医学界新聞

寄稿 西岡 笑子

2020.12.14



【寄稿】

女性の生涯にわたる健康を見据えたプレコンセプションケア

西岡 笑子(防衛医科大学校医学教育部看護学科母性看護学講座 教授)


 プレコンセプションケア(Preconception Care:PCC)とは,適切な時期に適切な知識・情報を女性やカップルを対象に提供し,将来の妊娠を見据えたヘルスケアを行うことであり,近年産婦人科領域を中心に注目を集めている。またこの話題に関連し重要なテーマとなるのが,子どもをもつのか,もたないのか,その目標をどう達成するのかを考える生殖に関する人生設計,リプロダクティブライフプラン(Reproductive Life Plan:RLP)。つまり,将来,子どもをもちたいとすれば「いつ頃」「何人もちたいか」「子どもをもつまでどのように過ごすか」という計画だ。PCCの概念の普及が進む米国では,PCCの開始に当たって,疾病管理予防センターがまずはRLPの作成を勧めており,RLPに沿った情報提供と予防的介入を求めている。本稿では,RLPに基づくPCCの普及の意義について,日本の課題に触れつつ概説したい。

より安全かつ安心な妊娠・出産のために

 現在,日本のPCCを取り巻く環境は大きく変わりつつある。その要因はいくつかあるが,注目すべき変化は二つだ。一つは2020年5月に内閣府によって取りまとめられた「少子化社会対策大綱」1)の数値目標に,「人生設計(ライフプラン)について考えたことがある人の割合の向上」が掲げられたこと。もう一つは,2020年12月に策定される第5次男女共同参画基本計画2)においても,学童期・思春期に「医学的に妊娠・出産に適した年齢,計画的な妊娠,葉酸の摂取,男女の不妊,性感染症の予防など,妊娠の計画の有無にかかわらず,早い段階から妊娠・出産の知識を持ち,自分の身体への健康意識を高めること(プレコンセプションケア)に関する事項」の取り組みの推進が掲げられたことである。

 年齢に伴う妊孕性の低下や,糖尿病,高血圧などの慢性疾患のリスクの上昇および健康管理の必要性についてあらかじめ知っておくことで,妊娠前の女性やカップルの身体的,心理的,社会的な健康状態を改善させることが可能となる。そのため政府が進める上述の二つの目標が達成されれば,より安全かつ安心な妊娠・出産につながると考えられる。さらに,女性のみならず男性や将来の子どもたちの長期的な健康増進に貢献し,健康寿命の延伸にも大きな役目を果たすだろう。

多様性を意識した性教育のスタンダードとは

 翻って,世界におけるPCCの在り方はどうか。国際連合教育科学文化機関(UNESCO)は,若者のリプロダクティブヘルスの増進を目的として,世界各国のセクシュアリティ教育にかかわる専門家の研究と実践を踏まえた「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」(以下,ガイダンス)を作成している。このガイダンスは,包括的性教育のためのプログラムや教材の開発・実践を行う,各国の教育および保健当局,関連機関を支援するための手引書になっている。2009年に初版が出版され,2018年に改訂版が出版された。欧米諸国だけでなく,韓国,台湾,中国においてもガイダンスが参照されており,まさに性教育の世界のスタンダードとも言えるだろう。日本語版は初版が2017年に出版され,改訂版は2020年8月に出版された3)

 ガイダンスの中心となる考え方の主題として,①人間関係,②価値・権利・文化・セクシュアリティ,③ジェンダーの理解,④暴力と安全の確保,⑤健康と幸福のためのスキル,⑥人間のからだと発達,⑦セクシュアリティと性的健康,⑧性と生殖に関する健康がある。2018年の改訂時に,持続可能な開発目標(SDGs)を意識した内容に変更され,③ジェンダーの理解,④暴力と安全の確保の主題が追加された。

 ガイダンスでは,対象を4つの年齢区分(レベル1:5~8歳,レベル2:9~12歳,レベル3:12~15歳,レベル4:15~18歳)に分け,学習内容と学習目標をそれぞれに設定し,発達段階に合わせた教育を提唱する()。教育内容は,性行動そのものだけではなく,人間関係(家族,友情,結婚など),価値観,文化,人権など多岐にわたり,多様性が前提とされている。

