医学界新聞


専門医による診断以外でも発展を遂げる法医学

寄稿 松本 博志

2020.08.03



【寄稿】

多死社会における死因究明学のあるべき姿
専門医による診断以外でも発展を遂げる法医学

松本 博志(大阪大学大学院医学系研究科 法医学教室 教授)


 新型コロナウイルス感染症(以下,COVID-19)が拡大する中で,平年の死者数からの増加分を指す超過死亡(excess death)が2020年4月下旬から話題になっている1, 2)。実際に米国3)や欧州諸国4)において,COVID-19による死亡者数を訂正する事態が生じた。また,2019年秋にすでにCOVID-19による死亡者が出ていたという理論疫学の発表もあり5),超過死亡が報道されているのはわが国も例外ではない6)。こうした死亡者数の問題は,現在の死因究明制度に不足点があることも一因である。

COVID-19が拡大する今こそ死因究明の体制整備が重要

 わが国における死因究明制度は,医療事故調査制度に基づく場合と,警察による死体取り扱いとなった場合に適用される。前者の場合,医療機関死亡のため死因究明を死後早い段階で行わなければならない。しかし感染症を疑っていなければ検査はされず,遺族同意がなければ解剖等も行うことができない。

 一方後者の場合には検査が可能であるが,いわゆる非犯罪死体で明らかに内因性疾患が疑われる場合は監察医制度を除き死因究明の手段がなく,外表の検査によって死因が付けられている。今回さまざまな報告からも明らかになったように,ウイルスや細菌は感染しても無症状の場合があり,かつ他人への感染力がある。そのため医療機関外死亡においては,死因にかかわらず感染症等の検査が必要であるように思われるが,そもそもHEPAフィルターを通じた換気システム等,解剖従事者の感染を防ぐ対策がなされた施設はほとんどない。

 2020年4月1日に施行された死因究明等推進基本法では,死因究明に関する拠点整備,大学における教育研究の拠点整備や均一な科学調査の実施,そして予算措置が条文に記載されている。同法に基づき,感染症対策を行う解剖施設の設置や既存施設の改装によって感染症法に定められた検査が世界に先駆けて導入され,未知の感染症を死亡例から検出できれば,死因に及ぼす影響の検討がなされる。そうすれば,未知の感染症による臓器変化や組織病態,および死因との関係が明確となった情報が早い段階で臨床に還元され,それらの感染症が他の地域に伝播することを防げる可能性がある。今回のCOVID-19が,世界恐慌以来の経済的損失を生み出している原因と考えると,死因を究明する施設や検査の整備,またその学問自体,すなわち死因究明学の攻究が重要なのは言うまでもない。

死因の究明から次の命を守るために

 死因究明学について,これまで筆者は「全ての人の死因究明から,その解析・探究を経て,次のいのちを守る学問」であると定義してきた7)。言い換えれば死因究明学とは,死因から予防・治療へとつなげる研究を行うと同時に,その人材育成に努める学問である。この学問が求められる背景としては,日本の死因究明人材は法医学者を念頭においても150人程度で推移しているなど,長年専門医の人数が枯渇していることが挙げられる。

 死因究明は法医学の一部分であると同時に病理学,医療安全管理学,臨床医学など幅広い領域においても行われている。また,死因統計等については疫学を含めた公衆衛生学で解析されてきた。つまり,幅広い領域において共通する部分を一括し,新しく死因究明学としてより学際的に行う必要があると考えられる。

 一方で,死因究明にかかわる人材は医師のみではない。検査を担う診療放射線技師,臨床検査技師,薬剤師や薬物分析家,死後診察補助が認められた訪問看護師等の医療関係者のみならず,公衆衛生行政や警察行政,保健施策に携わる人々,生命保険や損害保険業界を含め以下のような知識の教授が必要である。

・死の取り扱いの法制度
・死因統計の変遷とその解釈
・死体現象や死体所見,機序
・内因死と外因死の定義と分類
・死因診断方法
・死因診断のための検査とその所見
・死亡時あるいは死後画像の読影と診断法
・主要な死因とその疫学・診断・機序
・原因不明の死亡へのアプローチ法  等

