医学界新聞

対談・座談会

2019.08.12



【対談】

輝けるキャリア形成の心得
イクボスが伝える「育児は医師の仕事の役に立つ」

蓮沼 直子氏(広島大学医学部附属医学教育センター副センター長・教授)
岩間 秀幸氏(亀田ファミリークリニック館山家庭医診療科 医長)


 医学生や研修医の皆さんはどのようなキャリアを思い描いていますか? 医学部卒業から初期研修,専門医取得まで真っすぐな道のりを進むかもしれません。ただ,この間に結婚や出産,育児などさまざまなライフイベントが訪れる可能性もあります。女性医師だけでなく,パートナーを持つ男性医師にとってもキャリアは予想通りにならない不確定なもので,柔軟な発想と対応が必要となるでしょう。

 本紙では,専業主婦を経て復帰した経験から,卒前教育で医師のキャリア継続を伝える蓮沼直子氏と,夫婦共に医師で,3年間主夫を経験したイクメンの岩間秀幸氏の2人が,多様な価値観を乗り越える職場風土や,若手医師を育てる「イクボス」の重要性について語り合いました。


蓮沼 岩間先生は何年間,主夫をされたのですか?

岩間 2015年4月から3年間です。

蓮沼 その間,お仕事をセーブして主夫業を先生が担った。

岩間 そうです。週4日午前の外来を中心とし,夜間の当直は免除された勤務体系でした。

蓮沼 男性医師の育休取得や時短勤務は今でこそ聞くようになりましたが,数年前はまだ珍しかったのではないでしょうか。時短に踏み切った経緯を教えてください。

岩間 育休中だった小児科医の妻が専門医を取得できるよう,フルタイムの勤務復帰を実現するためです。妻とは初期研修医時代に結婚し,2人の子どもを授かりました。妻が産休・育休を取っている間に私は家庭医療専門医・指導医資格を取るなど自身のキャリアを築き,その間妻が家事や育児の大部分を担ってくれました。私が後期研修の間,育児に追われ医師としての自信が持てずに葛藤する妻の姿を見て,次は妻が専門医を取れる環境を整えようと決意しました。

蓮沼 時短を選択することに迷いはありませんでしたか?

岩間 はい。幼稚園の迎えや小学校から子どもが帰る時間帯を考えるとフルタイムでは家事が回りません。もともと育児や家事は好きでしたし,子どもの安心と安全を担保するためにも前向きな選択でした。

蓮沼 気になるのは職場での反応です。いかがでしたか?

岩間 私が就職する時点で相談していたため,院長の岡田唯男先生や同僚の理解もあって基本的には温かく了解を得られました。一方,男性の数週間の育休取得例はあったものの,年単位の時短は「前例がない」と法人の人事部門から言われてしまって。給与体系や当直対応など詳細を詰める段階では,決めることがたくさんありました。それでも相談を重ね,実現に至りました。

蓮沼 勤務中に感じた課題は何かありますか。

岩間 当初は,働きがいを維持できるか不安もありましたが,今この瞬間,自分にできることに価値を見出そうと発想を転換したことで,時短中も楽しく働けました。人によっては,自分が時短での働き方が許されるのか,医師としてのプロ意識と衝突するかもしれません。プロフェッショナルである医師の責任性と働き方の多様性は,天秤にかけられ常に揺れ動くテーマだからです。

蓮沼 「仕事と育児の両立」とよく言われますが,両立の言葉には「両方実現するならどちらも100点を取ること」を迫るイメージがありますね。

岩間 でも,「フルタイムで働き,育児もできて100点」の考えではいつか苦しくなってしまうし,周りにも迷惑を掛けかねません。「イクボスプロジェクト」を推進するファザーリング・ジャパン代表理事の安藤哲也さんの言う「制約のある勤務の人たちは,能力が足りないわけではない」との言葉や,できないときに仲間に助けを求める「受援力」は,私が主夫をしている時の大きな支えとなりました。

 患者の健康を守ることは全ての医師に通底する使命ですが,自分の医師人生を継続できる状況を自ら整えることも,これからの時代に求められるプロフェッショナリズムの在り方ではないでしょうか。

自身の専業主婦経験から,復職支援より継続支援を重視

蓮沼 奥様は今も後期研修中ですか?

岩間 後期研修を終え,専門医も昨年取りました。

蓮沼 おめでとうございます! 

岩間 自分の専門医取得の時よりもうれしかったですね(笑)。今は,妻が夕方までに帰って来られる勤務体系で働き,時短を終えた私は診療所の教育を担うプログラム統括責任者と医長の立場でフルタイムに復帰しています。

蓮沼 専門医を取ったことで,奥様に変化はありましたか?

岩間 妻にとって区切りとなったのでしょう。小児科専門医としてこれから自分の力をどう伸ばしてくか,将来をポジティブに考えている様子が伝わります。

蓮沼 女性が働き続けるとき,自分は何科の医師であるのか足元がしっかりしていることは自信の源であり,周りからも認められ頼りにされる重要な点です。

岩間 蓮沼先生はどのタイミングで専門医を取得されたのですか?

