過剰診断で悲しむ人をゼロにしたい
福島原発事故の教訓から
対談・座談会 髙野 徹,緑川 早苗,服部 美咲
2021.02.15 週刊医学界新聞(通常号):第3408号より

2011年3月に起こった,東日本大震災と福島第一原子力発電所事故(以下,福島原発事故)から間もなく10年を迎える。今もなお福島県では多くの子どもたちが甲状腺癌の検査を受けており,その結果,本来は生涯で治療の必要のない癌が多数診断される「過剰診断」が問題となっている。
過剰診断はなぜ患者にとって不利益となるのか。この10年間から学ぶべき「医療の在り方」とは何か。これらの問いに対して,福島原発事故当初から検査に伴う甲状腺癌の過剰診断について問題提起を行ってきた医師らとジャーナリストが議論した。
髙野 福島原発事故当時に福島県に在住していたおおむね18歳以下の方々を対象に,2011年10月より現在まで福島県「県民健康調査」甲状腺検査1)(以下,福島甲状腺検査)が実施されています。これまでに約30万人がこの検査を受診し,合計で252人が「甲状腺癌または甲状腺癌疑い」と診断されました(2020年6月時点)2)。子どもの甲状腺癌は非常に珍しい疾患ですが,福島県という狭い地域でこれほど多数の甲状腺癌の患者が見つかったことは県民に衝撃を与えました。甲状腺検査の実施が子どもたちに与える心身の影響やその検査方法に関する問題点を指摘する声も上がる中,今なお検査は継続して実施されています。
そもそもこの検査は,どのような経緯で始まったのでしょうか。当初より医師として検査業務に従事されていた緑川先生からお話しください。
安心につなげるための検査で不安が増大
緑川 福島原発事故は,1986年に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故と同等レベルの大事故である――。事故当時にこうした報道を耳にした多くの福島県民は,非常に強い不安を抱きました。チェルノブイリでは原発事故後に子どもの甲状腺癌の発生増加が認められたからです。福島県でも同じことが起こるのではないかと危惧されました。そこで,県民の健康を見守り,安心につなげるために福島甲状腺検査が開始されたのが当初の経緯です。
髙野 いざ検査が始まって,県内の子どもたちの生活にはどのような変化があったのでしょう。事故当初から福島甲状腺検査の取材を精力的に行ってきた服部さんよりお聞かせください。
服部 対象者の自宅には検査の案内通知書が届き,受診に同意した福島県内の小・中学生と高校生は,一次検査(超音波検査)を学校の授業の時間帯に受けるようになりました。学校行事の一環のように扱われているため,受診拒否は難しい状況です。
この一次検査で甲状腺結節の所見が認められた方を対象に,二次検査として再度の超音波検査を行うほか,血液検査や尿検査,場合によって穿刺吸引細胞診検査も追加します。そこで「悪性または悪性疑い」との所見が確認された場合,治療を勧められることになりました。
緑川 二次検査の結果「悪性または悪性疑い」と診断された住民の数は,検査開始前に甲状腺の専門家が想定していた結果をはるかに上回るものでした。そのため住民も専門家も大変驚き,当時は多くの方がその話題を気にしていましたね。
服部 県内の甲状腺癌患者数に関する報道が連日ありました。「自分の体に放射性物質がたまっている」と誤解し苦しんでいた福島県民は少なくありません。
髙野 しかし,そもそも福島県で健康被害につながる被ばくがあったとは考えにくいです。福島原発事故により周辺住民の甲状腺に取り込まれた放射性ヨウ素量(註1)は,平均するとチェルノブイリに比べ100分の1程度と推計されています。以下のように,チェルノブイリで甲状腺癌の発生リスクの上昇が確認できた最も低い被ばく量(150~200 mSv)と比較しても,さらにそこから1~2桁低いのです3)。
福島・チェルノブイリ原発事故後の避難者の被ばく量(甲状腺等価量)
参考)CT撮影検査による被ばく量は,1回当たり5~30 mSv程度6)。
福島県で甲状腺癌が疑われる方が多く見受けられた原因は放射線の影響ではないことを示すエビデンスはほかにもあります。チェルノブイリの例では事故後5年後くらいから甲状腺癌の増加が見られました5)。しかし福島の甲状腺検査では原発事故後まもない第一回目の検査から100例以上の甲状腺癌が見つかっています2)。この原因が放射線によるものだとは考えづらいのです。
緑川 では,なぜこのような結果になったのか。その背景には,他地域では行っていないスクリーニング検査を福島県内では悉皆的に行ったために,本来見つけなくてもいいはずの甲状腺癌を見つけてしまった,すなわち「過剰診断」が起こったことが関与しているのです。
過剰な検診で起こり得る4つの不利益
髙野 「過剰診断」とは,その診断や関連した治療が患者に利益をもたらす可能性が低い,または必要のない診断が付けられた場合に使用される用語です7)。
甲状腺癌は,癌の中では非常に予後が良く,特に若年者の甲状腺癌はたとえ転移・再発しても命を奪われることはめったにありません。罹患しても無症状のまま生涯発見されず,死後剖検で初めて発見される例も多い癌です。そのため,無症状のうちに早期発見・早期治療を行うことで得られる利益よりも,早過ぎる診断による不利益のほうが大きくなりやすいのです。
服部 癌の早期発見・早期治療の恩恵は大きいと一般的にはとらえがちですが,癌の種類やステージ,年齢にもよるのですね。
髙野 ええ。実際に,検診による甲状腺癌の早期発見の限界を示すエビデンスは数多く存在します。その中の1つをご紹介します。
韓国では1999年から甲状腺癌検診の公的補助が始まった影響で検診の受診者が増え,女性の甲状腺癌患者数が1999年に比べ2011年では約15倍に急増しました。しかし,そのほとんどが手術となったにもかかわらず,甲状腺癌に起因する死亡者数には変化がなかったのです8)。この報告から,小さな甲状腺癌の多くが無...
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髙野 徹(たかの・とおる)氏 りんくう総合医療センター 甲状腺センターセンター長
1986年東大理学部卒,1990年阪大医学部卒。同大講師を経て,2019年より同大特任講師兼現職。専門分野は甲状腺癌の臨床と分子生物学。17~19年福島県県民健康調査検討委員会委員・甲状腺評価部会部会員。19年より欧州甲状腺学会小児甲状腺癌診療ガイドライン作成委員。

緑川 早苗(みどりかわ・さなえ)氏 宮城学院女子大学 食品栄養学科 教授
1993年福島県立医大医学部卒。同大放射線健康管理学講座准教授などを経て,2020年より現職。専門分野は内分泌代謝学。11年より福島県甲状腺検査にかかわり,15~18年までは同検査室長を担当。20年1月にNPO団体「POFF(ぽーぽいフレンズふくしま)」を住民とともに設立し,福島県甲状腺検査に関する情報提供や相談の受け付けを行っている。

服部 美咲(はっとり・みさき)氏 福島レポート編集長
2010年慶大文学部卒。震災後の地域創生活動の取材・執筆,官公庁広報執筆などを経て,18年より現職。ウェブ論壇誌『Synodos』の「福島レポート」で震災・事故後の福島に関する科学的な情報,論文紹介,専門家インタビューなどの情報提供を行っている。フリーライターとしても活動しており,医療分野,工学分野の取材・執筆,コラム執筆など複数メディアで活動している。
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