効果的な科学広報の方法について考えていますが,私はイラストや写真を含んだ,目を引くビジュアルの存在が重要な鍵であるように思います。最近は,メディアの方向けのプレスリリースや,一般の方に向けた科学広報イベントの告知においても,冒頭にビジュアルを挿入して注意を引きつける工夫をしています。ぜひ,ビジュアルを活用した効果的な科学・医療コミュニケーションを意識してみてはいかがでしょうか。

 京都大学では,2019年に研究を一目で伝える科学イラストセミナーを開催し,『プロに依頼する科学イラストのススメという冊子を公開しましたので,参考にしていただければ幸いです。

1)Mol Ther Nucleic Acids. 2021[PMID:34692233]


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ペシャワール会PMS支援室長兼PMS総院長補佐

 パキスタンのペシャワールでハンセン病の診療に当たっていた中村哲医師は,当時のソ連によるアフガニスタン侵攻(1978~89年)から国境地ペシャワールへ逃れてくるアフガン難民の診療にも必然的に着手した。その後,基地となる病院をペシャワールに置き,両国のハンセン病多発地帯(その他感染症の巣窟でもあった)に次々と診療所を開き,医療過疎地の診療に力を入れた。そんな中,アフガニスタンが大干ばつに見舞われたため井戸を掘り,聴診器を外して最終的に白衣を脱ぎ,干上がった農地へ水を引き入れる用水路の建設に没頭した。「人を癒やすことから,枯れ果てた大地を癒やす医者となったのである」と言えば言葉は美しいが,実際にはすさまじい苦闘があった。しかしそれに報いる喜びも備えられていた。

 中村医師は2019年12月4日に,かの地で銃撃を受け亡くなった。長年共に医療活動や灌漑事業を行ってきた現地の事業体PMS(ピース・ジャパン・メディカルサービス)とペシャワール会は,中村医師の遺志を継いで,今なお干ばつが進行するアフガニスタンで事業を継続している。

 2021年8月15日,タリバンが首都カーブルを掌握した。国際社会は2001年と変わらずに「タリバン=悪の権化」と認識しているようで,米国はアフガニスタンの資産を凍結し,貧困国に対する支援金を持つ世界銀行と国際通貨基金も拠出を停止して今に至る。資産凍結は,タリバンの女性の人権迫害が大きな理由の一つとされる。15日以降,無政府状態となり,私たちは現地の事業を全て停止して様子をみた。数日後には治安が改善し(地元の人々曰く,以前より良くなった),バザールや両替商も通常に戻り,PMSは21日に診療所を再開した。時期的にマラリアや腸チフス等の患者が多く,また数か月前から新型コロナウイルス感染疑いの来院者が増加していたのだ。しかし,資金凍結による物価高騰も拍車をかけ,薬品の購入が困難になっている。そんな中でも何とか薬品をそろえているわが診療所には遠方からの受診者が増え,いつまで薬品が持つかが心配の種となっている。

 31日,アフガニスタンから全ての外国軍や団体が撤退した。残されたのは,餓死線上1400万,飢餓線上2000万という圧倒的な食糧危機に直面しているアフガニスタンの人々である。中村医師が井戸や用水路建設に取り組まざるを得なかった2000年の大干ばつは,国民の半数が被災し飢餓線上400万人,餓死線上100万人との発表であった。私たちの診療所周辺も田畑が干上がった。わずかな汚染水を飲まずにはいられない栄養失調の子どもたちが,その後どうなるかは想像に難くない。

 「薬では渇きは癒やせない」「百の診療所より一本の用水路を」と,中村医師が干ばつを訴えながら用水路建設を続けて20年が過ぎた。2001年のタリバン政権時に起こったニューヨーク同時多発テロ事件の後タリバン政権が陥落し,世界各国がこぞって「アフガニスタン復興支援」を開始してからの20年でもある。国際社会は膨大な支援金を投入した。しかし,実際にはこの11月の小麦の種まきもできないほど田畑は干割れ,このまま放置すると1000万以上の餓死者が出てくる。こんな状況の中,資産凍結が解除されず,現地では活動資金が銀行から十分に引き出せない状況が続いている。命は平等とよく言われるが,この状況では疑問を感じざるを得ない。

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写真 PMS診療所の様子

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