蓮沼 実は,専業主婦を4年間経てからです。

岩間 臨床から完全に離れた時期があったのですか。

蓮沼 ええ。卒業後,皮膚科医として医師人生をスタートし,3年後には米国に研究留学しました。留学中に長男を出産,帰国直後に次男の妊娠がわかり,少し様子を見ようと思ったら,あっという間に4年近くたってしまって。「私は皮膚科医です!」と自信を持って言いたいとの思いが募り,それがフルタイムで復帰する動機となりました。

岩間 手に職が保障された医師免許であっても,満足感や責任感の維持向上はキャリア形成において欠かせないポイントです。しかし,キャリア継続についてじっくり学ぶ機会は限られていますよね。

蓮沼 そうなのです。専業主婦に一度なると,社会人としての復帰と医師としての臨床への復帰,この2つの壁が立ちはだかると身をもって感じました。それに,臨床に戻ってとまどったのは,疾患概念の変化や,新しい薬が増えていたことです。専業主婦だった期間,研究会に顔を出さなければ,届いた学会誌の封も開けませんでした。月に1回,研究会やカンファレンスに出るだけでもフルタイムへの復帰がスムーズだったはずです。「何で誰も教えてくれなかったの!?」と思いましたね(笑)。

 1度切れてしまった糸を新たに紡ぐのは大きな労力が必要ですが,細くなった糸を太くするのは比較的容易です。女性医師が出産後も仕事に復帰する可能性があるなら,完全に辞めてしまうのは避けたほうがいい。女性医師には今や,復職支援よりも継続支援が求められています。こうした当事者の経験から,学生のうちにキャリア形成について考えてほしいと思い,医学教育に携わるようになりました。

多様な価値観を卒前教育で学ぶ

蓮沼 女性医師の育休や時短勤務は希望すれば多くが取得できる状況になった一方,男性医師向けの仕組み作りはまだ十分とは言えません。背景には,女性医師と男性医師それぞれに期待される役割の無意識な思い込み,いわゆるunconscious biasがあることも関係していると思うのです。

岩間 そうですね。育児と家事は女性が担うものとの感覚が潜在的にあります。私たち家族も,私が主夫になるには妻の決心が一つのハードルでした。周囲の協力・応援が得られる中,妻は浮かない表情で「本当に主夫を任せていいのか」と,女性として育児・家事を担えないことへの葛藤を口にしました。KJ法を用いて今の思いや状況についてカードに書き出し話し合ったことで一歩踏み出せました。

蓮沼 互いの考えを言葉や文字にすることは大切ですよね。

岩間 主夫や時短勤務を経験して痛感したのは,家族や職場の同僚らと互いの価値観の違いを乗り越え,いかに認め合えるかです。Unconscious biasや価値観の違いを蓮沼先生は学生にどう伝えているのでしょうか。

蓮沼 2年生の必修の授業で,シナリオを用いたワークショップを行っています。例えば,「医師夫婦の子どもが勤務日の朝,急に発熱したら」「研修医時代に出産したカップルの後期研修の進路をどう決めるか」「妻が海外留学のオファーを受けたらどうする?」など,実際に起こり得るシナリオをベースに,選択肢を複数挙げてディスカッションするというものです。

岩間 面白そうですね。学生からどのような反応がありますか?

蓮沼 男女混合のグループでディスカッションするため,「そんな考えもあるんだ!」と,自分は当たり前と思っていたことが,異性はもちろん同性同士でも異なることに気付きます。それまでの経験を反映した価値観は,実は多様なものだと感じてもらうことが狙いの一つです。

岩間 ワーク・ライフ・バランス(WLB)の課題は家族によって,悩みの種類や深さは千差万別です。

蓮沼 唯一の正解はないテーマでもあるので,考え続けてもらうためにも正解は示さず,あまりスッキリさせずに終わるのです。将来,何らかの問題に直面したときには,パートナーや家族と共に自分たちの正解を探してほしいと思います。

若手医師のキャリアを支援する「イクボス」像は

岩間 イクメンやイクボスのようなわかりやすい言葉とともにWLBの重要性が社会に浸透してきた今,価値観の違いを共有し,多様性ある組織で働ける組織風土が大切です。ライフシフトした私の経験を職場に還元するのはもちろん,組織をマネジメントする管理職にも多様性の理解が必須の資質になると思うのです。

蓮沼 そうですね。ファザーリング・ジャパンによると「イクボス」とは,職場で共に働く部下・スタッフのWLBを考え,その人のキャリアと人生を応援しながら組織も結果を出しつつ,自らの仕事と私生活を楽しむ上司と位置付けられています。医師のキャリア支援を実行するイクボスには,具体的にどのようなアプローチが求められると考えますか。

岩間 上司が,部下とその家族の状況にまで気に掛けることです。男性医師が退職する背景には,家族の事情が多くあると感じます。家庭の事情は本人の口から言い出しづらい面もあるでしょう。そこを知るため,例えば家族を招いた食事会を催すなど,部下の家族や生活のリアルな様子を知る努力も時には必要だと考えます。

