医学界新聞

寄稿 深田 絵美

2021.07.12 週刊医学界新聞(レジデント号):第3428号より

 私の仕事は,研修医や専攻医のお世話をする,臨床研修担当の事務です。当院の卒後研修支援センターは一般的に,若手医師の教育プログラムの管理をする部門とされていますが,実際は,彼ら彼女らの日常に起こる,こまごまとしたよろず相談所の役割をすることも多いのです。

 忙しい研修医たちのお悩みには,実にさまざまなものがあります。次の通り,いくつかの例を挙げます。

●その1 診療・研修にかかわること(診療について悩むのは当たり前? でも大変)
●その2 上級医との相性がよくない(放置されている?)
●その3 同期が自分勝手だ,不公平なことをする人がいる(許せん)
●その4 私生活にかかわること(恋人・結婚)
●その5 進路のこと(終わりなき自分探しの旅)
●その6 当直の日(当直嫌だ! 当直嫌だ!! 当直嫌だ!!!!)
●その7 当直明け(当直大変だった! 当直大変だった!! 当直大変だった!!!!)

 番外編の悩み事としては,「寮のガスの開栓方法がわからない」とか,「警報機が鳴りやまない」とか,珍しいものでは「キッチンのシンクで飼っていたカメが逃げた!」という相談もありました。

 昔から研修医たちは,実によく泣いていました。世間ではちょうど『泣くな研修医』というテレビドラマが放送されていました。研修医が泣き出す第一波が訪れるのは,たいていは最初のローテーションが終わる頃です。医学生時代に抱いていた医師像と,今の自分が似ても似つかぬということで。医師らしいことが何一つできず,ふがいない今の自分とのギャップに悩んで泣けてくるのでしょう。

 昔,1年目のローテーションで脳神経外科を回っていた女性の研修医が,交通事故で脊椎損傷になった若い男性の担当になった時のことです。その患者さんは手術で何とか救命できたものの四肢麻痺となってしまいました。研修医は患者さんの奥さんへの,難しい病状説明にも同席させてもらっていました。奥さんは,実は新婚で身重だったにもかかわらず,主治医の話をよく理解して,取り乱さず気丈に耐えておられました。しかしICUでの管理が続いていたある時,奥さんが研修医の彼女にこんな告白をしました。

 「これから先,主人が生きていくために必要な手助けや世話をしていく覚悟をしました。でも,お腹にいる子どもは諦めることにしました。赤ちゃんと,両方の面倒を見るなんて,私には無理です」と。

 研修医は奥さんの告白に衝撃を受け,何と言っていいかわからず言葉を失ってしまいました。

 「独身で健康な私が,奥さんに『いや,諦めずに頑張りましょう』なんて言えないですよね。何にも言えないです」「旦那さん1人を救うことができないだけじゃなくて,こんなふうに赤ちゃんの命と2人の人生も救えないなんてことがあるんですね……」と,回転チェアに腰掛け,うなだれて泣いていた研修医の様子を,今も覚えています。

 研修医にとっては,ほとんどの患者さんやその家族が自分よりも人生の先輩です。患者さんから,白や黒だけでは決められない生と死のあわい(間)について,少しずつ学んでいくのです。

 その研修医は,今では立派な産業医となり,小学生の息子を育てる優しいお母さんになっています。今なら彼女は,当時接したその奥さんに,なんと声を掛けてあげるのだろうと,考えることがあります。

 駆け出しの頃はよく泣いていた研修医も,さまざまな診療科をローテーションして,経験(失敗)を積むうちに,ちょっとやそっとでは泣かなくなります。自分の感受性を守るすべをうまく身につけてたくましくなり,患者さんや自分が最悪の状況にならないためにはどうするべきかを,心得ていくわけです。

 彼ら彼女らが研修中に直面するタフな状況に出合うたび,私でも何か力になれることはないかしらと考え,事務担当の私なりにちょっとしたチャレンジをしていたことがあります。それは,1か月に1度くらいの頻度で,総合内科の朝のカンファレンスに5分程度の時間をもらい,ローテートしている研修医に向けて「詩や小説の一部を朗読する」というものでした。 

