がん治療の発展とDDS(松村保広)
寄稿
2019.01.07
【カラー解説】
がん治療の発展とDDS
松村 保広(国立がん研究センター先端医療開発センター新薬開発分野分野長)=執筆
図1 がん薬物療法の開発を加速させるDDS研究(クリックで拡大) |
1946年に初の化学療法薬が登場して以来,今日までにがん薬物療法は目覚ましい発展を遂げた。1986年にEPR効果が提唱されて以降,ターゲティング型DDSに着目した医薬品開発の道が開けた。近年,DDS製剤の開発が本格化している。 |
神の手を,われわれ人類は手に入れただろうか
人類は多くの知恵を結集し,がん治療の領域でも大きな進歩を遂げてきた。2003年にはヒトゲノム計画が完了し,2010年には日本人の全ゲノムが初めて解読された。
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スペクタクル映画『十戒』には,次のようなワンシーンがある。「神からの災いとして,門に子羊の血を塗らない家の長男は全て死ぬ」。神は一晩で,広大なエジプト中の家の扉に子羊の血が塗られているかどうかを認識し,さらに長男だけを識別して命を奪う。
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現代のがん治療において,「神の手」をわれわれ人類は手に入れただろうか。殺虫剤で蚊を撃退したり,抗菌薬で細菌を殺したりする方法は,「神の手」に近いかもしれない。しかしがん薬物療法の現状に鑑みるに,がん治療においては,広大な体内で,正常細胞から発生したがん細胞だけを確実に区別できるような「神の手」はいまだ有していない。したがって,がん組織に選択的に抗がん薬を届けるDrug Delivery System(DDS,MEMO参照)の研究は重要である。
遺伝子が「ぐしゃぐしゃに変化する」病気に立ち向かう
現在のがん研究の主流は分子細胞生物学である。しかし,分子標的薬を含むがん薬物療法は,最初は効いても,耐性ができてそのうちに効かなくなるのが現状だ。原因はがんが遺伝子レベルで多様な変異を起こすためだ。そもそもがんは「遺伝子病」だろうか。がんは単なる「遺伝子病」というよりも,遺伝子が「ぐしゃぐしゃに変化する」病気といえる。
そのため抗がん薬の開発戦略は,がん細胞に特異的な分子に注目するだけでは十分ではない。がん組織と正常組織との違い,血管や間質形成の特徴,それらが治療の観点からどのような影響を及ぼすか。病態生理学の視点に立ち戻ったDDS開発で,がん細胞そのものを破壊する戦略を考える必要がある。
がんDDS製剤の基礎となるEPR効果
固形がん治療におけるDDSには,active targetingとpassive targetingという二つの概念が存在する。Active targetingは分子間の特異的結合能を利用してターゲティングを図る。モノクローナル抗体や各種受容体に対するリガンドを利用した方法などが挙げられる。Passive targetingは腫瘍の脈管系の特性を利用して,薬物の選択的腫瘍集積性を達成する。一般的に高分子は正常血管からは漏出しにくい。しかし,固形腫瘍では新生血管の増生,血管透過性の亢進などの特性により,腫瘍血管から高分子が漏出しやすい。また,リンパ系の発達が未熟などの理由で,いったん腫瘍局所で漏出した高分子はその場に長く停滞する。結果として血中安定性に富む高分子抗がん薬はpassive targetingが可能となる。これがEPR(Enhanced Permeability and Retention)効果である(図2)。
1986年に発表されたEPR効果は世界的に受け入れられ,論文の被引用回数は5500を超えた(2018年8月時点)。動物実験レベルでは,高分子ポリマー,リポソーム製剤,ミセル製剤などに抗がん薬や核酸・遺伝子およびペプチドを搭載し,がん組織へ運ぶ方法の開発に寄与している。
開発,承認が進むがんDDS製剤
DDSの概念は1960年代に米国で提唱された後,初期は放出制御型DDS製剤の開発を中心に発展した。1989年には,ホルモン依存性がんである前立腺がん,乳がんなどに適応を持つLH-RH誘導体のマイクロカプセル型徐放性製剤,リュープリン®が日本発のDDS製剤として米国で承認され,現在も世界的に使われている。
