医学界新聞

対談・座談会

2018.02.26



【座談会】

「病いの語り」が描き出す悲嘆・人生・希望

江口 重幸氏(東京武蔵野病院 精神科・副院長)
東 めぐみ氏(東京都済生会中央病院 看護部・副看護部長)=司会
安酸 史子氏(防衛医科大学校教授・医学教育部看護学科学科長)


 精神科医で人類学者のアーサー・クラインマン氏の著書『病いの語り』(誠信書房)は,慢性看護領域にかかわる看護師をはじめ多くの医療者に今なお大きな影響を与えている(MEMO)。医療技術の高度化や複雑化が進めば進むほど見失われがちな「ケアをすること」の原点を見直し,その大切さを日々の臨床に効果的に取り込むにはどうすればよいか。

 本紙では,慢性疾患看護専門看護師の東めぐみ氏を司会に,クラインマン氏の著作の翻訳を多数手掛け,自身も精神科臨床に医療人類学的視点を取り入れている精神科医の江口重幸氏,慢性看護領域の人材育成・研究に携わる安酸史子氏の三氏の座談会を企画。「病いの語り」が描き出す,悲嘆,人生,そして希望を看護師がいかにくみ取り,実践につなげるかについて語られた。


 「病いは経験である」――『病いの語り』の最初の一文を読んだとき,慢性看護の本質を突かれたような衝撃を受けました。

江口 病いの経験にかかわること。それこそが医療やケアの中心に据えられるものである。医療者は狭義の疾患(disease)について熟知しなくてはいけませんが,個々人の病い(illness)の経験にも入っていかなくてはならない。その大切さを冒頭の一文は呼び覚ましてくれます。

 糖尿病は,初期は検査値のみで診断されるため,患者さんは「自分は病気」との感覚をなかなか持てません。すると,身体的ケアよりも言葉によるケアが主になるのではないか。そう考え取り組んできた私に,本書は多くの示唆を与えてくれました。

江口 現代医療が進歩すればするほど,専門化や細分化が進み,患者その人をまるごと受け止めることができなくなってしまう。これがクラインマン最初期の著作『臨床人類学』の中心テーマでした。医療者は患者にどう向き合えばよいか,それを乗り越えるためにはどんな方法があり得るのか。その後の医学教育への応用も含んだ,一貫した問い掛けだったと思います。

 2014年の来日講演で印象的だったのが次の言葉です。「ケアをすることは必然的に,ケアをされる過程と相互に結びついている」(本紙第3076号)。

安酸 看護理論家ヘンダーソンの「患者の皮膚の中に入ってケアをする」という表現とも通じます。

 実践家はそう願って実践していますが,臨床は複雑なものです。安酸先生は,「患者の立場に立ったケア」の教育について現状をどう見ますか。

安酸 看護学生は受け持ち患者さんの話をじっくり聞く機会があり,聞き方が上手でなくても感動や気づきがあったと目を輝かせてくれます。ところが,臨床に出ると日々の仕事に追われ患者の語りを聞く機会から遠ざかってしまう。ベナーは「一人前」と「達人」の間にはレベルの「跳躍がある」と表現していますが,その感覚を得るには患者さんの語りに耳を傾け,言語化するスキルを磨くことが欠かせないと思うのです。

 そうですね。そこで,ケアの言語化には事例を用いた検討が有効だと私は考えます。治らない病いを前に患者さんが希望を失ったとき,「病む人と共にある」とはどういうことなのか。本日は事例を交え,慢性の病いへの向き合い方を検討したいと思います。

