医学教育におけるIRの機能と使命(中村真理子,椎橋実智男,伊藤彰一,淺田義和)
対談・座談会
2018.09.10
【座談会】医学教育におけるIRの機能と使命 |
中村 真理子氏(東京慈恵会医科大学教育センター教授)=司会
椎橋 実智男氏(埼玉医科大学情報技術支援推進センター教授) 伊藤 彰一氏(千葉大学医学部医学教育研究室講師) 淺田 義和氏(自治医科大学情報センターIR部門講師) |
医学教育分野別評価への対応を契機に,教育活動の内部質保証システムとしてInstitutional Research(IR)の必要性が論じられるようになった。IR活動は,大学の経営改善や学生支援,教育の質向上のためのプログラム評価など広範にわたる。
医学教育ではIRの理解がどの程度浸透し,機能しているのだろうか。IR部門に求められる役割と,医学教育の今後の発展に向けて必要な取り組みについて,医学教育のIR部門に携わる出席者らが,それぞれの現状と課題を踏まえ議論した。
分野別評価のためだけの機能か
中村 全国の医学部では近年,IR部門が次々に設置されています。ところが,「IRの定義は何?」「IR部門を立ち上げたけれども,何をするところかわかりにくい」などの声をしばしば耳にします。多くが分野別評価を契機に発足した経緯から,ともすると「IRの役割は目の前の分野別評価への対応」であり,「データ集めがIR」との誤解もあるかもしれません。
椎橋 IRはもともと,退学者が増えて経営が立ち行かなくなることを危惧した米国の大学が,健全な経営に向けて,学生の成績や大学の経営状況など学内に散逸している情報を集約して分析するために取り入れたとされます。
中村 大学全体の経営改革を起源とするIRが,日本の医学教育に必要とされた背景をご紹介ください。
椎橋 わが国の高等教育は近年,教育の質保証が重要視されるようになりました。医学部では,2010年,米国の外国人医師卒後教育委員会(ECFMG)の通告をきっかけに,医学教育分野別評価が始まり,評価を進める中で「IRが必要」との議論になりました。
中村 そうした経緯から,医学教育のIRは教育の質保証を図る組織としての色彩が濃いですね。IRの概要を淺田先生から説明していただけますか。
淺田 IRとは組織全体のデータを収集・分析し,情報として可視化した上で,その結果を教育や研究,管理・運営に役立てるものです。教学IRや経営IRなど目的に応じた多様な視点がある中,医学教育では主に教育・学習に関するデータを扱う教学IRと位置付けられます。例えばデータ収集では,学生の成績が挙げられます。成績が伸び悩んでいる学生はどんな傾向があるか分析し,整理・解釈を行う。そして,次の教育へ生かします。
より広い視点では,「科目構成・シラバス」と「卒業時に達成すべき目標」との整合性を確認し,カリキュラム改革や目標の見直しに役立てることなども考えられます。
中村 医師の立場でIRに携わる伊藤先生には,IRに期待される役割はどう映りますか。
伊藤 卒業生が将来,社会にどう貢献する医師になるかを見届けることもIRの重要な役割だと考えます。卒業後のデータから,その医学部のミッションがどうであったかを社会の要請とも照らし合わせながら検討する上で,IRの役割は広範かつ重要です。
中村 分野別評価はIRを始める良いきっかけですが,それだけがIRの目的ではありません。大学で行われている教育活動について継続してその成果を検証し,改善につなげるには,関連するデータを統括的に扱うことが求められます。
椎橋 根拠に基づき医学教育を進めるために,EBMならぬ「Evidence Based Medical Education (EBME)」の考えが,IR活動の基盤にあると言えます。
医学教育の発展に資する,卒後長期にわたる調査の重要性
中村 IRが担う具体的な役割は,大学の設立母体や学部の構成によって異なります。先生方は現在,どう関与していますか。
椎橋 埼玉医大ではIRセンターが2017年に設置され,私がセンター長,専任の事務職員1人,兼任の事務職員が1人配置されています。以前からIRに関する委員会はあり,データを蓄積してきました。2021年の分野別評価の受審に向けて作業を進めています。
