医療と哲学の交差点で対話を育む
対談・座談会 行岡 哲男,南学 正仁
2020.02.10
【対談】医療と哲学の交差点で対話を育む | |
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医療とはそもそも何か。考えても答えはすぐに見つからない。答えは人それぞれ異なるのかもしれない。そんなことを知らなくても医療はできるから,考える必要もないかもしれない。しかし一度湧き上がったその問いの先に,今までとは違う医療の在り方が見えてくるのではないか。
答えを導く道具の一つとして,本対談では哲学に着目した。医療現場の現象学的考察を著書・論文にまとめるも,「かつては哲学青年ではなかった」と話す行岡氏と,哲学者から医師への道を歩みながら,哲学的なテーマを共同して探究する哲学プラクティスを展開する南学氏との対談から,医療と哲学の交わりをとらえる。
南学 医療と哲学とのかかわりを論じる言説には医療倫理や精神医学にまつわるものが圧倒的に多い中,救急医である行岡先生が哲学に強い関心をお持ちであることに興味を持ちました。
行岡 救急医療は一般に,精神医学や哲学の対極にあると確かに思われがちです。極言すれば,分単位で進む救命をまずは大事にします。しかし,救急診療は患者やその家族にとってはもちろんのこと,医療者にとっても,濃密な時で「生きる」が凝縮されています。この事実に,驚くとともに畏敬の念に近いものを感じます。
そうは言っても私は,学生時代には哲学はおろか文学に親しむこともなく,読書の記憶もちっともありませんでした。
南学 そんな行岡先生が,哲学を学んだきっかけを教えてください。
行岡 私は1976年に医学部卒業後,阪大特殊救急部で研修を始めました。当時「所属は救急部」と言うと,「何が専門か? 熱傷なら皮膚科か? 外傷なら整形外科か? 病院ではなく,消防署に就職したの?」と尋ねられました。「救急診療は度胸と経験さえあれば誰でもできる」との言葉も聞こえる中でいわゆるアイデンティティ・クライシスに陥り,医学・医療に本質的・哲学的な関心を持ちました。哲学の専門的な教育を受けた後に医学生となった南学さんとはずいぶんと違う道のりを経てきています。
南学 私の場合は,意識や心を専門として科学史・科学哲学研究室で研究を深める中で,医学や科学の知識がないと哲学の問いに立ち向かえなくなっているように感じて医学部に入った経緯があります。とはいえ実習で臨床現場に出るようになって,逆に医療の現場に哲学の考え方を生かすこともできると感じるようになりました。今日は哲学の医療応用における先達である先生とのお話で,医療と哲学の交差点について考えを深めたいと思っています。
「正しいと確信する判断」へのパラダイム転換
南学 行岡先生は,「正しいと確信する判断」の医療現場への導入を提案されています。狭義の医学や医療以外への関心が医療職の間で高まる中,先生は哲学によるアプローチを採択して,その主張にたどり着きました。では,なぜ哲学なのか。この問いをまず投げ掛けたいと思います。
行岡 私の場合は現象学と言語ゲームの哲学手法で医学・医療にアプローチしていますが,手法にこだわりはありません。例えば分析哲学が医療をよりわかりやすく解き明かしてくれるなら,明日にでも乗り換えるでしょう。しかし20年近く今の手法で検討を試みてきても,手法を変える必要は感じません。現代のような医療の大きな転換期では,哲学をすること,つまり原理的に考えることの意味は大きいと思います。
南学 哲学は,物事を原理的に考えるための非常に重要な手段です。だからこそソクラテスの時代から今までさまざまな検討を加えられながら廃れずに伝わり,問いを立てることに利用されているのだと思います。
行岡 同感です。私の場合は「救急医学など成立しない」との1970年代の言説に反発し,科学論や科学史から入りました。そこで気付いたのはデカルトの偉大さです。彼はまさに知の巨人。確実な知識を得るべく要素還元主義に基づく分析という枠組みを設定し,以後の医学・医療に決定的影響を与えました。
南学 要素還元主義は,デカルトに端を発する,近代科学の基盤となった考えです。生物は細胞から成り,細胞は分子で構成され,さらに分子は原子へ……と,上位概念を下位概念で説明できるとします。医学においても,疾患をある原因(微生物や分子)に還元し得ると考える特定病因説のもと,原因解明と病因の打破に向けた研究が進められてきました。
