メディアアートで医療安全教育の実践を(山口悦子)
寄稿 山口 悦子
2021.09.27 週刊医学界新聞(看護号):第3438号より
日本に住む私たちにとって,アニメやマンガ,ゲームは幼いころから身近な存在です。これらは「メディアアート」や「メディア芸術」とよばれることがあります。明確な定義はない1)そうですが,本稿では「メディアアート」を,映像技術や電子・通信技術,デジタル技術などの現代の科学技術を媒体とした表現活動に対して用いることにします。
患者と医療者の学習効果を向上させる
私は小児がん専門の医師を経て,2009年に医療安全の仕事に就きました。私たち医療安全管理部門の仕事は,大きく①安全管理体制の構築,②医療安全に関する職員への教育・研修の実施,③医療事故を防止するための情報収集・分析・対策立案・フィードバック・評価,④医療事故への対応,⑤安全文化の醸成の5つとされています2)。①は土台づくり,④はいざというときのサポートです。⑤は①~④の結果であり,目的であり,ミッションです。日常の中心業務は②と③であり,「医療安全教育」といわれる私たちの主業務です。日々の教育や訓練が安全文化を作ります。いわば私たちは「病院という学校」の教師です。
教師として私たちは,生徒,言い換えると病院職員たちが楽しく主体的に学び,自律的に望ましい行動を取ることができるように,支援と指導とを工夫しなければなりません。そこで小児がん患者や経験者に向けた教育で培ったアニメーションやアドベンチャーゲーム制作3, 4)の経験を生かし,医療安全教育の学習効果を高めるためにメディアアートを応用しようと思い付きました。以下ではその一部をご紹介します。
◆転倒予防にアニメーションを活用
看護師がしばしば頭を悩ませる事故に「患者さんの転倒」があります。病院では不慣れな入院生活での転倒を防止するためのさまざまな対策が取られます。その一つが入院中の転倒の危険性とその防止について,患者さんやご家族に理解してもらえるように説明することです。多くの病院でパンフレットや文書が作成されていると思いますが,当院では患者さんがより理解しやすいように2013年に患者教育用アニメーション「転倒撲滅シアター」を作成しました(図1)。
これまで実施してきた口頭説明だけでは,注意事項が伝わりにくいと感じていたため,口頭説明に加えてアニメーションを視聴してもらいました。そして口頭説明のみの患者さんを介入前群(n=302),アニメーションを見た患者さんを介入後群(n=267)として比較したところ,特に65歳以上の患者さんでは転倒率および転倒未遂率が有意に減少しました(図2)5)。
アニメーションは,実写に比べて注意点や危険な点を強調しやすい利点があります。一方,表現によっては患者さんの不安や恐怖をあおる可能性もあることが示唆されています。そのため,制作には工夫が必要であることもわかりました5)。
◆静脈血栓塞栓症予防にノベルゲームを活用
深部静脈血栓症と肺塞栓症を合わせた静脈血栓塞栓症は,マニュアルだけ整備してもリスク評価や予防策の徹底に手を焼く病院が多いのではないでしょうか。致死率が高い一方で発生件数が手術1万件当たり3件程度6)とまれであるため,病院で危機感が共有されにくいことが背景にあるのかもしれません。
そこで医師や看護師が興味を持って静脈血栓塞栓症の認識を深められるように,マニュアルをゲーム化したゲーム型学習ツール「S. Q. way」を2018~19年に開発しました(図3)。このゲームでは,静脈血栓塞栓症の評価や対策について選択肢を選び,ストーリーを進めます。まず医学生有志に協力してもらい,試作品のゲームと文書のマニュアルのどちらが理解しやすいか検討しました。するとゲーム群(n=6)の方がマニュアル群(n=6)に比べて,理解度確認テストの点数が高得点でした7)。と同時に「ゲームに加えて従来のマニュアルも読みたい」という意見がみられました。ゲームを手掛かりに「もっと学びたい」という気持ちを引き出すことに成功したのです。同様の意見は研修医向けの研修でも聞かれ,医療安全の基本や作法を医師や看護師に対して教育する際,ゲームを応用できる可能性が示唆された事例と言えます。
オンラインでのアーツ・ベイスド・ラーニングの取り組み
医療安全管理部門の仕事の目的は,先述の通り「安全文化の醸成」です。そしてそのための教育は,学習者の主体性や創造性を触発して実践に生かせる身体的な感覚や経験を通じて心理や行動,感情に影響を与える活動である必要があります。海外では芸術や創造的表現手法を生かした教育手法であるアーツ・ベイスド・ラーニング(Arts-Based Learning:ABL)を活用した医学教育や研修の実践例が蓄積されており, 当院でもメディアアート以外に応用演劇を取り入れた参加型の医療安全研修を行ってきました。