蓮沼 キャリア支援は一つの正解があるものではなく,個別対応になります。男性の上司だと,家族の事情を聞いていいものかと躊躇してしまうかもしれませんが,そこを一歩踏み込んで聞かなければ,部下が何を求めているかわかりませんね。

岩間 はい。上司自身が同僚たちの生活をもう少し広く見ようとする姿勢が大事だと思うのです。本人の仕事に対するモチベーションの源泉が何かも垣間見ることができれば,「理解のある今の職場で働き続けたい」との思いを持ってくれるはずです。

蓮沼 イクボスには,相手から話を引き出すコミュニケーション能力がますます求められます。今,社会が働き方改革推進の流れにある中,医療界でも危機感を持つところは,人が辞めない組織をいかに作るか努力しており,イクボスへの期待も高まるでしょう。

岩間 多様な価値観を持つ人が集まり,柔軟な働き方を実現できる組織は強いと言われます。さまざまな働き方を経験した人がいる職場は自ずと評価され,若手医師に選ばれていくでしょう。キャリア支援の充実は,ひいては組織の人手不足を解消するだけの有力なコンテンツにもなるのです。

多彩な経験がアドバンテージに

蓮沼 岩間先生は,また主夫に戻りたいと思うことはありますか?

岩間 よく聞かれます(笑)。私1人で決められることではありませんが,好きにしていいよって言われたら「戻りたい」と即答します。それくらい感動や面白さのある貴重な時間でした。

 今こうしてフルタイムに復帰して,あらためて気付いたことがあります。それは,育児や家事の経験はその後の働きに必ず役に立つ「越境学習」()でもあるんだということです。

蓮沼 予期せぬことが日々起きる子育てでは,危機管理としての備えや,急な出来事への対応など今ある能力が次々試されますよね。

岩間 育児の経験を通して仕事の世界で必要な業務能力,例えばリーダーシップやマネジメント力を高めることができると『育児は仕事の役に立つ』(光文社新書)で語られています。日々の食事作りから子どもの夏休みのスケジュールまで些細なタスクもしっかり管理する力は,医師として働く中でも役立つ能力なのだと気付きました。

蓮沼 岩間先生はPTA会長も務められたそうですね。いかがでしたか?

岩間 保護者や教員,関係する自治会長,公民館長など,今まで出会ったことのない方との交流が広がり,医療の文脈だけでは見えない地域コミュニティの存在を知ったことは,日々の診療で大いに生きています。

蓮沼 私も,4年間専業主婦として過ごしたブランクを劣等感に感じた時期もありましたが,その経験がキャリア教育に役立つなど,自分の強みになっています。出産や育児は回り道に思うかもしれないけれど,長い医師人生,卒業から専門医取得まで最短で到達することだけが唯一の価値観ではないと思うのです。皆とは違う経験は自分のキャリアにおいて必ずやアドバンテージになるのだと発想を転換することも大切ですよね。

岩間 同じことを私も後輩によく伝えています。家事や育児の経験は家庭医療に何一つ無駄なことはないからと。回り道をしたり悩んだりしても,臨床でそれが生きる場面がたくさんあります。育児や家事に今から取り組もうと思っている男性医師の方には,思いがけない出会いや学びをもたらす機会と思ってぜひ挑戦してほしい。

蓮沼 育児で感じた葛藤や挫折感も,経験できてよかったと報われるときが訪れるものです。医師って良い職業ですね(笑)。

岩間 本当にそう思います! 今日はありがとうございました。

(了)

:自分の枠の中だけで生活していると自分の価値観に変化が起きにくいとされる。成人学習の一つである越境学習は,それまでの日常とは異なる場に越境する経験が学習にブレークスルーをもたらす機会として注目される。


「出産や育児は回り道に思うかもしれないけれど,皆とは違う経験は自分のキャリアにおいて必ずやアドバンテージになるのだと発想を転換することも大切です」(蓮沼氏)

はすぬま・なおこ氏
1994年秋田大医学部卒。97年に米国立衛生研究所(NIH)にフェローとして留学。出産・育児を経て2003年東北大医学部皮膚科に復職。秋田大総合地域医療推進学講座准教授などを経て19年より現職。医学教育センターで医学部のキャリア教育を担う傍ら,皮膚科医としても臨床を続けている。14年には秋田県「男女共同参画社会づくり表彰」のハーモニー賞を受賞。日本プライマリ・ケア連合学会ダイバシティ推進委員会副委員長。

「多様な価値観を持つ人が集まり,柔軟な働き方を実現できる組織は強い。さまざまな働き方を経験した人のいる職場が,若手医師に選ばれていくでしょう」(岩間氏)

いわま・ひでゆき氏
2007年琉球大医学部卒。豊見城中央病院,沖縄県立八重山病院を経て,11年より亀田ファミリークリニック館山家庭医診療科に勤務。15年4月から3年間,主夫として時短勤務を経験し,19年より現職。主夫経験のあるイクボス,働き方改革を担う産業医,また教育を担うプログラム統括責任者として奮闘中。かかりつけ医としての診療の他,講演やシンポジストなどにも家族の協力のもと精力的に挑んでいる。日本プライマリ・ケア連合学会ダイバシティ推進委員会委員。

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