医学界新聞

対談・座談会

2019.01.28



 

【対談】

訪問看護について語るときに私たちの語ること

北須磨訪問看護・リハビリセンターにて。部屋の中央には大テーブルが置かれ,毎朝のミーティングや訪問の合間にスタッフが集い,情報共有や語らいの場となる。
村上 靖彦氏(大阪大学大学院人間科学研究科教授/現象学者)
藤田 愛氏(北須磨訪問看護・リハビリセンター所長/慢性疾患看護専門看護師)


 「言葉にするのが難しい」と言われることの多い看護実践。中でも,患者の生活の場に入り,一人ひとりのニーズに合わせた多様なケアが行われる訪問看護は,実践の言語化が難しい領域の一つだろう。

 その「訪問看護の語り」をテーマにした2冊,現象学者の村上靖彦氏による『在宅無限大――訪問看護師がみた生と死』(シリーズ ケアをひらく)と,訪問看護師として20年の経験を持つ藤田愛氏による『「家に帰りたい」「家で最期まで」をかなえる――看護の意味をさがして』(いずれも医学書院)がこのほど出版された。看護を語ることの大切さと面白さを知る2人が,看護の意味を語り合った。


看護に目覚めた出発点は「患者への気掛かり」

村上 僕はこれまで50人近くの看護師にインタビューし,その実践について一人ひとりの語りから分析してきました。インタビューではいつも最初に,その方が看護師になったきっかけを伺っています。藤田さんが看護師になった経緯も,よろしければ聞かせていただけますか。

藤田 看護師になったのは“通りすがり”なんです。大学受験では,看護とは全然違う路線を志望していたのですが,浪人が決定して。その時に祖母から渡されたのが看護学校の願書でした。「手に職を付けなさい」と祖母に強く勧められ,言われるがまま看護師になりました。

村上 自分でめざした道ではなかったから,“通りすがり”とおっしゃったんですね。訪問看護に取り組むようになったのはなぜですか。

藤田 訪問看護との出会いもまた“通りすがり”です。看護学校を卒業後は急性期病院に就職しました。結婚・出産を経て,子育てと両立しやすい職場を探す中で紹介されたのが訪問看護です。当時は訪問看護について何も知らず,求人情報も読み飛ばしていたくらいだったのですが……。「人手が足りなくて困ってるから」と勧められるがままベビーカーを押して訪問看護ステーションに行ったら,「では,来月から来てください」と言われて。動機も志もなく訪問看護の道に入りました。それが1998年のことです。

村上 介護保険制度の導入(2000年)の少し前ですね。訪問看護の仕事はどうでしたか。

藤田 最初は知らない人のおうちに行くことが重たく,イヤでした。病院という整理された環境で患者さんを看ていた時の看護は楽しかったです。外科病棟に勤めていたこともあり,患者さんの多くは元気になって「ありがとうございます」と言い,爽やかに退院していきます。

 一方,訪問看護では多くの場合,維持していくか,悪くなっていく患者さんのおうちに行き続ける。それは当時の私にとって,ものすごく重たいことでした。1年間くらいはなじめませんでしたね。

村上 それでも,だんだんと慣れていったのですか。

藤田 2年目になっても,やっぱりイヤだったんです。でも,その理由は変わっていった気がします。自分のしている看護への違和感,患者さんやご家族の幸せに役立てていないというもどかしさを感じるようになったのです。

 当時,訪問看護は手探りの時代。病棟看護の延長みたいな中で行われていました。でも,訪問看護には病棟看護のやり方がなじまない部分もあります。急性期病院で学んだことをベースにした看護だけではダメだ。どうするべきかの答えはわからないけれど,「何かが違う」ということだけがわかる。その違和感を抱えながら働くのがイヤだった。けれど,辞めようとも思いませんでした。

村上 訪問看護を始めた数年間は,あまりポジティブではなかったのですね。変わったきっかけはありますか。

藤田 劇的な何かがあったわけではないです。じわじわ,イヤではなくなっていって。

村上 じわじわ,ですか。

藤田 何だろう……。うまく言葉にできないのですが,多くの人と出会い,いろんな人の生きざまを見るうちに,自分の中にある何かが引き出されていく感じでしょうか。患者さんへの関心や,幸せであってほしいという思いが,イヤという感情を通り越して引き出されていったのです。

 患者さんの幸せを心から願うようになると,「今日は元気かな」「あの後,ちゃんと眠れたかな」「ご家族と仲直りしたかな」と,いろいろなことが気に掛かり始めました。すると今度は,その気掛かりを整えたいと思うようになる。仕事としてこなしていた訪問看護が,だんだんと楽しく面白いものになっていきました。

村上 藤田さんにとっての看護は,患者さんへの気掛かりが出発点なのですね。

藤田 そうかもしれません。患者さんには幸せであってほしい。「じゃあ,そのために私は何ができるだろう」と,理屈を抜きに考える。さまざまな人たちとの出会いの中で,こういう気持ちが自然と引き出されていき,私は訪問看護師になっていったのだと思います。

願いの理由から浮かび上がる看護の道

村上 藤田さんの書かれた『「家に帰りたい」「家で最期まで」をかなえる』を読んで,いくつか印象に残ったことがあります。藤田さんが患者さんやご家族に対して,言葉や行動に込められた理由を問い掛ける場面がたくさんありますよね。「どうしてそう思ったか,もしよろしければ理由を教えてください」って。

藤田 え,そうですか。それは無意識です。

村上 本当にいっぱいありましたよ。例えば,家に帰りたいと願う高齢男性の家族との面談の場面。「在宅介護は無理」と言う娘さんに,藤田さんは次のように尋ねています。

ところで今,私にお話しになりながらこぼれてしまう涙の理由は何ですか。きっと今,お話しに出てこなかった思いがあるんじゃないかと感じます。よかったら聞かせていただけませんか(32ページ)。

 続いて,死期の迫った母親を介護する男性と語り合う場面。

「もっと早く藤田さんたち訪問看護師さんと出会いたかった」。息子がつぶやいた。どんな意味が込められているのだろう。「それはどういうことですか。よろしければ詳しく聞かせていただけませんか」(40ページ)。

 他にも,57ページ,191ページ,195ページ,……。

藤田 へえ。私,無意識に聞いているんですね。癖みたいになっているのに,村上さんに言われて初めて気づきました。

村上 でもこれ,藤田さんにとってはすごく意味があることですよね。大事な場面では必ず理由を聞いて

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