医薬品の費用対効果評価の課題は?(五十嵐中)
寄稿
2018.11.05
【寄稿】
医薬品の費用対効果評価の課題は?
五十嵐 中(東京大学大学院薬学系研究科医薬政策学特任准教授)
1961年の国民健康保険法の改正以来,ほぼ全ての薬が公的医療制度でカバーされる状況に半世紀以上慣れ親しんできた日本。何らかの形で給付にメリハリをつけること,さらには,公的医療制度での給付の可否や給付価格の調整に「効率性」の軸を加えることは,「医療にお金の話を持ち込むべきでない」,「海外と違って日本には費用対効果の考え方はなじまない」のような,ある意味情動的な意見のもとに阻まれることが多かった。しかし,この2~3年間,オプジーボ®(抗がん薬)やソバルディ®,ハーボニー®(C型肝炎治療薬)など,とてもよく効き,なおかつとても高額な薬の上市が相次いだことで,議論の風向きは大きく変わった。超高額な医薬品の第二波としてキムリア®などのCAR-T細胞療法の上市も控えており,お金の問題は「触れるべきでない話題」から「触れなくてはならない話題」に変わりつつある。
医療財政が危機に瀕しているのは,近年に始まったことではない。しかし,医療従事者や一般世論から,高額薬剤の財政影響を問題視する意見や保険適用制限を主張する意見が出てきたことは注目に値する。全薬剤が保険で賄われる制度を聖域化する議論から,財政状況などを考慮して最適な医療システムを維持する方法を考えていく方向へ,世論が転換した意義は大きい。
評価すべき「効果」とは何か
大前提として,費用対効果の評価は「新しい治療薬の費用」と「将来減らせる医療費」を比較するものではない。
「薬の効き目」と聞いて真っ先に,「その薬によって得られる医療費削減効果」を思い浮かべる人はよほどの変わり者であろう。費用対効果の「効果」は,削減できる医療費ではなく,健康上のメリットである。医療経済学者も,効き目は健康上のメリットと認識している。結果的に費用増加となっても,増加分に見合った効き目の改善があれば,費用対効果はよいと言える。すなわち,何が何でも医療費を安くすることをめざすのではなく,「高くてもよく効く薬」と「高いのに効かない薬」を切り分け,お金と効き目のバランスを吟味するのが,費用対効果評価の正しい意味である。
費用対効果評価を,「公的医療制度でどの薬をカバーするか?(給付の可否)」や「薬価をどう設定するか?(価格調整)」に使いつつ,効率的な医療システムの実現をめざす研究領域を,医療技術評価(Health Technology Assessment;HTA)と呼ぶ。例えば,給付の可否にHTAを使う場合,目的は「給付条件にメリハリをつける」で,手段が「差の付け方の基準として費用対効果を使う」である。この関係を誤解して,「費用対効果評価を導入すれば保険で使えない薬が出る (アクセス制限が生じる)」,「アクセス制限が生じるから費用対効果評価を導入すべきでない」のような意見もいまだにある。費用対効果評価を消し去れたとしても,別の基準を使ってアクセス制限が継続されるにすぎない。それでは全ての薬がカバーされる世界は決してやってこないのである。
世界のHTA機関の費用対効果評価へのスタンス
世界でも有名なHTA機関は,英国のNICE (National Institute for Health and Care Excellence)であろう。英国では,新規の医療技術を公的医療制度 で使用できるかどうかを評価する際,NICEが有効性と安全性に加え,効率性(すなわち費用対効果)も考慮して推奨・非推奨を決める。
NICEが評価する際の効き目のものさしには,質調整生存年 (Quality-Adjusted Life Year;QALY,註1)を用いるのが必須で,1 QALY増やすのにかかる追加費用(Incremental Cost-Effectiveness Ratio;ICER,増分費用効果比)を計算して評価する。ICERの値は小さければ小さいほど,費用対効果に優れるとされる。NICEの分析ガイドラインによれば,「1 QALY当たり2~3万ポンド」がICERの上限値,すなわち閾値とされる1)。
「健康な1年当たり,3万ポンドを上回ったら給付されない。命に値段を付けている」と時折,やり玉に挙がるシステムであるが,NICEは費用対効果以外の要素を吟味(総合的評価;アプレイザル)した上で結論を出していて,機械的に閾値を当てはめることは決してしない。ICERが3万ポンド/QALYを超えても,強い理由があれば給付は可能とされる。例えば,終末期患者の余命を延ばせる薬に対しては,基準値が5万ポンド/QALYまで引き上げられる。オーストラリアのPBACやフランスのHAS2, 3)のように,明確な閾値を置かないHTA機関も多い。英国の2~3万ポンドも,調査研究やGDPなどを参考に決定したのではなく,最初の数年間の評価結果を後ろ向きに評価して示唆された数値である4)。
NICEの実際の評価結果をもとに実運用上の閾値を推定したDakinらの2015年の研究5)によれば,給付を拒否される確率が50%となる分岐点は4万ポンド/QALY付近であり,公式見解の3万ポンド/QALYよりもやや高い。さらに,この50%になる分岐点を疾患別に見た場合,呼吸器系(2.0万ポンド/QALY)から筋骨格系(5.6万ポンド/QALY)まで,疾患領域によって判断が変わることが実証されている。
