医学界新聞


エビデンスに基づく介入を現場に根付かせるには

対談・座談会 島津 太一,久我 弘典,梶 有貴

2021.10.04 週刊医学界新聞(通常号):第3439号より

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 実装科学とは何か。保健医療従事者が他職種や患者,地域コミュニティなどの多様なステークホルダーと協働して,エビデンスに基づく介入(Evidence-based intervention:EBI)を臨床活動に落とし込む新しい学問領域である。
 EBMの浸透に伴い,これまで多くのEBIが示されてきた。近年,EBMの次なる一手として,「どうやって現場にEBIを定着させるか」を考える実装科学に注目が集まり始めている。保健医療従事者はどう実装科学に向き合い,EBIの実装に取り組むべきか。がん予防に向けた実装科学の推進に注力する国立がん研究センターがん対策研究所の島津氏を司会に,精神科領域とプライマリ・ケア領域で実装科学の普及を模索する久我氏と梶氏を迎え,3人が今後の方策を語り合った。

島津 近年,日本で実装科学に対する関心が高まっています。その背景には,EBMの浸透に伴い臨床研究が数多く実施されて診療ガイドラインの作成に至っても,EBIが社会実装として日常診療で患者の健康アウトカムの向上に貢献するまでには長い時間を要していることが挙げられます。

 臨床における根拠と実践の乖離を意味する「エビデンス・プラクティスギャップ」の問題ですね。ある報告では,研究論文が発表されてからEBIが現場に根付くまでには平均で17年かかる1)と示されています。

島津 このギャップを短縮するには,EBIを実施する保健医療従事者などのステークホルダーの行動変容を促す実装戦略を積極的に立案した上で,戦略の効果を検証する実装研究に取り組むことが必要です(図1)。

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●図1  実装研究の位置付け
 実装研究は臨床研究と社会実装のギャップを埋めて,EBIを効果的かつ効率的に臨床現場に届けることをめざす。臨床研究ではEBIの効果検証を行い,実装研究では実装戦略の効果検証を行う。T1は基礎研究で得られた知見を臨床研究までつなげる橋渡し研究であり,T2は系統的レビューによるガイドラインで示されたエビデンスを社会実装までつなげる橋渡し研究である。

島津 日本は実装科学導入の過渡期にあり,すでに取り組みが進んでいる欧米諸国の後塵を拝しています。日本でも今後,社会実装に向けた取り組みを領域横断的に加速する必要があります。地域コミュニティや自治体など,ステークホルダーと連携の取りやすいプライマリ・ケア領域は,実装研究と親和性が高いのではないでしょうか。梶先生はプライマリ・ケア領域における実装研究の現状をどう見ていますか。

 これまで,EBIをプラクティスとして根付かせることを目的に,地域参加型研究(CBPR,註1)の手法などを用いた素晴らしい実践活動や実践報告が数多く行われてきました。これは全人的医療として標準的なケアを提供する性質上,プライマリ・ケアがEBIの実装に高い関心を持つためです。しかし「なぜそのプラクティスを根付かせることに成功したか」の科学的な分析は十分になされておらず,実践報告も一部の施設や地域などの取り組みにとどまっているのが課題です。実装研究は,これらの課題を打破するために有用だと考えます。

島津 個々に行われている実践活動を体系化し,一般化した知識に昇華できるのは実装研究の強みですね。実装の促進・阻害要因を分析するフレームワーク(註2)を活用して,実践での経験知をグッド・プラクティスにとどめるのではなく,エッセンスを抽出して他の現場へ還元する取り組みが求められます。

 プライマリ・ケア医は,現場を「研究の場」としてもとらえるべきなのですね。

島津 その通りです。もう1つ実装科学の強みを挙げるならば,社会実装における先行例としてのパイロットの役割を担える点です。診療ガイドラインをさまざまな要素が絡み合う社会に直ちに実装するのはハードルが高いと言えます。というのも,EBIの介入効果はリアルな環境に近付くにしたがって減弱するからです。

