医学界新聞

寄稿 髙橋 邦彦

2021.08.02 週刊医学界新聞(通常号):第3431号より

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミック下において私たちは,新規陽性者数や重症患者数などの情報を毎日のように目にしている。日本における感染者の全国総数や都道府県別の値が棒グラフで表され,その時点での増減や,第1波,第2波など流行の動向を視覚的に確認できる。併せて,都道府県別等の件数を一つの地図上に色分けして描いた「疾病地図」は,件数の地域的な分布や流行の地域差をイメージすることに役立てられている。

 件数のデータに対し位置情報を付加したデータは空間データと呼ばれ,近年その利活用が進んできている。今回のCOVID-19パンデミックでは,モバイル端末のGPSデータや交通機関の利用なども含めた膨大な空間データを活用し,人の移動や感染動向を地理情報システム(Geographic Information System:GIS)によって視覚化する試みや検討も行われている1, 2)。空間データを扱うことで,従来のデータによる「どのくらい」の量だけではなく,「どこに,どのくらい」という情報が得られ,特に疾病発生をはじめとする健康関連分野における地域的な分布を分析する空間疫学(spatial epidemiology)では中心的なデータとなる3)

 空間疫学は感染症と深い関連を持つ研究分野である。John Snowによる1854年のコレラの疾病地図がさまざまなテキストで必ず紹介される(図14)。Snowはロンドン・ブロード街におけるコレラ症例を地図上にプロットすることで発生状況を視覚的に確認し,ある給水ポンプから近い場所でほぼ全ての死亡が起きているという症例のクラスタ(集積)をとらえた。これをきっかけにポンプの使用を止めてその地区の感染流行を抑え,さらにいくつかの研究からコレラの原因究明や対策が実現したのである。

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図1 Snowが1854年に,コレラ死亡者の居住地をプロットして作製した地図(文献4より)(クリックで拡大)

 観測された件数を地図上に表示することは空間データ記述の第一歩である。COVID-19の感染流行状況把握でも,各地域の件数を見ることは重要である。疫学研究の基本として,適切にデザインされた調査によって収集されたデータを用いることが望ましい。一方,感染症の発生や突発的な事象の発生を早期発見するためには日頃から発生状況をモニタリングしておく必要がある。通常の状況に比べ,突発的な増加を重要なシグナルとしてとらえる目的ではサーベイラスシステムの活用が有効である。感染症発生動向調査の定点報告などは全数を把握することはできないが,その流行状況を把握するために役立てられている。

 例として大阪府における2013年第49週のインフルエンザ流行の様子を観察するため,保健所管轄を単位とした定点報告数に基づく検討を行った疾病地図を図2に示す5)。この週は流行シーズン初期の段階であり,府全体の定点報告総数が138件,定点当たり報告数が0.46とまだ報告が少ない状況であった。

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図2 2013年第49週の大阪府におけるインフルエンザの定点報告(保健所管轄別,文献5より作成)
定点報告総数138件(1定点当たり0.46),直近3週の週平均50.00(相対リスク2.76)。Bの示す直近3週平均との相対リスクの地図化と分析から,Cの高リスククラスタ地域を検出した。

 このような疾病地図を描く場合,各地域の人口やその年齢構成などの背景要因には大きな違いがあり,各地域の発生件数のみを比べることは適切でないことも多い。ここでは地域の定点数に違いがあることを考慮して,まず定点当たり報告数を図2-Aに示した。全体としてまだ大きな流行になっていないものの,一部1.0を超えている地域が確認できる。

 次に,当該週報告の増減の様子を確認するため,前週までの直近3週間(2013年第46~48週)の週平均に対する当該週の報告件数の比による相対リスクを検討した。府全体での相対リスクは138/50.00=2.76となり,全体として増加傾向にあることが確認できる。各地域での相対リスクを計算し図2-Bに描くと,府全体の2.76を超えるような地域,また1.0を下回る減少傾向の地域が混在している様子が観察できる。

 さらにこの相対リスクが高い地域,つまり全体の増加に比べてより増加傾向が強い地域をクラスタとして検出するため,疾病集積性の検定による分析を行った。この週で統計的に有意なクラスタとして検出されたのは図2-Cに示された3地域(p値=0.0047)であり,その地域での報告件数が39件,相対リスクは6.89と府全体の相対リスクよりもかなり高い値となっていた。実際,定点当たり報告数が5.0を超えるような流行地域も含まれていた。

 感染症におけるサーベイランスシステムは,流行の立ち上がりを早期に検出し,早めの対策を取ることで,その地域における流行のピークのレベルを下げることが目的とされている。定点当たり報告件数や相対リスク,さらにデータを分析した結果など複数の指標を用いて地図による可視化を行い検討することで,新たな情報を引き出すことや有効な対策につながるものと考えられる。

 地図による情報の可視化は,健康危機管理の観点からも有効なツールの一つである。東日本大震災の発災後,本邦の災害対策基本法には次の条文が追加された。

第五十一条2 災害応急対策責任者は,前項の災害に関する情報の収集及び伝達に当たっては,地理空間情報の活用に努めなければならない。

 災害時における地理空間情報の活用が明記された点で画期的である。一方でそのわかりやすさから,示されている指標や意味を理解しておかないとバイアスのある解釈やとらえ方を誘導してしまう可能性もある。膨大なデータが利用可能になってきている現代において,われわれはデータリテラシーやリスクコミュニケーションに十分注意を払いながら,実社会に貢献するために空間データを利活用していかなければならない。


1)Int J Health Geogr. 2020[PMID:32160889]
2)J Epidemiol. 2021[PMID:33814508]
3)丹後俊郎,他.空間疫学への招待――疾病地図と疾病集積性を中心として.2007;朝倉書店.
4)WHO GIS Centre for Health.
5)厚労科学研究費補助金健康安全・危機管理対策総合研究事業(研究代表者・金谷泰宏).CBRNE事態における公衆衛生対応に関する研究.平成26年度総括・分担研究報告書.2015.

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東京医科歯科大学M&Dデータ科学センター生物統計学分野 教授

1995年筑波大第一学群自然学類数学専攻卒,同大大学院数学研究科博士課程修了。国立保健医療科学院研究員・主任研究官,名大大学院医学系研究科生物統計学分野准教授を経て,2020年より現職。博士(理学)。専門は生物統計学,空間疫学。09~11年に厚労省新型インフルエンザ対策推進本部事務局員として対応に従事した。共著に『空間疫学への招待』(朝倉書店)など。

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