医学界新聞

対談・座談会

2019.05.20



【対談】

ろう者と聴者の「異なり」を認め合うために
『BRAIN and NERVE』誌71巻5号より

齋藤 陽道氏(写真家)
酒井 邦嘉氏(東京大学大学院教授)


 「異なることがうれしい」と,耳が聞こえない写真家・齋藤陽道氏は著書『異なり記念日』(医学書院,2018年)の中に記した。医療という,いわば「健常者との異なり」を埋めていく介入は,異なりとの調和をどのように図っていくべきなのか。

 『異なり記念日』に感銘を受けたという言語脳科学者の酒井邦嘉氏と齋藤氏との対談によって,日本語と手話の異なりやろう者と聴者の異なりが『BRAIN and NERVE』誌で考察された。本紙ではその内容をダイジェストでお伝えする(対談全文は『BRAIN and NERVE』誌71巻5号に掲載)。


齋藤 「手で話す」と書いて「手話」ですが,ただ手を動かすだけではなく,非手指動作(表情やうなずき,視線など)を使って表現するものだと気づいたのがきっかけでした。

 例えば,先ほどの「言の葉」の「葉」――この文字の意味を手話で伝えるときには,手で「葉」を表すだけではなく,身体で「幹」を表現する必要があります。葉を支える幹,それがより大切なんです。

 『異なり記念日』にも書いたのですが,単語だけを覚えるのではなく,流れをまず受け止めることが大事です。手だけを見ると,きれぎれにしか理解できませんが,手や表情,たたずまいといったその人のゆらぎをすべて含めた流れとして見ると,不思議とわかってくるんです。

酒井 そのような流れのある手話は自然言語であり,日本では「日本手話」(註1)が使われています。日本手話は日本語とは異なる独立した言語だということを,多くの方に知ってもらう必要があると思います。

 その一方で,日本語に手話の単語を当てはめただけの「手指日本語」(註2)は言語学的に不完全であり,日本手話とはまったく異なります。英語の文で,単語だけ日本語に置き換えるようなものですから。

齋藤 そのように整理すると,ぼくは20歳の頃に「日本手話」を使いはじめたということになりますね。

 ぼくの通っていたろう学校では,日本手話を使う生徒と,手指日本語を使う生徒がはっきりと分かれていて,だいたい同じ人数だったと思います。最初は,日本語に近い手指日本語のほうが使いやすく,日本手話はまるでわかりませんでした。手指日本語を使って会話しながらも,心の底では,表現の豊かな日本手話に魅かれていました。単語を置き換えるだけの手指日本語のほうが,日本語から手話の世界に入りやすいのは確かですが,そこで止まってしまうのはもったいない……。手指日本語からもう一歩先にある日本手話の魅力を知らしめたいとも思って書きました。

酒井 通訳の現場や,通訳士の資格試験であっても,日本手話と手指日本語が混在しているというのが現状です。陽道さんの言うとおり,両者には「何を言っているのかわからない」ほどの隔たりがありますから,通訳のミスマッチが生じれば,会話が成り立たないことになりますね。

 しかし,日本手話は自然言語であり,手指日本語はピジン言語(註3)です。両者を指して「手話は2つ」と捉えるのは誤りですし,後者のみを取り上げて「手話は1つ」と主張するのも間違っています。

 日本の英語教育でも,深刻な問題が顕在化してきています。英語の早期教育が注目され,小学校,さらには幼稚園や保育園でも英語を教えようとしていますが,そのほとんどがアルファベットや英単語の学習に限られているのです。どんなに単語や文字を覚えても,英語の文を正しく生み出すことは不可能なのですが。

 「言葉を覚えるにはまず文字や単語から」という根強い誤解に基づく教育が,そのまま手話の習得にも現れています。日本語の五十音を対応させた「指文字」を覚えれば,とりあえず手話になる,と誤解している人も多いことでしょう。

 ろう学校で,日本手話のわからない生徒が半数もいるという現実に,私は強い危機感を覚えます。(中略)

「易しい,難しい」から「自然,不自然」への転換

齋藤 ろう学校のことを話していて「日本手話を身につければ,もっと自分にふさわしい表現ができるはず」という予感のようなものがあったのを思い出しました。日本手話は人間の身体に近いところから生まれてきたものだという実感があります。

酒井 その感覚は,実は脳に原因があるのでしょう。自分の気持ちや考えを自然に言語として表現できる仕組み...

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