その後,EPR効果を理論的支柱に注目が高まってきたターゲティング型DDS製剤では,ナノ粒子製剤のリポソーム製剤とミセル製剤の開発が進んできた。卵巣がんに適応のあるドキシル®は1995年に米国で,2007年に日本でも承認された。抗がん薬ドキソルビシン内包ポリエチレングリコール(PEG)化リポソーム製剤で,EPR効果により腫瘍局所に集積する。また,抗体製造技術の進歩に伴って,payload(低分子抗がん薬)付加抗体,すなわち抗体薬物複合体(Antibody-Drug Conjugate;ADC)だけでなく,放射線免疫療法(Radioimmunotherapy;RIT)製剤まで可能性は広がっている。開発・承認が進行中のDDS製剤の一部を紹介する(表)。
表 開発,承認が進むがんDDS製剤(クリックで拡大) |
2010年代に入り,EPR効果に基づくターゲティング型DDSを利用したリポソーム製剤,ミセル製剤,payload付加抗体(ADC)の3分野の臨床開発がますます進んでいる。 |
①イリノテカン内包リポソーム製剤(PEPO2)は標準治療のみに対して有意な生存期間延長を認めた。対象とする膵がんはがん間質が豊富である。間質の多いがんでは薬物ががん組織に集積しても,間質が高分子の浸透を妨げ,必ずしもがん細胞まで薬が届くとは限らない。到達性の問題から,膵がんにDDS製剤は効果が出にくいと考えられていた。PEPO2は低分子のフルオロウラシルとの併用で双方の欠点を補い,利点を付与し合ったためPhase III試験で良い結果が出たと考える。③ゲムシタビン内包リポソーム製剤(FF-10832)はEPR効果を基本とし,現在の膵がん治療のキードラッグである代謝拮抗薬ゲムシタビンの世界初のナノ粒子製剤の本格的な治験である。
ミセル製剤はリポソームよりも歴史が浅いため,承認されたものはまだない。④パクリタキセル内包ミセル製剤(NK105)はPhase III試験まで行い,パクリタキセルと比較し神経毒性の有意な低下は確認できたものの,効果の同等性を示せなかった。NK105の投与量の設定が低すぎたという反省のもと,現在同じ乳がんでランダム化Phase II試験が行われている。⑤~⑦の試験も各国で進行中である。
ADCは1970年代に提唱された治療法で,かつてはミサイル療法と呼ばれていた。当時,抗体は免疫原性のあるマウス抗体で,かつ抗がん薬と抗体を結合するリンカーテクノロジーが未熟だったことなどから,臨床応用まで至らなかった。現在はヒト化抗体などの抗体作製技術の革新に加え,リンカーテクノロジーの進歩もあり,ADC開発は急速に活発になってきた。現在70種類を超えるADCの臨床試験が行われ,Phase III試験も6種類で実施されている。
その中で⑩抗TROP2 ADC(IMMU-132)の作用機序が興味を引く。このADCはSN-38結合体で,リンカー部分はcarbonate結合であり,カルボキシルエステラーゼで抗がん薬が切り出される。がん細胞を標的とするが,抗体はがん細胞内に取り込まれることなく,がん細胞の近傍でSN-38をリリースし,がん細胞を攻撃する。国内では⑪抗HER2 ADC(DS-8201a)が乳がんと胃がんで効果を認めており,日本発のADCの誕生が期待される状況にある。他にも,payloadとして抗がん薬ではなく,α線やβ線を抗体に付加したRITの研究も欧米を中心に行われ,われわれの研究室も,独自に樹立した新規大腸がん抗体に,α線を放出するアスタチン211を付加したRITの研究開発を,理研と共同で開始したところである。
併用療法にも臨床応用の余地がある
しかしながら,開発の裏側ではうまくいかなかった例も存在する。EPR効果を基にしたDDS製剤がもくろみ通り,臨床試験でも十分機能するとは限らない。
例えば臨床試験結果が2004年に論文化された,ドキソルビシン内包PEG化リポソームに胃がん細胞特異抗GAH抗体を付加したDDS製剤MCC-465は,EPR効果に加え,active targeting機能が備わった剤型として大いに期待された。実際,ヒト胃がんxenografts(異種移植)実験モデルにおいて,MCC-465はドキソルビシンおよびドキソルビシン内包PEG化リポソームと比較して,有意に高い抗腫瘍効果が認められた。ところが,ヒト胃がんでの臨床試験では抗腫瘍効果は1例も確認できなかった。