淺田 自治医大のIR部門は,大学直下に位置付けられる情報センターにあり,私と事務職員1人の2人体制です。入学試験,共用試験(CBT・OSCE),学内試験などの情報集約,管理およびその解析と改善策の提言を担います。
中村 慈恵医大のIR部門は,学長直下の組織である教育センターの一部門として2013年に設置されました。当時は私1人で,2014年の分野別評価のトライアルに向け,学内に散逸していたデータの収集,整理,分析から始めました。2016年には専任の職員が1人配置され,現在2人で活動しています。
伊藤 私は,医学部の教育専門部署である医学教育研究室と,研修医等の研修をつかさどる,附属病院内の総合医療教育研修センターの両方に所属しています。それぞれにIR部門があり,卒前・卒後の教育・研修を橋渡ししながら活動しています。他の医科大学と違い,医学部で教学IRを実施し,さらに,全学を統括する教育部門が全学の教学IRを行っています。
中村 組織の成り立ちや位置付けに違いはあるものの,基本的な役割がデータの扱いである点はIRに共通します。その基本的手順を淺田先生,解説してください。
淺田 データの扱いは,収集→分析→解釈→提示の流れです。収集は試験結果の入力やアンケートの実施,さらにはデータの集約管理があります。分析は必要データの結合,可視化,そして統計解析です。得られた分析結果の教育的意味を解釈し,改善案を提示する。これがIRの基本実務です。
中村 具体的にどのようなデータが対象になるでしょう。卒前について,椎橋先生からいかがですか。
椎橋 入学時点では,学生の氏名や出身地などの属性情報から入学試験の成績,面接官のコメントなどです。入学後は点数化された学業成績はもちろん,講義の出欠席,担任教員からのコメント,実習中の評価,e ポートフォリオなどです。質的なデータを含めた学業生活全般の多くのデータを集めて分析し,そこから得られた情報をプログラム評価や学生の支援に役立てます。
中村 伊藤先生,卒後との関連ではどのような特色があるでしょう。
伊藤 卒前のアウトカムをどれだけ達成できたかを明らかにするため,卒業時調査(Graduation Questionnaire;GQ)を行います。6年間の現状のカリキュラムの長所短所が見えてくるからです。また,学生時代のどの活動から学びがあったかを把握することで,例えば学生と教員間の関係性が適切だったか,教育環境や設備は十分だったかを知ることもできます。
中村 長期間で獲得された学修成果を評価するには,授業アンケートのような個別の評価ではなく,6年間を振り返っての卒業時調査が有用ですね。
伊藤 ええ。今,世界の医学教育の潮流はアウトカム基盤型教育(Outcome-based Education)です。アウトカムの達成度合いを評価するのは難しい面があるものの,IRが寄与できる重要な役割です。
中村 卒業時だけではなく,教育プログラムを評価し次に活かすために重要な調査対象となるのは卒業生です。ただ,卒後長期にわたる縦断的調査となると,課題を感じる大学も多いのではないでしょうか。米国では一般的な,卒業生を追跡調査するアルムナイ・サーベイの整備が,日本では十分とは言えないからです。
伊藤 卒後のデータ収集は同窓会の協力をもってしても難しく,本学の2012年度の調査では,卒業生の3割強しか回収できませんでした。
中村 慈恵医大は相当努力して2割程度が率直な実感です。
伊藤 データ提供の義務を負う仕組みがないのが一番の要因でしょう。
中村 個々の大学の努力だけで解決できる問題ではないと感じます。
淺田 例えば,臨床研修指定病院と情報をリンクするなど,初期研修2年間の追跡だけでも確実にしたいですね。
伊藤 ええ。データ提供を正当化すべく,IRのフィロソフィーを明確にし,将来どう役立てるかを整理し発信することが重要になります。
椎橋 卒業生の協力なしには各大学のIR活動,ひいては日本の医学教育全体の改善はないでしょう。その点を強調し,理解を広めなければなりません。
IR部門が担うべき役割の範囲は