久我 そのため実装研究では,小規模パイロット試験から開始して,EBIが社会実装された場合にどこまで介入効果を保てるかを段階的に検証しています()。

島津 ええ。実装研究がめざすEBIの効率的かつ効果的な臨床現場への定着は,限られた医療資源を有効に活用する手立てともなり得ます。

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●表 Phaseごとに見た実装戦略に対する効果検証

久我 とはいえ,全てのEBIが実装研究の対象となるわけではありません。実装研究を実施する要件をEBIが備えているかは,十分に精査される必要があります。どのように分析するのがよいのでしょうか。

島津 よく用いられるのは,鉄道路線図を模したフローです(図22)。精査の第1段階では実験室に近い理想的な状況下でEBIに有効性(efficacy)があるか,第2段階では現場に近い現実的な状況下で有効性(effectiveness)があるかを調べ,全ての条件を満たしたEBIが実装研究の対象となります。その上で,社会実装に割ける人的・物的リソースには限りがあるため,優先順位をつける必要があります。

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●図2 EBIが実装研究を実施する段階にあるかを確認するフロー(文献2より改変)

久我 島津先生が考える,具体的な優先順位のつけ方を教えてください。

島津 ①EBIのエビデンスの強さ,②社会実装された際のインパクトの大きさ,③実施可能性の高さという3つの指標です。ここでは,社会実装に優先的に取り組むべきテーマである禁煙治療を基に考えていきましょう。いま挙げた指標に当てはめると,下記のように分析できます。

①質の高い複数のランダム化比較試験で禁煙効果が示されている
②2019年の喫煙率が男女計16.7%3)といまだに高水準である
③禁煙治療の受け皿となる禁煙外来が整備されている

 禁煙治療では,EBIとして禁煙外来で薬物療法やカウンセリングの実施が定められ,実装戦略として健診の場での禁煙支援や2006年からの「ニコチン依存症管理料」の保険適用開始,指導者トレーニングプログラムの実践,ニコチン置換療法のOTC化などが行われています。他方で2017年の推定年間禁煙治療者数は喫煙者の0.8%にとどまっており4),社会実装は十分と言えません。

島津 さらに言えば,集団間で健康行動のギャップが大きいのも,優先して禁煙治療に取り組む意義です。例えば医療保険における加入保険者種別から,大企業と中小企業では喫煙率にギャップが生じているとわかります5)。大企業では産業医・保健師に相談がしやすかったり,福利厚生として禁煙外来受診の補助金制度が設けられていたり,受動喫煙対策が進んでいたりすることが喫煙対策を促進しています。

 中小企業ではなぜ進んでいないのでしょうか。

島津 組織のトップが喫煙対策の重要性を認識していなかったり,対策に割ける人的・物的リソースが少なかったりする部分が対策の阻害要因かもしれません。そうであれば,トップや非専門職である健康管理担当者の行動変容を促し,職場における喫煙対策の優先度を上げてもらうための実装戦略の効果検証をすることになります。

久我 社会実装におけるプライオリティの高い禁煙治療では,これまでも多くの取り組みがなされてきた蓄積があります。そのため,実装科学の取り組みを他のテーマで推進する上で参考になります。

島津 同感です。また先述したギャップの大きさを可視化するには,EBIの効果や実施状況のモニタリングが欠かせません。どの分野でどのくらい研究が進められているのかについてのデータに基づく分析・把握は,優先順位をつけて社会実装に取り組むべきテーマを議論するための土台となります。

 現在プライマリ・ケアの現場では,久我先生がご専門とする認知行動療法が注目を集めています。うつ病などの精神疾患の患者への初期診療としてエビデンスが確立している一方,患者1人当たり1回50分,10~15回ほど実施を要するなど時間がかかり過ぎる部分がボトルネックになり,現場で十分に広がっているとは言えない状況です。精神科ではいかがですか?

久我 実は精神科の現場でも,認知行動療法が十分に実装されているとは言えません。理由として,日本では精神疾患治療の中心が薬物療法である点が1つ。もう1つは,やはり梶先生が挙げた時間的な問題です。81.4%の精神科医が,臨床現場で認知行動療法を実施できない理由として「時間的余裕のなさ」を挙げています6)。さらに精神疾患患者の多くは,うつや不安症状,過去のトラウマ,並存疾患の存在などさまざまなファクターを背景に抱えており,この複雑さも認知行動療法のアプローチを困難にする一因です。