 これまで読んできた詩は八木重吉,茨木のり子,まど・みちおなど,小説や論説は南木佳士,鷲田清一,小林秀雄などです。時にはバッハの「平均律クラヴィーア」曲集などをBGMに流しながら,研修医自身に朗読をしてもらうこともありました。最初は照れながらも,最後にはけっこうノリノリで朗読してくれていました。

 これが,彼らの励みになったかどうかはいまだにわかりません。それでも,生きることについての詩人や小説家の言葉には,臨床の海で方向を迷った時の灯台の役割をすることがあるのではないかと信じています。

 研修が終わり4~5年も経ち,もう立派な専門医になって病院を変わって行くときに,「これは,持ってゆきます」と,研修医の頃に読んだ詩のプリントを大事に荷物に詰めてくれている様子を見ると,うれしい気持ちと,もしかしてどこかで彼を励ますこともできたのかとほっとしたような気持ちになります。

 今,悩んでいることが,患者さんのことである研修医の皆さん。あなたはきっとよいお医者さんになれるでしょう。つらい時もあるかもしれませんが,若いうちは存分に悩み抜いてください。力になってくれる上級医や多職種のスタッフがきっと近くにいるはずです。

 今,悩んでいることが,自分の将来のことである研修医の皆さん。大丈夫。選んだ道(診療科や研究)が「無駄だった」「大失敗だった」と嘆いているような先輩医師の方に,ついぞ私はお会いしたことはありません。自分で悩んで選び抜いた道に後悔したと思っていても,実は風や動物によって正しい場所に運ばれる種子のように,適切な場で活躍できる日がきっと来ます。

 そして人間関係で悩んでいる研修医の皆さん。自分のことを「先生」と呼ばないコミュニティの人とお付き合いをしてください。皆さんの住んでいる世界は実に特殊で,狭いということを実感できるように。これは,毎年研修医の修了式に主賓としてお招きしていた大谷尚先生(名古屋大学大学院教育発達科学研究科特任教授)がいつも祝辞で語ってくださる言葉です。忙しくて病院の外に時間を作れないことも多いかもしれませんが,それをぜひ皆さんも実践してください。

 終わりに,「若手医師の成長を見守る」などという謎のミッションを勝手に遂行していた私のような人間を,受け入れ育ててくださった国立病院機構名古屋医療センターの先生方,そして病院を変わった後も同じ職種を認めて仕事をさせてくださる懐の深い大同病院の先生方に,この場を借りて敬意と感謝の気持ちをお伝えします。

 大同病院の医局の隣には,診療現場や家庭とは異なるサードプレイスが存在する。当院の卒後研修支援センターだ。サードプレイスの役割も持つ同センターが提供する価値は,「研修医の心のやすらぎ」である。疲れた心と体を癒やすために,甘いお菓子も用意されている。同センターのスタッフは研修医の悩みを傾聴する。研修医は,研修にかかわることだけでなく,プライベートの悩みも吐露する。院長の私自身もサードプレイスにまめに通う。そこには,院内のあらゆる情報が集約されるからだ。院内で起こっている“ざわつき” を感じ取ることができる場所でもある。

 人の健康を守るべき病院が,研修医のラインケアに目を向けているだろうか? いつも気軽に立ち寄ってもらえる場だからこそ,研修医の 「いつもと違う」に気付く。皆さんの病院は,研修医の些細な変化を感じ取ることができていますか? 

 院内にはサードプレイスの本家本元,スターバックスがあることを付け加えておく。今日も,コーヒーを持った研修医で当院のサードプレイスは賑わっている。

大同病院院長・野々垣 浩二


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大同病院卒後研修支援センター副センター長

2002年より15年間,国立病院機構名古屋医療センターの卒後教育研修センターに勤務し,16年より現職。臨床研修担当の事務として多くの研修医や専攻医のサポートにかかわる。名古屋医療センター時代に働いていた部屋は通称「深田部屋」と呼ばれ,研修医が身近な出来事や相談事を話すために立ち寄るよろず相談の場にもなっていた。

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