医学界新聞

寄稿

2017.07.03



【寄稿】

ブロードマン没後99年に寄せて

河村 満(奥沢病院名誉院長)


 1918年8月22日,1人の男が敗血症により49歳の若さで亡くなりました。名前はコルビニアン・ブロードマン(Korbinian Brodmann)。彼の名前の冠された脳地図は彼が亡くなった後も,神経学,神経科学研究の基礎をなす土台となり続け,それは現在まで続いています。この8月に没後99年を迎えるブロードマンの業績を駆け足ながら振り返ってみたいと思います。

コルビニアン・ブロードマン(Korbinian Brodmann; 1868~1918)

ミュンヘン大,ヴュルツブルク大,ベルリン大,フライブルク大で医学を学び,1895年医師資格取得。アレクサンダースバートの神経病院に勤務後,98年ライプチヒ大で学位を授かる。1900年フランクフルトの精神病院に勤務。01年ベルリンの神経生物学中央研究所で,細胞構築学的方法による大脳区分の研究を開始。05年にサル大脳,08年にヒト大脳の脳地図を作成。その後,10年チュービンゲン大精神神経科教室,16年ニートレーベンの神経病院の病理解剖主任などを経て,18年にドイツ精神医学研究所局所解剖組織学部門主任。彼が脳地図を作成した19世紀末から20世紀初頭は脳研究の隆盛期の1つである。


 ブロードマンの業績といえば,何をおいても脳地図の作成だと思います()。神経解剖学の教科書や脳神経領域にかかわる研究書はもちろんのこと,一般書にまで転載され続けるこの脳地図がいったい何を表しているのか,ご存じでしょうか。

 ブロードマンの脳地図(クリックで拡大)
1909年出版の神経解剖学に関するモノグラフ『Vergleichende Lokalisationslehre der Großhirnrinde in ihren Prinzipien dargestellt auf Grund des Zellenbaues』に掲載されたブロードマンの脳地図。本書では大脳を大きく11のregion,さらに細かく52のareaに区分している。なぜ52としたのかは謎に包まれている。同図が最初に発表されたのは1908年の雑誌論文においてと言われている。1909年の図が転載されることが多いが,1910年に「もう1枚」の脳地図が発表されている。

形態と機能を結び付けた業績

 この地図は,大脳の図が2枚1セットになっています。これは左の図が脳を外側からみたもの(外側面),右の図が脳を矢状面で切った内側がわかるもの(内側面)です。そこにさまざまな形の記号を付して領域を塗り分け(これを領野と呼びます),それぞれに番号を振っています。この領野をどのように分けたのか,それこそがブロードマンの仕事の本領です。

 大脳はご存じのとおり,数百億という膨大な数の神経細胞が集まって構成されています。神経細胞には形態と機能が異なるさまざまな種類があり,大脳皮質ではそれらが種類ごとに地層のような層構造を形成しています。ブロードマン以前から大脳皮質の層構造は知られていましたが,研究者により層をどのように分けるか,各層をどのように呼ぶかは異なりました。ブロードマンは6層に分け,表面から順に①表在層,②外顆粒層,③錐体細胞層,④内顆粒層,⑤神経細胞層,⑥多形細胞層と名付けました。今でもこのブロードマンの分類と名称をもとにした層名が使用されています。

 さらにブロードマンはこの6層構造が大脳皮質の場所ごとに異なることを発見しました。層全体および各層の厚さ,神経細胞の密度が場所によって異なるのです。例えば,一次視覚野では④内顆粒層が厚く,一次運動野では④内顆粒層が薄い一方で⑤神経細胞層は厚く巨大な錐体細胞(ベッツ細胞)がみられるといった具合です。このような層構造を大脳皮質全体で調べ,層構造の共通すると...

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