島津 久我先生は,どうすれば認知行動療法を臨床現場に根付かせられるとお考えですか。

久我 認知行動療法の効率化が欠かせません。当センターでは精神科医以外でも実施しやすい認知行動療法として,効率型認知行動療法(Streamline CBT:SCBT)を厚労科研で開発しています。これは認知行動療法を効率化してさらに実装展開することをめざしており,さまざまな症状に対する認知行動療法のエッセンスを抽出した技法を含みます。1回15分程度で実施可能なため,プライマリ・ケア医や多職種の医療者が臨床現場で認知行動療法を必要とする場合は,まずSCBTを実施した上で必要に応じて精神科医に引き継ぎ,従来の認知行動療法を行う体制を構築できれば,課題解決の糸口が見えるでしょう。

 SCBTが広まることで,プライマリ・ケア医も認知行動療法の担い手となれますね。患者の健康アウトカムの向上につながると期待します。

島津 ここまで見てきたように,実装科学はEBMから連続した延長線上にあります。EBMの次なる一手として,実装科学を推進するにはどのような活動が必要だと考えますか。

久我 実装研究に取り組む人材育成です。基礎研究で得られた疾患メカニズムの知見を臨床研究につなげるT1(1面・図1)だけでなく,臨床現場での適用までを見据えた人材育成を卒前・卒後教育で行うのが望ましいと考えています。

 同感です。これまで医学教育ではT1に関心が持たれていた一方,作成されたガイドラインを現場に実装して臨床研究と社会実装をつなげるT2には十分な注目が集まってきませんでした。実装科学の枠組みに則ったT2の知識の体系化により,教育への導入が加速するでしょう。

島津 人材育成は実装科学普及の要です。それに加えて,先述したefficacyとeffectivenessを検証する臨床研究の段階から実装を意識したEBIを創出することが重要と考えています。これにより,さらに効率的にゴールとしての社会実装に近付けるはずです。今後,診療ガイドラインの作成から一歩踏み込んでステークホルダーの行動変容を促す実装科学の考え方を普及させて,患者さん・市民の幸せへの貢献をめざしたいと思います。

(了)


註1:註1:健康課題を解決して地域の健康と生活の質を向上させるために,地域の人々と研究者のパートナーシップの下に行われる活動。
註2:EBI実装のメカニズムを可視化するもの。代表的な例として実装研究のための統合フレームワーク(CFIR)がある。

1)Yearb Med Inform. 2000[PMID:27699347]
2)BMC Med Res Methodol. 2019[PMID:31253099]
3)国立がん研究センター.がん情報サービス.2021.
4)中村正和.わが国の喫煙の現状と禁煙治療をめぐる最近のトピックス.新薬と臨.2020;69(9):1109-15.
5)田淵貴大,他.日本における医療保険別の喫煙率格差.日公衛会抄録.2013;72:176.
6)日本医療政策機構.厚労省令和2年度(2020年度)障害者総合福祉推進事業 認知行動療法及び認知行動療法の考え方に基づいた支援方法に係る実態把握及び今後の普及と体制整備に資する検討報告書.2021.

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国立がん研究センターがん対策研究所行動科学研究部室長

2000年徳島大医学部卒。博士(医学)。佐賀医大で研修後,07年国立がん研究センター入職。同センター社会と健康研究センター予防研究部室長などを経て,21年より現職。がんの予防・対策法の開発に従事する。保健医療福祉における普及と実装科学研究会(D&I科学研究会)の事務局・世話人として,実装科学の推進に尽力している。

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国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センターセンター長

2006年大分大医学部卒。博士(医学)。飯塚病院で研修後,国立病院機構肥前精神医療センター精神科,米国での臨床や研究,公衆衛生大学院留学,九大病院精神科特任講師などを経て,19年厚労省の医系技官として精神保健行政に携わる。21年より現職。慈恵医大連携大学院教授を兼任。厚労省認知行動療法研修事業スーパーバイザー。

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国際医療福祉大学医学部助教/国際医療福祉大学成田病院総合診療科

2012 年筑波大医学群卒。同大水戸地域医療教育センター・水戸協同病院で研修後,東大大学院医学系研究科公共健康医学専攻を経て,20年より現職。19年より国立がん研究センター社会と健康研究センター特任研究員を兼任。質の高い医療を現場に実装するだけでなく,害を及ぼす医療を減らす取り組みとしてChoosing Wisely  Japan に参画している。

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