カエルやハエが支える医学の基礎の基礎(澁谷浩司)
インタビュー
2018.10.15
【interview】
カエルやハエが支える医学の基礎の基礎
澁谷 浩司氏(東京医科歯科大学難治疾患研究所分子細胞生物学分野教授/副学長)に聞く
医学分野の基礎研究と言えば,ヒト培養細胞やマウスのような哺乳類を用いた研究を思い浮かべる人が多いだろう。しかし,医学部においてツメガエルやショウジョウバエのような「非哺乳類」をモデル生物とした研究も行われている。多くの医療者にとっては少し遠い存在に感じられるそれらの生物が,どのように医学に貢献しているのか。非哺乳類を用いて医学の「基礎の基礎」を研究していると自負する澁谷浩司氏に,その魅力や医療との接点を尋ねた。
ヒトに還元できる答えを出せる“試験管”はどの生物か
――澁谷先生はどのような研究をしていますか。
澁谷 主にツメガエルとショウジョウバエを用いて,胚発生やがん化に関係する細胞内シグナル伝達系,特にWntシグナルを中心に研究しています。
――医学部での基礎研究には,ヒト培養細胞やマウスを使うことが多いと思います。なぜ,カエルやハエという非哺乳類を用いるのでしょう。
澁谷 「やすい・はやい・うまい」からです。まず非常に飼いやすく,維持コストが小さい。ライフサイクルが短く,目的のデータをすぐに得られる。ツメガエルは卵が大きく,実験もしやすい。ただカエルは遺伝子組換えが難しいなどのデメリットがあるので,そこはショウジョウバエを使う。遺伝子ファミリー内の遺伝子数などは異なりますが,基本的なシグナルはハエとヒトで共通ですし,生命メカニズム,特に発生の基盤にかかわる遺伝子は動物界全体に広く保存されています。この点もカエルやハエの「うまい」ところです。
――ゲノム編集など技術の進歩で,哺乳類でも遺伝子改変実験が容易になってきたと聞きます。今後も非哺乳類は重要なモデル生物であり続けるのでしょうか。
澁谷 さまざまなシグナル伝達系にかかわる重要な遺伝子の多くがカエルやハエ,線虫といった非哺乳類の研究で同定されてきました。とは言え,シグナル伝達系のパズルはまだまだ未完成です。カエルやハエを用いた「基礎の基礎」の研究で,今後も新しいことをどんどん発見できるでしょう。
一方で,ヒトの疾患に直結するような基礎研究は,やはり哺乳類を使った研究が有用です。例えば精神疾患モデルのショウジョウバエを作っても,本当にヒトの病態を模倣しているか,メカニズムは同じかと疑問が残ることが多いからです。ヒトに近い点で哺乳類のほうが疑義が少なく,現実的です。ただし,哺乳類での実験にかかる時間やコストを考えると,適材適所,使い分けが必要です。
誤解を恐れずに言えば,モデル生物には実験ツール,生体反応を見る器という側面があると思います。したがって,ある意味“試験管”とも言えます。適切なスピード,コストでヒトに還元できる答えを出せる“試験管”はどの生物かを考えたとき,私の研究にはカエルやハエが有用だと考えているのです。
純粋な興味の蓄積が応用へとつながる
――澁谷先生は,学位取得後は製薬会社に入社したそうですね。
澁谷 はい。入社後すぐの辞令で阪大に出向し,シグナル伝達系の研究を始めました。研究を始めてみると,仕事に恵まれたこともあり,だんだんシグナル伝達系の研究にのめり込みました。
きっかけの一つに,研究仲間の先生がシグナル分子を「プレイヤー」と呼んでいたことがあります。最初はなぜそう呼ぶのか不思議でしたが,研究を進めるうちに「やっぱり“役者”だ」と腑に落ちました。一人の役者がイヤなオヤジもいいお父さんも演じるように,シグナル分子も生体内で複数の役割を果たします。生体に大事なことも,つまらないことも,悪影響を及ぼすこともあるわけです。分子のさまざまな面を見ることが楽しいのです。
――好奇心が研究の源泉なのですね。
