医学界新聞

寄稿

2017.03.13



【寄稿】

被災地・福島での研修が教えてくれたもの
“医の営みは患者と共に始まり,患者と共に続き,そして患者と共に終わる”

福永 久典(クイーンズ大学ベルファストがん細胞生物学研究センター)


 2011年3月,観測史上最大規模の大地震,千年に一度と言われるほどの大津波,そして未曽有の原発事故が福島県相双地域を襲いました。地震と津波によって死傷者が数多く発生し,原発事故により住民の大部分は避難に追い込まれ,地域内のほぼ全ての医療機関が閉鎖を余儀なくされたのです。極限まで困窮した相双地域において,住民の希望のともしびとなったのは,公立相馬総合病院――わずか230床の小さな地域病院でした。

 同院は,事故が発生した福島第一原子力発電所を擁する相双地域にありながら,震災直後の混乱期にも病院機能を維持し得た唯一の地域中核病院です。医師だけでなく病院の全スタッフが一致団結し,患者に最後まで寄り添うことを選んだ「相双地域の最後の砦」と言えます。私は医学部卒業後,同院の“初めての研修医”になりました。本稿では,福島での臨床研修で感じたことや,現在のキャリア選択に至った経緯についてご紹介します。

地域の人々の希望であり続けた病院で医療の在り方を学びたい

 これまで私は,医学生として,医師として,被災地となった東北地方での医療支援に従事してきました。医学生ボランティアとして,福島県浜通りに初めて訪れた日に目にした光景を,今でもふとした瞬間に思い出します。津波によって何もかもが流された状況を見て被災地の人々の絶望を思い,原発事故の影響でなかなか進まない復興に対して憤りにも似た感情を抱きました(写真)。そうした苦しい状況下でも,医の営みを守り抜き,住民の希望を絶やさなかった公立相馬総合病院は,私の心の中でずっと忘れ難い輝きを放っていました。

写真 被災後の様子(筆者提供)
❶地震,津波によって線路は壊滅(JR常磐線新地駅付近)し,❷原発事故によって交通路は封鎖された(南相馬市から浪江町にかけての国道6号線)。

 かつて医聖と言われたWilliam Osler卿は,「医の営みは患者と共に始まり,患者と共に続き,そして患者と共に終わる」と言いました。米ジョンズ・ホプキンス病院の創設時メンバーであり,英オックスフォード大などで医学の教鞭を執った偉大なカナダ人医師Oslerは,医の営みの原点として“患者に寄り添う姿勢”こそを重視していました。もしもOslerが震災時の公立相馬総合病院を見たら,何と言ったでしょうか。おそらく「医の営みを担う者たちとして,これこそがあるべき姿だ」と,激賞してくれたのではないでしょうか。私もまた,そうした在り方こそが医療のあるべき姿だと感じました。あの苦難の日々の中で,相双地域の人々の希望であり続けた世界一の病院で研修し,ぜひその精神を学びたいと強く思ったのです。

患者さんの最期の一言を聞き放射線医科学研究の道へ

 臨床研修中,私はある患者さんを看取りました。彼は福島県飯舘村に住んでいたものの,原発事故によって故郷を追われ,その後は相馬市内の仮設住宅で独り暮らしをしていました。とても朗らかで優しい方でした。彼は最期に「死ぬ前に家に帰りたかった」と言い,失意のまま亡くなったのです。なんとかしてあげたいという気持ちに反し,結局私は何もしてあげることができませんでした。

 何の罪もない彼が,なぜあのような人生の終わりを迎えなければならなかったのかと考えると,とても悲しくて,悔しくて。「今回の悲劇的な原発事故から得た教訓をもって,私たちは絶対に前に進まなければならない。故郷を失って無念のうちに亡くなった人たちの思いを決して無駄にしてはならない」と心に刻んだのです。

 医学研究者...

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