Human Cell Atlasは医療に何をもたらすか
ヒト全細胞の「地図」作成に向けた,世界の挑戦
寄稿 清田 純
2021.07.19 週刊医学界新聞(通常号):第3429号より
人体を構成する約37兆個の細胞1つひとつの遺伝子発現パターンをカタログ化しようという壮大な計画,Human Cell Atlas(HCA) が現在進行中である。HCAは1細胞RNAシークエンス(scRNA-seq)技術の勃興に呼応して2016年に発足した国際コンソーシアムで,米ブロード研究所,英サンガー研究所,スウェーデンカロリンスカ研究所および理化学研究所が中核機関を担っている。
scRNA-seqとは,単一の細胞に含まれるmRNAの種類と発現量を計測する技術である。従来のRNA-seqでは一度の計測に多量の細胞を必要とするため,臓器や組織単位の平均の発現プロファイルしか得られず,構成する細胞の多様性や存在頻度の低い細胞の情報は得られなかった。しかし近年さまざまな技術の並列化・微細化が進み,1細胞ごとの計測が可能となり,多くの研究機関でscRNA-seqを用いた研究が進められている。HCAはその中でも最大級の研究プロジェクトである。
データの共有・相互参照で国境を超えて研究を促進する
約37兆個もの細胞を調べ,しかも人種間の差なども検討する必要があることから国際的な協業が必須であり,2021年6月時点で77か国から2000人を超える研究者が参加を表明している。費用は各研究所で確保し,さまざまな方針は毎年開催される全体ミーティングで話し合って決める草の根型の運営だが,Facebook創業者夫妻の財団で「21世紀末までにすべての病気を治療可能にする」との目標を掲げるChan Zuckerberg Initiativeからの強力なバックアップが決まり,順調な立ち上がりを見せている。
約1年間の準備期間にホワイトペーパーを策定してビジョンを共有した後,まず試料の調整方法などの比較検討と標準化,膨大なデータの蓄積や解析方法の開発が行われた。その後,第1期としてターゲットを絞ったドラフト版アトラスを作成する方針となり,18の領域(Adipose,Breast,Development,Eye,Genetic Diversity,Gut,Heart,Immune,Kidney,Liver,Lung,Musculoskeletal,Nervous system,Oral & Craniofacial,Organoid,Pancreas,Reproduction,Skin)が選ばれた。これをHCAバイオロジカルネットワークと呼び,研究者たちは現在,領域ごとのサブグループに分かれてデータの生成を行っている。世界各国で生成されたデータは,世界中のバイオインフォマティシャンが集結したData Coordination Platform(DCP)に続々と集まってくる。ここが統一されているために,データの比較や相互参照が容易に可能となっている。
また,DCPに集まったデータのうち公開に至ったものは,公開用のオープンプラットフォームであるHCA Data Portal(図)1)で誰でも閲覧できる。2021年6月現在で1350万もの細胞の情報が公開されており,データ利活用による医学・生物学の発展が期待される。

2021年6月現在,1200人のドナーから解析した64組織・1350万細胞の情報がオープンアクセスリソースとなっており,誰でもアクセス可能である。
コロナ禍におけるHCAの貢献
このHCAの基本姿勢と構造が真価を発揮したのが,2020年初頭から顕在化した新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)によるパンデミックである。同年4月には解析手法をオープンにシェアするためのCoronavirus Method Development Co......
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清田 純(せいた・じゅん)氏 理化学研究所生命医科学研究センター統合ゲノミクス研究チーム チームリーダー
1996年筑波大学医学専門学群卒。2006年東京大学大学院修了。博士(医学)。筑波大学心臓血管外科レジデント修了後,再生医療の研究を始め,米スタンフォード大学でデータサイエンスと融合。16年より理化学研究所勤務。現在,理化学研究所情報統合本部先端データサイエンスプロジェクト医療データ深層学習チームチームリーダー他を兼任。
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