医学界新聞

対談・座談会

2019.11.18



【座談会】

漢方医学を世界の医学に

渡辺 賢治氏(慶應義塾大学医学部漢方医学センター客員教授)=司会
星野 卓之氏(北里大学東洋医学総合研究所漢方鍼灸治療センター副部長)
及川 恵美子氏(厚生労働省国際分類情報管理室国際生活機能分類分析官)


 2019年5月,国際疾病分類(International Classification of Diseases;ICD)の19年ぶりの改訂が第72回世界保健総会で承認された。1900年に策定されてから百年以上もの間,西洋医学のみを規定してきたICDが伝統医学導入へかじを切ったことで注目を集めたのが,新たに導入された伝統医学に関する新章「Supplementary Chapter Traditional Medicine Conditions――Module I」(伝統医学の病態――モジュールI,註1)である。

 本章では,世界中の伝統医学導入の先駆けとして,日本の漢方医学や中国の中医学など東アジアの伝統医学が定められた。一時は日本国内ですら軽視される傾向にあった漢方医学を含む東アジアの伝統医学がICD-11に収載された意義とは何か。伝統医学章導入の中心人物である3氏が,その経緯と今後の伝統医学発展の展望を語った。


渡辺 国際疾病分類第11版(以下,ICD-11)が,2019年5月の世界保健総会で正式に採択されました。ICD-10からの大きな変更の一つに伝統医学章が初めて導入されたことがあります。今回はModule Iとして,漢方医学を含む東アジアの伝統医学が導入されました。2016年に東京で開催されたICD-11改訂会議では,当時WHO事務局長だったマーガレット・チャン氏が「ICDに伝統医学が収載されることは歴史的である」と何度も強調されました。

 本日は,伝統医学収載までの道を一緒に切り開いてきた厚生労働省の及川さんと,伝統医学章のフィールドテストを主導するなど国内での利活用に中心的役割を果たす星野先生と3人で,伝統医学,中でも特に漢方医学がICD-11に収載された意義を探っていきます。

西洋医学のアンチテーゼとしての伝統医学

渡辺 議論の本質に入る前に,国内外の漢方医学にまつわる動向を整理しましょう。漢方医学は古代中国由来の医学体系が,日本の風土に合わせて独自の発展を遂げたものです。明治時代に西洋医学中心の医療体系になって以降,漢方医学は下火になっていました。しかしながら,近年漢方薬を処方する医師が大変増えています。

星野 ええ。日本の医師の9割が漢方を日常的に処方しているとのデータ1)があるくらいです。医療者にとっても患者にとっても,漢方は広く普及したと言っていいでしょう。

渡辺 伝統医学普及の契機となったのが1970年代の伝統医学ブームです。西洋医学の細分化が進み,不定愁訴に対応できる体全体を診る診療科が減ったこと,さらに同時期に起きたサリドマイド事件等で薬害への不安感が生じたことから,体全体を診る医療として漢方医学が注目されるようになりました。漢方薬の原料が自然由来で安全性が高いこともブームの一因です。

星野 1976年にはエキス製剤という使いやすい形で多数の漢方薬が保険適用になりました。西洋医学的な病名で漢方を処方できるようになったため,漢方医学を学んでこなかった医師にも使いやすくなり,一気に広まるきっかけになったと思います。

渡辺 1990年代には英米等で補完代替医療がブームになり,漢方薬をはじめとした伝統医学が広まりましたね。米NIHは,1992年に代替医療事務局(現・米国立補完統合衛生センター)を設置し,現在では年間1.5億ドルもの予算が充てられています。NIH全体では約4.5億ドルの予算が伝統医学に投じられている現状です。

 このように,世界および日本の伝統医学ブームは,どちらかというと西洋医学への不安や不信感からアンチテーゼとしてスタートした歴史を持ちます。

WHOの統計データは夜の地球の衛星画像

渡辺 とはいえ漢方処方が普及したことで漢方医学の魅力が広まるとともに,漢方医学のエビデンス構築が進んだのも確かです。もはや漢方医学を無視して医療を進めることはできず,2001年には医学教育モデル・コア・カリキュラムに「和漢薬を概説できる」と記されました。漢方医学の知識は,医師にとって必要なものと言っていいでしょう。

及川 そうした背景から,国にとって漢方医学に関するデータの重要性が増しています。ところが,日本で得られる関連データはといえば,医療用漢方製剤の販売額と生薬の輸入額くらいしかありません。伝統医学の需要に関するデータはないのです。これでは医療制度の構築や医療費削減に向けた十分な検討ができていないことになります。漢方医学に関するデータが取れるように,この現状を克服したいとの思いがあります。

星野 WHOも類似の見解を持っていたと明示するエピソードが残っています。夜の地球の衛星写真を思い浮かべてください。「WHOの持つ保健統計データもそれと同じ」だと,WHO本部でICD担当だったベデルハン・ウースタン氏がWHO-FIC(WHO国際統計分類ファミリー,註2)年次会議の場で言ったのです。「国際的」な疾病統計と言いながら,WHOで実際に取れているデータは西洋医学を用いる国のみなのです。伝統医学を持たない国のほうが少ないくらい,世界中にはありとあらゆる伝統医学が存在します。加えて昨今の人口動態を考慮すれば,今後,伝統医学をベースとした医療を提供するアジア・アフリカ各国の比重はますます高まり,WHOで集められるデータが相対的に少なくなり得るでしょう。

及川 おっしゃる通りです。WHO本部の伝統医学担当官だったジャン・シャオイル氏も,アジア地域をはじめ伝統医学受療者の疾病データが取れていないことを非常に憂えていました。

渡辺 伝統医学のデータを集めようとの動きが2000年ごろに各国で加速しました。こうした背景からWHOとしてもデータのギャップを埋めるために,ICDへの伝統医学章導入を画策したのです。

日中韓の小さな違いのために,大きなチャンスを逃すのか

渡辺 伝統医学章の開発の経緯を少し整理させてください。WHOの地域事務局の一つで,日中韓など37か国が所属するWHO西太平洋地域事務局(Western Pacifi

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