国際標準からみた日本の現状

 では実際,日本における女性の健康知識も含めた包括的性教育のレベルは国際標準からみてどうなのだろうか。筆者が,ガイダンスと文科省の学習指導要領との比較を女性の健康に焦点を当てて実施した結果,国際標準より大きく遅れていることが明らかとなった4)。例えば,妊娠を例にとってみる。ガイダンスではレベル1(5~8歳)の段階で受精などの子どもが生まれる過程について学び, 意図しない妊娠による身体的,社会的な影響と避妊方法はレベル2(9~12歳)の段階で取り上げられている。一方,学習指導要領では家族計画や避妊について,高等学校で扱う内容と規定されていた。また,学習指導要領ではがんについての教育は記載されているものの,女性特有の乳がんや子宮頸がんについては焦点が当てられていない。例えばヒトパピローマウイルス感染およびそのワクチンに関しては,ガイダンスにおいてレベル2(9~12歳)で教育すべきとの記載がある一方で,学習指導要領には記載がなかった。

 月経に関する教育も世界と大きな開きがある。ガイダンスでは月経中に女性が快適に過ごすためのサポートが記載されていたが,学習指導要領では月経について小学校で紹介された後は,月経による心身への影響や月経中の過ごし方に関する記述がない。さらには婦人科等へのアクセスについて,ガイダンスでは詳細に記載されている一方,学習指導要領では中学校,高校のタイミングにおいて一般的な医療機関の利用に関する記述にとどまっており,婦人科等の利用についての特徴的な記載はなかった。

 これらの結果から,現時点において日本では教育機関での性教育環境が整っていないことは明らかである()。そのため社会人女性が将来を見据えた健康知識を得る機会は極めて重要であり,今後,PCCの概念の早期普及は必至と考える。筆者は働く女性の健康とキャリアをサポートするプログラムを企業と連携し行っている(https://bit.ly/3euFCCW)。ぜひ参考にしていただきたい。

 日本のプレコンセプションケアを取り巻く現状(国立成育医療研究センタープレコンセプションケアセンターウェブサイトより)(クリックで拡大)
日本のプレコンセプションケアの問題は,性と生殖に関する教育レベルが国際標準に満たないことをはじめ,さまざまな要因が影響しあうことで複雑化している現状がある。

 新しい概念という印象が強いPCCであるが,特に助産師はこれまで地域に根差し,小中高校生に対しPCCの一部である「いのちの教育」「思春期の性の健康教育」を行ってきた。助産師はセクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツへの支援者であるという職業の専門性から考えても,産婦人科医師とともにPCCの普及に貢献し得る人材であると言える。今後は多職種連携により,医療,教育,地域,職域などをターゲットとし,多方面からのアプローチを行っていくことが必要である。

:現在,厚労科研「保健・医療・教育機関・産業等における女性の健康支援のための研究」(荒田班)において「レベル1(5~8歳)」4種類,「レベル4(15~18歳)ジェンダー」「40代からの女性のヘルスケア」のテーマごとにテキストを開発中。2021年3月に完成予定である。

参考文献・URL
1)内閣府.少子化社会対策大綱.2020.
2)内閣府.第5次男女共同参画基本計画策定に当たっての基本的な考え方(案).2020.
3)UNESCO編.改訂版国際セクシュアリティ教育ガイダンス――科学的根拠に基づいたアプローチ.明石書店;2020.
4)働く女性の健康増進のためのプロジェクト.中学生・高校生のために今こそ必要な女性の健康教育.2019.


にしおか・えみこ氏
1999年東大医学部健康科学・看護学科卒。東大大学院医学系研究科修士課程,順大大学院医学研究科博士課程修了。博士(医学)。聖路加国際病院,順大医療看護学部助教,神戸大大学院保健学研究科准教授を経て,2015年より現職。産後うつ予防,包括的性教育,働く女性の健康とキャリア支援の研究に従事する。

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