医師需給を考える視座(桐野髙明,権丈善一)
対談・座談会
2019.07.15
【対談】医師需給を考える視座 | |
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医師は足りているのか,不足しているのか。1990年代の終わりから2000年代の初めにかけ,患者権利や医療安全に対する社会の関心の高まりから,日本の医療の姿は大きく変わり始めた。相次ぐ医療事故により報道が過熱。医師―患者関係が変貌し,医療不信から医師の業務も逼迫していく。2003年以降,「医師不足」の報道が相次ぎ,医師の地方病院離れから「医療崩壊」と言われる状況に至った。2008年,政府は四半世紀ぶりに医学部の定員増を決め,毎年の医師養成数は現在,9400人を超えている(図1)。それでも,今なお地方を中心に医師の増員を求める声が聞かれるが,増員による過剰が将来問題を招くことはないのか。
図1 医師養成数の推移(厚労省資料より)(クリックで拡大) |
1970年代の一県一医大構想により,医師養成数が年々増加。2008年度以降の伸びは臨時増員の実施によるもの。18年度以降の入学定員は9419人。 |
医師の需給をめぐるこれまでの議論を『医師の不足と過剰』(東京大学出版会)にまとめた桐野髙明氏と,同書のあとがきで紹介された『ちょっと気になる医療と介護 増補版』(勁草書房)の著書があり,厚労省検討会で医師の偏在問題を検討してきた権丈善一氏の2人が,予測の難しい未来の医師需給を考える確かな視座について意見を交わした。
権丈 桐野先生は何ゆえに,『医師の不足と過剰』の執筆に取り掛かられたのでしょうか。
桐野 在るべき医師数の調整方法を議論するためのベースを示したいとの思いからです。厚労省の医師臨床研修部会で長年,臨床研修制度の構築や見直しに関係してきた私は,初期研修医のマッチング定数の割り当てを行う中で,地域医療を担う医師の偏在問題に危機感を持ちました。
権丈 先生は,医師の地理的偏在や診療科偏在の問題を,「医療崩壊」が社会問題化して間もない2007年に日本学術会議の報告書で指摘されています。
桐野 はい。偏在問題を医師数の主要な論点と位置付け,偏在を解決しない限り医師不足の問題は「解決しない」と提起しました。ところが,反響はいまひとつだった。
権丈 当時は,医師を増やすべきとの世論が強くありましたね。
桐野 確かに,社会から見れば「足りなければ増やせばいい」と映るでしょう。今現在,医師の数そのものは一定の速度で増えているものの,増えた医師は都市部に集中するばかりで不足感のある地域・診療科に行き渡っていません。偏在問題は避けて通れないにもかかわらず,メディアを介した議論はあまりにも拙速な見解ばかりで……。
権丈 おっしゃるとおりです。私も偏在問題が重要と考えてきました。2015年12月に始まった厚労省医師需給分科会の構成員も,偏在問題に取り組むのであればと引き受けました。
分科会では,2016年9月15日開催の第7回の資料に「医師の地域偏在・診療科偏在の解消に向けた強力な取組の推進」が打ち出され,「規制を含めた地域偏在・診療科偏在の是正策を検討」することが方向性として示されました。ところが,「強力な推進」が書き込まれた資料はその日だけしか使われず,分科会もその後半年ほど休会になり,偏在問題に関する本格的な議論が再開されたのは1年後でした。
桐野 何らかの強力な意思が働いたわけですか。医師需給の議論はこれまで,医師不足の問題が突如湧き起こると,医師数の過剰の影響や制御の方法などを慎重に考えず短期的な視点で政策を進めることが繰り返されてきました。
その最たる要因は,医師数を決める明瞭で科学的な指標がないことです。現状より少し増やす/減らす必要性は誰もが認識できるものの,10年後,20年後の正確な予測に基づき医師数制御の方程式を考え出すのは容易ではありません。医師需給は,予測不可能な問題について解答を考え出さなければならない困難さがつきまとう問題なのです。
権丈 極めて重い言葉です。先生が書かれている「医師数の制御には賢明で周到な政策的介入が必要」との結論に至るまでを理解してもらうことが,実に難しい。たびたび過熱する公的年金の議論も同様で,予測不可能な将来について何らかの仮置きをしなければ制度の設計ができません。公的年金は予測に対して人知の限界があるために存在する制度なのに,将来の話を必要とするパラドックスを抱えていて,これがしばしば混乱を招いているわけです。
そもそも不足とは何か,ソーシャル・ニーズ論を手掛かりに
権丈 医師不足を考える上で,そもそも不足とは何かの根本を考えなければなりません。その手掛かりとして,1990年代初めに私がかかわった「看護師の不足」に関する研究とソーシャル・ニーズ論を考えることがあります。例えば企業の人手不足は,生産物市場での需要増を原因とする派生需要の急増などから説明できますが,当時の看護師不足の要因は「駆け込み増床」による病床増が招いていました。これをどう説明するかを考えて,「人間が社会生活を営むために欠かすことのできない基本的要件で,その必要を満たすことが社会の合意となっている」というソーシャル・ニーズ論を使いました。方法論は次の4つに分類されます。
1)専門的知識を持つ者によって判断される規範的ニーズ
2)ニーズを持つ者によって感得された感得ニーズならびに表明された表明ニーズ
3)同じ特性を持つ他者・他グループ・他地域などにおいて判断される比較ニーズ
4)社会的価値の導入
この論に基づけば,医師の需給は,3)の比較ニーズを軸とし,専門的知識を持つ人たちによる規範的ニーズや,医療を利用する人の感得・表明ニーズで補強しながら暫定的な解を見いだし,これをPDCAサイクルで回していくことになると考えられます。
桐野 医師の需要推計は,①現状から出発する積み上げ方式,②諸外国との比較,③関係者の意見を聞くの3点が主であり,①②が比較ニーズ,③が規範的ニーズに該当するでしょう。
権丈 現状から積み上げる方法をベースにしながらも,それが規範的ニーズと感得・表明ニーズとの乖離が大きくなると,政治判断など新たな動きが出てくる。今は,すでに出そろった地域医療構想の病床数をベースとした医師数の積み上げも,需要推計に利用されています。将来の不確実性を考えれば,どんなに工夫を凝らしても推計には難しさがありますね。
桐野 ええ。日本は1961年に国民皆保険制度が成立して以降,医療需要の拡大に対応するため人口10万人当たりの医師数を100人,200人と段階的にめざし,現在の目標は人口10万人当たり300人としています。ただ,これは比較ニーズに該当するOECD加盟国の平均値から指標を求めたにすぎません。現に今でも医師は毎年一定のペースで増えており,1960年代に増員となった60歳以上の層に続き,次に2008年以降1800人ほど増員した層が現れます(図1,2)。
図2 医師の年齢別分布,1975年時点(左)と2014年時点(右)(厚労省「医師・歯科医師・薬剤師調査」をもとに桐野氏作成)(クリックで拡大) |
1975年時点の50歳前後に見られるピークは,戦時期に大量に養成され戦場から復員した医師。矢印Aは一県一医大構想により医師養成数が急増したときの先頭世代に当たる。その後2014年時点では矢印A′に達している。今後,2008年以降に増員した層が高く現れる。 |
権丈 出生数が100万人を切ったのが2016年で,2018年には92万人まで落ちている。9419人の医学部入学者数を維持し続けて良いのか検討すべき時期にすでに入っているはずです。
桐野 18歳人口1000人当たりの医師養成数は2040年に9.57人,2050年には11.6人となり,現在18歳人口当たり最も多く医師を養成している西ヨーロッパ諸国を超え,マクロ的には過剰に
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