語りを聞くための姿勢とは

 初めに,患者さんの語りを聞くためにどんな姿勢や態度が必要かお聞きします。安酸先生,いかがでしょう。

安酸 患者さんを前に,雰囲気や表情,言葉遣い,話すテンポは何が最適かを常に意識することです。

江口 医療者が「道聞かれ顔」でいることも大切だということですね。

 「道聞かれ顔」ですか。

江口 街中で,「この人には道を聞いてもよさそう」「道を聞かれたがっている」というホスピタリティの溢れた表情のことです(註1)。

安酸 少し“隙”のありそうな。

江口 ええ。私もそれをヒントに,病棟でも夕食が終わり落ち着いた時間帯などに「道聞かれ顔モード」で患者さんと話すことがあります。すると診察室では出ない話題がどんどん出てくる。

 「わざわざ聞くことでもないけれど……」といった話題も口にしてもらえれば,語りが膨らみそうです。

安酸 ICUに入院した経験のある元同僚の教員は,重篤な状況では信頼できそうな看護師によるケアを望み,回復して一般病棟に移ってからは世間話や冗談が言える看護師を待つようになった体験を話してくれました。

 患者からすれば,病いの重篤度が変わることで求めるケアの在り方も変わるわけですね。ケアをする/される相互作用があって両者の関係が成り立っていることに気づかされます。

江口 語りを引き出すための工夫や,余裕のある時間と空間が臨床の場にはもっとあってもよいのでしょう。これらを切り詰め効率化していくのが現代の医療や看護の特徴ではないでしょうか。特に慢性疾患では,その発想から切り替えることが重要だと思います。

 「話していいですよ」という雰囲気をあえて演出することで,患者さんも「語ろうかな」と思えるはずです。

生活史をひもとき語りを導く

 クラインマンの説明する「ヘルスケア・システム」は,ケア提供の場とはどこかを考える上で注目しています。

江口 『臨床人類学』の最初に出てくるキー概念ですね。

 江口先生はどうとらえていらっしゃるのでしょう。

江口 ごく簡単に言うと,どの社会においても,そこの人々はその土地の言語や宗教システムに組み込まれていますが,疾患や医療や癒やしということも,ひとつの文化システム,象徴的な意味のシステムとして構成されたものであるという考え方です(註2)。

 文化システムを知るには,患者さんの社会背景や生活史をとらえることが必要との理解でよいのでしょうか。

江口 そうですね。ヘルスケア・システムは狭義の疾患や医療にのみ収斂するものではないと私は考えています(註3)。

 病いの状態とは,それまでの安定した日常的な地点から,もうひとつ別の見知らぬ苦境へとはじき出される経験とも言えます。そのようないわば窮地に陥った個人や周囲の人にとって,どのような選択が癒やすことにつながるのか。ヘルスケア・システムは医療者や医療機関という領域だけではなく,地域コミュニティなど,広く社会的な側面も含んでいると考えます。

安酸 すると,人生という広い視点はケアを考える上で見逃せませんね。質問を繰り返すことで語り直されるその人の生活史を頼りに,将来の展開も推測できるようになるからです。

 人生にまで思いをはせ,語り直してもらうケアの意義は大きいでしょう。ここで私自身の事例を紹介します。

事例1
肝硬変末期の肝性脳症で入院する男性患者。40歳代で舌がんになり,舌は郭清して発語がうまくできない。点滴やバルーンを抜くなど暴れ,穏やかだったその人らしさを失っていた。落ち着いた頃を見計らい,病気後の暮らしを尋ねた。「舌がんになり自分の人生は終わったと思った」「やるせなくてお酒をたくさん飲んだから,こうして病院で寝ているんだ。自分が悪いんだよ」と責めていた。私はとっさに,「がんになったつらさを紛らわすためにお酒を飲んだのであれば,それも大切な行動だったのではないですか」と伝えた。すると,患者さんはポロッと涙を流した。

安酸 語りを聞く中で,お酒を飲んだことをあえて肯定したわけですね。

 はい。亡くなるまでの数日間は落ち着きを取り戻し,働いていた頃の思い出話にも花が咲いて,その方の歩んだ人生を共有することができました。

江口 疾患だけではない,それを含むライフヒストリーや人生について聞かれることで,当たり前に生きてきた「自分」を実感し直す...

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