大阪大学が行う人材育成事業

 この死因究明学の創造をめざし,本学では「『死因究明学』の創造と担い手養成プラン」事業を計画し,2014年に文科省特別研究費に採択され,現在まで事業を継続している。その大きな柱が大学院での「死因究明学コース」の設置と教育である。15年には医学系研究科の修士課程に死因究明学関連科目として200時間の講義と240時間の演習を新設し人材育成を始めた。講義内容の例を次に挙げる。

・世界の過去の死因傾向から,未来を予想する学問
・死因診断パネルを用いて,検案時の死因診断を層別化する学問
・歯科口腔所見からの死因推定
・自殺や妊産婦死亡,高齢者死亡,突然死等に関する各論
・体系的に学ぶ死後画像診断  等

 社会人を含む多様なバックグラウンドの学生に配慮し,いずれの授業も土日や連休にまとめて講義が行われる。また,本コースでは他に一般必須科目や,法臨床医学・公衆衛生学関連科目の履修もあり,修了すると公衆衛生学修士(Master of Public Health:MPH)の学位が取得できる()。講師陣は本学の教員のみならずさまざまな実務家を招聘し,魅力的なコースとした。

 大阪大学大学院医学系研究科修士課程「死因究明学」コースの主な受講対象者(下)と,修了後の進路(クリックで拡大)

 さらに,死因究明に従事している,あるいは将来従事を考える社会人のために,本学では大学院科目等履修生高度プログラムとして,2015年に①死因診断能力の向上と死因究明の攻究,16年に②在宅医療の充実における看取り向上のための検案能の涵養,17年に③多死社会における死後画像診断力の向上,18年に④訪問看護師向け死因究明の涵養プログラム,そして19年に薬学研究科に⑤死因究明薬剤師の養成のための薬物分析能の涵養,を設置してきた。このうち,①~③は文科相による職業実践力育成プログラム(BP)認定制度()に採択されている。現在,COVID-19の影響でオンライン講義となっているが,今までは大阪と東京の2か所で講義を開催し,多様な場で勤務する社会人履修生にとっても受講しやすい環境を整えてきた。

 現在の医学・医療においては,20世紀までに設置された学問領域が発展してきた。法医学も然りである。21世紀はゲノム解読とともにゲノム領域が大きく進んで他の領域にも影響を及ぼしている。一方で,人の死の取り扱いについては世界中で不変的であり,日本においては江戸時代からあまり変わっていないと言っても過言ではない。しかしながら,今回のCOVID-19により,従来型アプローチだけでは難しいことを人類は学んだ。いまだ「死」を恐れる生物である人類こそが,死因究明上のアプローチを取れる唯一の存在なのである。未知の新型感染症に対しては,必ずや死因究明学が役に立つ。ぜひ,皆さんのチャレンジに期待したい。

:教育機関における,社会人や企業等のニーズに応じた実践的・専門的なプログラム。大学,大学院,短期大学,高等専門学校のプログラムの受講を通じて,社会人の職業に必要な能力の向上を図る機会の拡大を目的としている。

参考文献・URL
1)Lancet. 2020[PMID:32405103]
2)MMWR Morb Mortal Wkly Rep. 2020[PMID:32407306]
3)bioRxiv. 2020[PMID:32511293]
4)Soc Sci Med. 2020[PMID:32521411]
5)Nsoesie EO, et al. Analysis of hospital traffic and search engine data in Wuhan China indicates early disease activity in the Fall of 2019. 2020.
6)NIKKEI ASIAN REVIEW. Tokyo’s excess deaths far higher than COVID-19 count, data shows. 2020.
7)阪大大学院医学系研究科.NEWS & TOPICS.2019.


まつもと・ひろし氏
1991年和歌山県立医大卒。96年京大大学院にて医学博士号取得。米ハーバード大客員研究員,札医大教授を経て, 2013年より現職。14~18年には大阪府監察医事務所長を兼務。また, 06年より厚労省診療関連死モデル事業に携わり,現在は日本医療安全調査機構近畿ブロック統括調査支援医を兼ねる。阪大大学院高等司法研究科(法科大学院)や法学部でも教員を務める。

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