そのような中で2020年に発生したコロナ禍では,対面のコミュニケーションが大きく制限されました。しかし冒頭に述べたように映像技術や電子・通信技術,デジタル技術による表現活動であるメディアアートは,オンラインとの相性が抜群です。私たちはオンラインの参加型研修にメディアアートをミックスしたABLの実践をめざし,その構築に取り組んでいます。
私たちが研修で病院職員の皆さんに学んでほしいのは,「事故を起こさないこと」だけではありません。一人ひとりがチームの一員である自覚を持ち,患者さんやご家族の参加するチームが協働し機能するための知恵や工夫を生み出す経験を積んでほしいのです。メディアアートは,そのような教育における新たな「メディア」として,ポストコロナにおいても,リアル/バーチャルを問わず大きな役割を果たしてくれると考えています。
患者教育用アニメーション「転倒撲滅シアター」は以下のURLからご覧になれます。
https://www.youtube.com/watch?v=Txa1YpPaFmk&ab_channel=OCUHAnzen
参考文献・URL
1)文科省.第4章 科学技術による新たな文化資源の創造 1 映像メディア技術による新たな文化創造.2004.
2)厚労省.医療安全管理者の業務指針および養成のための研修プログラム作成指針――医療安全管理者の質の向上のために.2020.
3)山口(中上)悦子,他(編).病院のアート――医療現場の再生と未来.アートミーツケア学会.2014.
4)山口悦子,他.科学技術コミュニケーションにおける表現の可能性――子ども用化学療法説明用映像制作.小児がん.2007;44:205.
5)Nakagami-Yamaguchi E, et al. The effect of an animation movie for inpatient fall prevention:a pilot study in an acute hospital. Saf Health. 2016;2(3):3-10.
6)黒岩政之,他.2009年日本麻酔科学会・肺血栓塞栓症発症調査結果.心臓.2012;44(7):908-10.
7)北村孝一,他.ゲーム型学習ツールを用いた静脈血栓塞栓症予防マニュアルの学習促進効果の検証.医療の質・安全会誌.2019;14:505.
山口(中上) 悦子(やまぐち(なかがみ)・えつこ)氏 大阪市立大学医学部附属病院 医療の質・安全管理部部長/病院教授
1990年山口大医学部卒。大阪市立大発達小児医学(小児科)などを経て,2009年より同大病院の安全管理部門専任医師に着任。18年より病院教授,19年より同院医療の質・安全管理部長。アートミーツケア学会理事,日本医療の質・安全学会代議員などを務める。
いま話題の記事
-
医学界新聞プラス
[第1回]心エコーレポートの見方をざっくり教えてください
『循環器病棟の業務が全然わからないので、うし先生に聞いてみた。』より連載 2024.04.26
-
PT(プロトロンビン時間)―APTT(活性化部分トロンボプラスチン時間)(佐守友博)
連載 2011.10.10
-
事例で学ぶくすりの落とし穴
[第7回] 薬物血中濃度モニタリングのタイミング連載 2021.01.25
-
寄稿 2016.03.07
-
人工呼吸器の使いかた(2) 初期設定と人工呼吸器モード(大野博司)
連載 2010.11.08
最新の記事
-
医学界新聞プラス
[第4回]肝臓の多血性腫瘤の鑑別のポイント
『肝胆膵画像診断の鉄則』より連載 2024.12.04
-
医学界新聞プラス
[第2回]NotebookLMを使って専門医試験対策を行う
『医師による医師のためのChatGPT入門2——臨床現場ががらりと変わる生成AI実践術』より連載 2024.12.04
-
医学界新聞プラス
[第2回]糸結びの型を覚えよう!
外科研修のトリセツ連載 2024.12.02
-
医学界新聞プラス
[第3回]疾患編:慢性虚血性心疾患――虚血と心筋バイアビリティの評価 虚血評価評価の意義,予後予測におけるCT
『心臓疾患のCTとMRI 第2版』より連載 2024.11.29
-
医学界新聞プラス
[第6回]SNS担当者の2大困りごと その1:SNS運用に協力してもらうためには?
SNSで差をつけろ! 医療機関のための「新」広報戦略連載 2024.11.29
開く
医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。