中村 次に,業務範囲が多岐にわたるIR部門の,運営に関する現在の問題意識をお聞かせください。
椎橋 IR部門が役割を広げすぎてしまうことです。立ち上げたばかりは,軌道に乗るまで「あれも,これも」とIR以外が担うべき業務まで引き受けたくなるものです。
淺田 情報が一手に集まり,多くの役割が期待されるだけに,線引きが難しいと私も感じます。
中村 判断のポイントはありますか。
淺田 教学IRと学習分析(Learning Analytics)の似て非なる役割を理解することです。どちらも各種データを解析し,教育・学習の改善に役立てる意味は共通しますが,対象領域や目的によって役割が異なります(表)。ただ,いずれも表裏一体ではあるので,両者を厳密に独立・分断して考えるのではなく,「IRによる学生支援」を前提に判断したいところです。
表 学習分析と教学IRの比較(淺田義和氏提供)(クリックで拡大) |
椎橋 本来期待されるIR機能を低下させないためにも,自分たちの立ち位置を確認しながら活動を進めていきたいですね。
中村 役割の明確化の点では,教育プログラムの検証にIR部門はどのような立場でかかわればよいかもしばしば話題になります。それは,教育プログラムを策定・実施する組織と評価する組織との関係性についてです。
椎橋 内部質保証のためにPDCAサイクルを回す必要があります。例えばカリキュラムについて考えると,実施する組織と評価する組織とは別であるべきですから,Plan(計画)とDo(実行)はカリキュラム委員会,Check(評価)はカリキュラム評価委員会,それを受けてAct(改善)はカリキュラム委員会というように,役割を2つに分けてPDCAサイクルを回すという見方もあるようです。
中村 PDCAサイクルを2つに分けて考えること,特にCheck(評価)部分にIR部門の直接関与を推奨する考え方もあるようですが,いかがでしょう。
淺田 私は,PDCA 全体は例えばカリキュラム委員会やカリキュラム評価委員会などの当該部署が回し,IR部門はそれを俯瞰する,いわば第三者の目で一歩引いて見るのが適切だと考えます。
伊藤 私も同感です。IRは教育プログラムを“メタ認知する”ような役割を果たしていくべきです。
淺田 PDCAを回す過程でデータを求められれば提供する。客観的データを解析して提言するIR部門が,教育プログラムを動かしている現場でのPDCAサイクルに直接関与してしまうと,カリキュラム策定の姿が崩れてしまうと懸念します。
椎橋 そうですね。IRは教育プログラムの評価を直接担うのではなく,データを分析しエビデンスを提供するとの認識が重要ではないでしょうか。
IR機能向上には組織全体の理解と協力が不可欠に
中村 学生や卒業生の情報を経年的に扱う上での倫理的問題も押さえたい点です。種々のデータを集めての解析は「研究」か「業務」か。線引きはどう考えますか。
淺田 学内の教育改善に用いるのであれば教育活動の延長線上ですから「業務」,学会発表や論文発表など教員個人の業績がかかわる部分は「研究」になると考えます。
椎橋 研究であれば,倫理審査委員会を通してから始めますね。データを扱う過程で迷いが生じれば,「研究だから倫理審査を通す」「業務だから不要」と判断すればよいでしょう。
伊藤 IR組織の目的に立ち返れば,業務であってもリサーチマインドは必要であることは忘れてはなりません。IRの「R」はResearchですから。
中村 大切なポイントですね。リサーチクエスチョンを自ら立てる視点,学究的な側面もIRとして強調したい点です。データから情報への変換に際し,正しく判断できる論理性や客観性も重要です。
淺田 データ収集に関連し,ICTの活用も理解と協力を得たい点です。データを一括管理し,解析へと進むに当たり,紙媒体での試験結果や表形式の異なるExcelファイルなどが多いと,その変換・統一だけでも相当の労力が割かれます。
IRの本質はデータから有用な情報を引き出すことで,データ管理ではありません。eラーニングシステムの活用,シミュレーション教育の学習履歴の集約管理など...
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