澁谷 はい。ただし,強調したいのは,好き勝手に研究をしているわけではないことです。念頭にはヒトに還元する意識がありますし,それができなければ研究する価値がありません。
――先生の研究が臨床応用につながった例はありますか。
澁谷 私の研究は「基礎の基礎」なので,直接応用に結び付くことはそうありません。あくまで研究の出発点は,「細胞内の仕組みを知りたい」という純粋な興味です。一方で,シグナル伝達系の研究成果自体が疾患メカニズムの解明につながった典型例はあります。
――どのような例でしょう。
澁谷 家族性大腸がんの原因遺伝子の一つにAPCが知られています。APCは,1990年代初期に米国のある大腸がん家系のゲノム解析で見つかった遺伝子です。当時はそのシグナル伝達系がまだ明らかになっておらず,原因遺伝子はわかったものの,がん発症のメカニズムは不明でした。
その頃Wntシグナルの研究が進んでおり,APCに異常があると,図Bのようにβ-cateninを介して遺伝子の異常な発現誘導が起こる結果,過剰な細胞増殖により,がん化するとわかりました。非哺乳類を用いた世界中の基礎研究者の発見の蓄積で,APCの変異が大腸がんを引き起こす理由が解明されたのです。
最近の例では,高血圧症や神経疾患の原因遺伝子が関与するシグナル伝達系の私の研究も,病態解明に寄与しているとわかってきました。どのシグナルが疾患にかかわるかがわかれば,経路内の分子を標的に創薬を進めることもできます。
――カエルやハエを用いた基礎研究も医学の発展を支えているのですね。
澁谷 基礎研究が応用に本当に結び付くか,すぐには判別できません。それでも,基礎研究での発見の蓄積が最終的にヒトに還元できる可能性は高いです。特に今はゲノム研究が盛んで,疾患関連遺伝子が毎日のように同定されますが,そのシグナル伝達系が未知ならば,発症メカニズムはわからないことが多くあります。やっぱり,基礎研究あっての医学の進歩ではないでしょうか。
失敗を積み上げて成果を築く
――「基礎の基礎」の研究者である澁谷先生のモチベーションは何ですか。
澁谷 研究者に共通しているのは,新しい発見と,それを導くまでの考えるプロセスを楽しむことです。
私は若いころ,「その実験を行う意図を考えなさい」と口酸っぱく言われました。うまくできなくても半べそかきながら続けると,研究の意義や位置付けが見えるようになる。すると,行うべき実験を自分で考えられるようになります。そして,指導者も予想だにしなかった実験のポジティブデータを報告すると,指導者がすごく喜びます。それで,「やった!」と。自分で思考して成功と失敗を重ねながら見いだした「新たな発見」が,糧になります。
――考え,失敗もしながら進める研究の魅力が伝わってきました。
澁谷 実験は失敗の連続です。失敗の山から成果は生まれるもの。間違いをそのまま忘れずに,失敗のデータを頭に置いて次への生かし方を考えることが大切です。一つのデータを注意深く読めば,それまで見えなかったデータ同士のつながりがきっと見えてくるからです。
精緻な研究を行う上で必要な考え方やまとめ方,追究の仕方はどこでも生きると思います。研究を行う人には,こうしたスキルを身につけるために細かな点に疑問を持ち,綿密に解析してほしいです。それが研究を楽しむことにもつながります。
(了)
しぶや・ひろし氏
1985年筑波大大学院環境科学研究科修士課程修了。同年日本ベーリンガーインゲルハイム株式会社入社後,阪大細胞工学センターへ出向。90年阪大大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)。北大薬学部助教授などを経て,2000年より現職。18年より副学長を兼任。
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