医学界新聞

寄稿 村松 太郎

2021.09.20 週刊医学界新聞(通常号):第3437号より

 心理現象が脳の活動の現れであるのなら,脳を調べることによって心理現象を説明することができるはずである。

 そこに刑事司法が注目している。なぜなら,裁判所が有罪・無罪の判決を下すためには,被告人の心理を証明しなければならないからである。刑法38条には「罪を犯す意思がない行為は,罰しない」,刑法39条には「心神喪失者の行為は,罰しない」と記されている。どちらも本人の意思にかかわる記載であり,「意思決定を証明する」という本来は不可能な作業が裁判所には課せられている。脳を通して被告人の心理状態を証明することができれば,刑事裁判の精度は格段に増す。裁判所が脳に注目するのは当然であると言えよう。

 しかしながら脳の所見は,心理現象を説明することはできても,証明することはできない。そもそも医学でエビデンスと呼ばれているものはグループデータにすぎず,特定の個人の特定の行為に適用することは困難である。ましてや被告人の犯行時の意思決定を正確に判定することは不可能だ。それでも,法廷へのニューロサイエンスの導入は加速している。裁判が争いであるという事情も,この加速を助長している。弁護側も検察側も,自分の側に有利な「科学的」データがあれば,積極的に法廷に提出する。そのデータの意味や信頼性を最終的に判定するのは,科学の素人である裁判官や裁判員である。ここに,脳についての検査データがその本来的な適用範囲を超えて拡大解釈・誤解釈されるというBOS(Brain Overclaim Syndrome:脳過剰重視症候群)という事態が発生し,時には全く非科学的な論考によって外観上は科学的な判決が下されるという裁判例がすでにわが国にも現れている。ニューロサイエンスは,正しく用いられれば裁判所による真実発見の作業に大いに貢献できるが,誤って用いられれば正義に反する判決を生む。脳機能画像の所見を犯行時の心理状態に直結させるような過剰な解釈はその顕著な一例である。将来においては,ある特定の個人の犯罪予測や刑罰の決定にも脳についての知見が理論的には応用可能であり,科学の誤用や濫用がなされれば,深刻な結末が待っていることは言うまでもない。

 臨床では,また一般社会では,啓発などの目的でニューロサイエンスの威力を実際以上に強調することが許容されることもある。しかしながら法に関連する場面では,現在までに得られている科学的知見の意味と限界を正確に提示することが何より求められる。ニューロサイエンスは人々の人間観をさえ変革する。その最前線に位置しているのが刑事裁判の法廷である。刑事司法が,ひいては人間社会が,ニューロサイエンスの知見を取り入れて健全な方向に発展するためには,医と法の緊密な対話が不可欠である。


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慶應義塾大学医学部精神・神経科 准教授

1983年慶大医学部卒。博士(医学)。同大にて研修後,米NIH Visiting Fellow,国立療養所久里浜病院精神科医長,慶大医学部精神・神経科専任講師などを経て2008年より現職。『精神科レジデントマニュアル』『認知症ハンドブック(第2版)』(いずれも医学書院)を分担執筆。その他,著書多数。

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