医学界新聞

寄稿 今村 知明

2021.06.21 週刊医学界新聞(通常号):第3425号より

 わが国には,NCD,JROAD,J-ASPECTなど医療ビッグデータを収集するさまざまな仕組みがある。その中でも世界最大級のヘルスケアデータとして,レセプト情報・特定健診等情報データベース(National Database of Health Insurance Claims and Specific Health Checkups of Japan:NDB)1)が挙げられる。

 NDBは,医療費適正化計画の作成,実施および評価のための調査や分析などに用いる,日本の保険診療レセプトおよび特定健診(メタボ健診)の全数データベースである。生活保護における医療扶助や難病医療等の公費医療を除く日本の全てのレセプトが匿名化処理された上で格納されている。2021年3月時点でレセプトデータの全数は約188億件,特定健診データは約3億件と,国民皆保険制度を採る日本における保険診療の事実上の悉皆データである。

 NDBは一見宝の山だが,臨床研究に使用する材料としては金鉱山のような状況である。つまりは山を崩し,穴を掘り,石を選り分け,精錬し,金塊になるまでに膨大な作業があり,1人で行うには限界がある。事実,一般的な研究者間で十分に利活用が進んでいるとは言いがたい状況で,査読付き論文数も伸び悩んでいる。なぜNDBデータの利活用は進まないのか。その理由として,以下の4つの問題点が考えられる。

①申請に手間がかかりデータ受領までに時間を要す。
②データベースとして大き過ぎる。
③NDBのDPC(診断群分類)レセプトが特殊な形式で扱いづらい。
④匿名化されているため,個人の追跡が困難。

 例えば2013年度の1年分のNDB(約16億件のレセプトデータ)は,歯科を除いた医科・調剤のみでもCSVファイルで約300億レコード(行),項目数は約1300,ファイルサイズは3TBもあった。巨大な請求書の束であるNDBをいかに臨床研究に適したデータベースに,正規化した上で構築できるかが,利活用の最大のカギとなると考えられた。

 そこでわれわれは特に②と④に着目し,NDBデータの利活用の円滑化と高速化に向けた手法の開発と臨床研究への応用を目的として研究を進めている。具体的には,1患者=1データ化(患者レセプトの名寄せ)および,死亡情報などのアウトカムの付与の2点の手法を開発した2)。これらの成果を踏まえてこれまでに7年分の全入院外来患者についてNDBデータの連結とデータベースの構築を行っている。巨大なコホート研究基盤の完成を目前にNDBは宝の山だということを改めて実感している。

 NDBが宝の山と考えられる第一の理由は,全国調査を行うことなく,特定の検査を行った方や現在服薬中の方など「わが国におけるほぼ全数」のカウントが実務レベルで可能となるためである。実例を2つ紹介する。

 1つ目は糖尿病の総患者数である。2017年に実施された患者調査では328.9万人,2016年の国民健康・栄養調査では約760万人と,同じ国の統計でも前者では主傷病として通院中の方,後者では現在治療を受けている方を対象にカウントしているため,大きく隔たりがある。そこでNDBを用いて現在投薬治療を受けている糖尿病患者数を求めたところ,2015年時点で762.4万人となった。これは,2万人以上を対象にした標本抽出と採血検査から推計された,上記の国民健康・栄養調査とほぼ同数である。

 2つ目のHIV感染者数は,国のエイズ動向委員会により集計されている。2016年末におけるHIV感染者およびエイズ患者の累積は2万7443人3)であるが,これは調査時点で死亡している元感染者を含んでいる。NDBを用いて同時期に受診中の感染者に絞って集計したところ,2万646人であった。エイズ動向委員会の集計はあくまで医師による漏れのない報告を前提としているが,NDBは報告データを用いず同時期に抗HIV薬が処方された数を集計したものである。抗HIV薬はHIV感染症以外に利用されることはないため,NDBが示す約2万人という患者数は,現在受診中のHIV感染者数をかなり正確にとらえているものと考えられる。

 また,疾患ごとの有病率の算出に加え,NDBでは年齢ごとの「全数」のカウントも可能である。そのため,標準化死亡比(SMR)や超過死亡割合の算出,それをもとにした医療の質の検討への利用も期待される4)。このように,数を正しくカウントすることは全ての臨床研究や政策立案の一丁目一番地である。NDBは数を正しく漏れなく数えることで,今まで調査が難しかった事案や集計の正しさが判定できなかった事案について,新たな角度から検討材料を提供することができる。

 NDBを用いて臨床研究を行う際は,研究仮説をNDB的な表現へ「翻訳」する作業が欠かせない。例えば,冠動脈ステント留置後の抗血小板薬投与期間と冠動脈イベント(または重大出血)との関係を調べたい場合は,[「冠動脈ステント留置」は,レセプト(診療報酬制度)のどの算定項目を指すか?],[「抗血小板薬」の血小板薬の電算コードリストは?]といった「翻訳」を進める必要がある。

 NDB研究ではこのような通常の臨床研究とは異質の作業が要求されるため,さまざまな専門家の協働・分業が必須である。実際,NDB分析においては,以下の8つの職能が必要と考えられる。

1)各疾患の臨床医学の専門家
2)NDBの構造や落とし穴をよく知る人
3)データベースに強いシステムエンジニア
4)診療報酬請求の実務に詳しい医療事務
5)統計家(客体数が非常に多いため,P値が大変小さく算出されほとんど役に立たない)
6)コホートなどの分析経験を持つ臨床疫学者
7)申請書等の作成や各種の調整に慣れた行政経験者
8)上記の各職種を取りまとめられる人

 これらの職能を1人で兼務するのはほぼ不可能であるため,できるかぎり多くの職能が同一チーム内にいることが強く望まれる。多様な専門家と手を取り合ったチームを構築できるかどうかが,これからのNDBなどを用いた分析,「データベース医学」の発展の最大のカギになると考えている。


1)厚労省.匿名レセプト情報・匿名特定健診等情報の提供に関するホームページ.
2)野田龍也,他.レセプト情報・特定健診等情報データベース(NDB)における患者突合(名寄せ)手法の改良と検証.厚生の指標.2017;64(12):7-13.
3)厚労省.平成28(2016)年末におけるHIV感染者及びAIDS患者の国籍別,性別,感染経路別累計.
4)久保慎一郎,他.レセプト情報・特定健診等情報データベース(NDB)を用いた死亡アウトカムの追跡.医療情報学.2021;40(6):319-35.
5)野田龍也,今村知明.データベース医学の幕開け.再生医療.2019;18(4):391-406.

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奈良県立医科大学公衆衛生学講座 教授

1988年関西医大卒。93年東大大学院修了後,厚生省入省。博士(医学)。厚労省や文科省で統計情報,感染症,学校保健,食品保健行政を担当。東大病院企画経営部長を経て2007年より現職。専門領域は公衆衛生,医療政策,医療経営,医療経済,食品保健。厚労省にて医療計画の見直し等に関する検討会委員,社会保障審議会専門委員等を務めている。

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