MCC-465の臨床試験で抗腫瘍効果が見られなかった原因は間質にあると考えられる。この結果はEPR効果およびDDSについて真摯に考え直すきっかけとなった。Xenograftsモデルは間質がほとんど形成されず,EPR効果が発揮されやすい。Xenograftsモデルに近いヒトの臨床の腫瘍を挙げるならば,血液系腫瘍のリンパ腫,肉腫系統,卵巣がんなどであろう。リポソーム製剤CPX-351(表の②)の急性骨髄性白血病に対する承認例など,血液がんへのアプローチも一つの方法だ。リンパ腫や肉腫など,比較的間質が少ない固形腫瘍に対するDDS製剤の適応など考えていくべきではないだろうか。
また,PEPO2(表の①)と標準治療の併用が良い結果を出した例からは,低分子抗がん薬とDDS製剤の併用も有力な方法と考えられる。今後,ミセル製剤やその他のDDS製剤の臨床開発において大きなヒントとなる試験結果であろう。
CAST療法の提唱
では,間質の多いがんに対して,病態生理学的にはさらにどのようなアプローチが考えられるだろうか。
けがなどによる出血では,止血のために速やかに凝固反応が起こり,不溶性フィブリン(insoluble fibrin;IF)が形成される。その後,コラーゲンに置き換わり治癒していく。このプロセスに着目してみたい。
がんにより惹起される血液凝固亢進は,古くは19世紀のフランスの医師Armand Trousseauが胃がんと四肢の血栓性静脈炎について報告したことから始まる。がんは単なる腫れ物ではなく,周囲に浸潤増殖する。周囲の血管に浸潤して出血を起こし,けが同様にIF形成,コラーゲン形成が起こる。
非悪性の外傷,脳梗塞,リウマチ性関節炎の発作時などIF沈着を伴う疾患はあるが,IF形成は痛みなどの症状を伴う発症時および急性増悪期のみである。また,極期を過ぎればIFは消失し,コラーゲンに置き換わっていく。一方,がんの場合は生体内で増殖する限り,がん組織内の至る所で,出血,IF形成,コラーゲン形成は起こり続け,しかも無症候性に持続する(図3A)。すなわち,無症状で持続的なIF形成はがん特異的と結論付けられる。この現象は浸潤性が高いほど顕著となり,結果としてがん間質はIFやコラーゲンが豊富となる(図3B)。この考えに基づき,2000年代初頭からIF特異的抗体の樹立に取り掛かった。実験助手2人と私だけの小所帯で,「必ず樹立する」との希望だけを頼りにコツコツと進め,2006年,奇跡的に最初の抗IF抗体を樹立した。その後,抗体作製のエキスパートの参画によりヒト化に成功した。
IF特異的な抗体に抗がん薬を搭載したADCを2011年に初めて発表し,2012年に「CAST(Cancer Stromol Targeting)療法」と命名した。作用機序は,EPR効果により腫瘍血管からADCが漏出し,漏出部位の近くのIFに結合する。さらに,局所での薬物放出制御のために,IF上でのみ活性化される酵素プラスミンで低分子抗がん薬MMAEがリリースされる仕組みである(図3C)。
リリースされたMMAEは間質を容易に通り抜け,がん細胞に殺細胞効果を発揮するとともに,がん細胞の栄養血管にもダメージを与える。生体内でプラスミンはIFの表面以外では完全に中和されているので,抗がん薬のリリースは腫瘍内のフィブリン上でのみ特異的に起こる。
多分野の知見を結集し,がん薬物療法のさらなる発展へ
さて,われわれ人類は正常細胞とがん細胞を確実に見分ける「神の手」はいまだ持ち合わせていない。したがって,がん細胞を選択的に攻撃できる「弾丸」をデリバリーするDDSが必要である。DDS製剤は領域を超えた組み合わせの力で,より大きなベネフィットが得られる可能性を秘めている。CAST療法そのものも,病態生理学に基づく医学の視点,抗体の作製・改変,有機合成などの多分野の専門家と共同で,それぞれの強みを生かしながら開発に至った。
最近注目を浴びている免疫チェックポイント阻害薬は抗体医薬であり,従来の抗がん薬や放射線療法との併用で抗腫瘍効果が増大するとのエビデンスが確立しつつある。がん細胞にも間質にもより選択的に効果を発揮するDDS製剤と,免疫チェックポイント阻害薬との併用は合理的と考える。
がん患者さんのもとにより優れた薬を届けるべく,多分野の知見を結集したDDS研究の闘いは続く。
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