あらかじめ閾値を決め,ICERの値がそれより高いか低いかで費用対効果の良しあしを評価して,薬を使えるかどうかを決める――教科書通りに見えるやり方だが,この方法を杓子定規に適用している国はどこにもない。
一方で,日本の現行制度は
日本では2012年から中医協に「費用対効果評価専門部会」が設置され,2016年4月から試行的導入が始まった。本格導入は2018年4月の予定が1年延期され,2019年4月をめざして議論が進んでいる。大きな特徴は,「すでに保険適用されている医薬品に対して,費用対効果評価の結果を価格調整に用いること」である。
さらに,ICERの値と価格調整幅を一対一に対応させるという,世界でも類を見ない方法を取っている。費用対効果評価を価格調整に用いている国としてはフランスがあるが,フランスは前述のとおり閾値を定めていないし,給付価格とICERを直接対応させることはしない。ICERの数値そのものではなく,費用対効果評価の方法論をチェックする。方法論上の問題が大きい場合,価格交渉が厳しめになるというスタイルを取っており,日本とは根本的に異なる。
日本は費用対効果評価の部分で例外的に厳密な手法を取ることに加え,アプレイザルの役割も極めて限られている。先ほど述べた英国NICEの終末期特例は,基準値そのものを薬剤や疾患の特性に応じて2倍程度(2~3万ポンド/QALYから5万ポンド/QALY)に変化させる。日本の現状の手法は,ICERの数値そのものを,1要素当たり5%引き下げるにとどまり,インパクトは小さい。「価格調整に使うのだから,費用対効果以外の要素を考慮する必要はない」のような意見も見られるが,本来,アプレイザルは「価格の上げ下げ機能」のような矮小化された観点ではなく,費用対効果評価そのものの不確実性(費用の不確実性,臨床効果の不確実性,QALY計算の不確実性)を緩和する調整機能として理解されるべきものである。費用対効果評価の部分で厳密な手法を取るならば,アプレイザルの機能は諸外国よりもむしろ強化されるべきであり,現状はバランスを欠いた状態と考える。現行のシステムにはこれ以外にも,全ての薬剤に同一の基準値を当てはめている点(註2)や,患者集団によって異なるICERの数値が出たときの統合方法など,解決すべき問題点なども多い6)。
多種多様な薬価の引き下げルールがすでにある中,費用対効果ルールを「上乗せ」することには業界などの抵抗も多い。どのルールがいつ適用されるかが予測できず,なおかつ値段や売上のみで引き下げを受ける状況は,かえって開発意欲を削ぐことになる。お金だけでなく,薬の価値をある程度反映させるツールとして費用対効果を積極的に活用するほうが,むしろ予見可能性を保持できると考える。
国から要求されなければ,費用対効果のデータなど誰も気にしない時代から,行政・医療従事者・患者その他,どのステークホルダーからも費用対効果の議論が提起され得る時代へと,状況は動きつつある。諸外国の制度の表面をなぞるのではなく,実情を十分に把握した上で,よりよい形でHTAの日本への導入を望みたい。
註1:QALYは生存期間だけでなく,生存期間の生活の質(QOL)にも着目した医療行為の経済的評価指標。QOLを表す効用値(死亡を0,完全な健康を1として0~1の値を取る)で生存期間を重み付けする。3年間効用値0.5で生存した場合,QALYは3×0.5=1.5 。
註2:日本の現行制度では,ICERが1 QALY当たり500万円を超えると価格引き下げがスタートし,1000万円で最大に達する。これをもって「他国のように基準値が変動する」と主張する向きもある。しかし,他国は基準値を複数設定し,その中から疾患や薬剤に応じて選ぶ(例:通常の薬は2~3万ポンド/QALY,終末期の薬は5万ポンド/QALY)のであり,概念は全く違う。
参考文献・URL
1)National Institute for Health and Care Excellence. 2013[PMID:27905712]
2)J Mark Access Health Policy. 2015[PMID:27123173]
3)HAS. Guide Choix méthodologiques pour l'évaluation économique à la HAS. 2011.
4)Health Econ. 2004[PMID:15127424]
5)Health Econ. 2015[PMID:25251336]
6)Kristensen FB, et al. Challenges and Best Practices for the Japan Health Technology Assessment Pilot Program. ISPOR Value & Outcomes Spotlight. 2018;4(4):40-1.
いがらし・あたる氏
2002年東大薬学部卒。08年同大大学院薬学系研究科博士後期課程修了。同年から同大大学院特任助教を経て,15年から現職。10年から医療経済評価総合研究所所長・理事長。専門は薬剤経済学で,医療経済ガイドラインの作成,医療技術の費用対効果・QOL評価指標の構築などに携わってきた。
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