行岡 一方,原因の特定には時間が必要です。一刻を争う救急医療の場では原因の特定を待てないケースもあります。さらに多発外傷のように,頭部外傷,胸部外傷……と下位概念の複合で説明できるか不明な場合すらあります1)。救急患者,特に重症例の診療は要素還元主義と相性が悪く,20世紀の医学において救急医学は辺境にあると知り,1990年に雑誌『救急医学』で医学界に呼び掛けました2)。
デカルトは主観と客観が一致する「正しい判断」を追求しました。例えば「早期胃癌で,広範囲胃切除で治癒する」との判断のもと手術し,5年後に患者が元気に生活していたら,「正しい判断」をしたといえるでしょう。しかしそれまではその正しさを判定できません。私たちが治療しているその最中には,判断の正しさは判定できず,すべからく医療は不確実だ,で議論は終わります。
南学 ですがその不確実性の中でも医療者は,患者さんの病は治る/治せるという確信を持って治療に臨むこともあるのではないでしょうか。
行岡 おっしゃるように,現代医学がもたらす確実性を実感するのも事実です。不確実さと確実さが混在する,落ち着かない状態に現代の医療はあると思います。
南学 そこで先生は哲学者の思想を用いて医療をとらえ直し,『医療とは何か』(河出書房新社)にまとめたのですね。
行岡 はい。思い切ってデカルト的な「正しい判断」を捨てて,「正しいと確信する判断」に置き換えることを試みました3)。デカルト的発想における,胃癌や肺癌という客観存在を正しく言い当てる方法を考える客観ファーストの姿勢からのコペルニクス的転回です。つまり,客観存在はともかく「どんな条件が整えば医療者は癌と確信するか。その確信成立の条件」を問います。すなわち,私たちの内面の心の動きに注目する視点へまずは移動します。
主観ファーストで,「現象」を「心の動き」とザックリ解釈すれば,フッサールが開いた現象学的発想と重なります。そうすると医療の判断は,「早期胃癌で,広範囲胃切除で治癒する」といった直観体験をもとに,検査等で検証を進めて確信成立の条件を満たすととらえられます。確信が成立すると,治癒の確実さへの揺るぎない自信とともに,この判断も疑い得るという理解を踏まえた謙虚さが医師の身に備わります。
道具としての哲学
行岡 大事なポイントは,医師のこの内面の現象は,共に働く医療者,さらには患者とも共有可能なことです。私は,国内外の施設でクリニカル・カンファレンスに多数参加してきました。開催形式や進行,言語,好まれる表現に違いがあっても,一流と評価されるグループのカンファレンスには共通する特徴があります。その一つが,どの参加者も対等で,誰でも発言可能なことです。発言内容の意義はその内容で吟味され,発言者の職位・権威は関係ありません。
南学 私が所属していた科学史・科学哲学研究室では「真理の前では皆平等」という考えが伝統的に強いのです。権力関係が強いと一般的に言われる医学界で,カンファレンスの場では対等になるという指摘が大変興味深いです。
行岡 とはいえ,知識・経験に限っても非対称性は存在します。特に医師と患者の大きな非対称性は,ノーベル経済学賞を受賞したケネス・アローが指摘しています4)。だけど医療現場で,その非対称性を乗り越える方策はあると思います。
南学 それは何でしょうか。
行岡 対話です。プラトンが描くように,言葉を用いた対話で共通了解を紡ぎ出すことはできるはずです。「“正しい判断”はこれ」という絶対性より,「これが妥当」だと参加者の共通了解をめざす姿勢が読み取れるという,一流のカンファレンスの重要なもう一つの特徴につながります。優れたカンファレンスは,勝者を決めるものでも正しさを競い合うものでもなく,「納得を確かめ合う」共同作業のようなのです。言葉だけで合意を得ることは容易ではありませんが,言葉があるからこそ「これは本当だ」という深い納得を分かち合えます。私はこれを「納得を確かめ合う言語ゲーム」と表現しました。
南学 対話はギリシャ語でdialogos。2者のlogos(言葉,論理,理性)が影響し合うことを表します。対話や言葉を信頼し,納得へ至ることをめざす姿勢は,哲学に通じる部分だと感じました。
行岡 私は哲学自体に関心は強くないですし,知識もありません。しかし,救急に限らず医学・医療を支える「道具として使える思想」が今の時代には必要に思います。
南学 仏国の哲学者フーコーは「ほんとうの意味で道具として使える思想を作りだすことを夢想している」と言っています5)。哲学的な思想という道具をそろえることで,医療現場を言葉でとらえ直し,共有し合うことができる可能性を感じました。
薄められた魔術が医師と患者の納得
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