医学界新聞

対談・座談会

2017.02.27



【座談会】

組織の倫理課題に向き合う看護管理者へ

熊谷 雅美氏(済生会横浜市東部病院 副院長兼看護部長)
下岡 美由紀氏(京都岡本記念病院副看護部長)
勝原 裕美子氏(オフィス KATSUHARA代表)=司会
中野 千秋氏(麗澤大学大学院経済研究科 研究科長・教授)


 倫理的問題は,どの医療機関でも日常的に起こり得る。病院組織の中で,看護管理者も,現場の第一線で働く看護師も,倫理的問題に出合った場合には何らかの意思決定を行っていかなければならない。看護師が一人で悩みを抱えがちな問題について,どのような倫理課題が内在しているかにいかに気付き,対処すればよいのだろうか。

 本紙では,『組織で生きる――管理と倫理のはざまで』(医学書院)を著した勝原氏を司会に,組織論の立場から経営倫理学を専門とする中野氏,急性期病院の看護管理者である熊谷氏・下岡氏の4氏による座談会を企画。看護管理者の倫理的意思決定について,出席者の経験を踏まえながら思考のプロセスを確認し,管理者に求められる組織倫理の在り方について議論いただいた。


勝原 病院では医師・看護師をはじめ多職種が働き,患者さんやご家族にも向き合います。「一つの社会」とも言える組織の中には,さまざまな行動様式や考え方が交錯し,管理者を含む看護師は,日々,倫理的意思決定をしていくことが求められます。

 本日は,それぞれ異なる立場から見た倫理課題の事例を紹介していただきながら,個々の看護師や病院組織に倫理的思考を広めることの意義について議論を深めたいと思います。

後ろめたさを感じず生き生き働くために

勝原 初めに倫理課題に対する問題意識を聞かせてください。

熊谷 私は,560床の急性期病院に勤務し,副院長兼看護部長になって10年がたちます。意思決定をしなければならない場面は,患者さんのこと,スタッフの業務,病院の経営面など,これまでたくさんありました。そのたびに悩み苦しみ,「これでよかった」と思えた意思決定は一つもありません。

 そんな折,後に書籍『組織で生きる』にまとめられることになる『看護管理』誌の勝原先生の連載に,自分の体験と共鳴する事例が紹介されていて,思わず涙が出る経験をしました。組織倫理という言葉の意味を深く知ったきっかけでもあります。

勝原 熊谷さんが組織倫理に関心を寄せていたのは,これまでのさまざまなご発言や取り組みの姿勢から感じておりました。

 下岡さんは昨年,私が講師を務めた日本看護協会の認定看護管理者教育課程サードレベルを受講されましたね。

下岡 副看護部長になって7~8年たちますが,勝原先生の研修を受け,自身が経験した倫理的問題について目からうろこが落ちる学びがありました。

 副看護部長になって以来務めている院内の倫理委員会では,「倫理的ジレンマ」という言葉を耳にし,多職種が働く病院組織には倫理課題がたくさんあることを身に染みて感じていました。委員会での議論を聞くたびに,どこかすっきりしない自分がいたのですが,研修を受けたことで倫理課題をどう解釈するかを学び,何を課題と感じているか,ふに落ちる経験をしました。

勝原 中野先生は,経営学の観点から組織行動論や組織倫理を専門とされ,国内の大手企業を対象に企業倫理の仕組み作りなどを研究してこられました。私が組織倫理の研究を始めた当時,医療の分野にはこの領域を専門とする研究者がおらず,先生には多くの助言をいただきました。

中野 そうでしたね。私が経営倫理学に関心を持った1980年代は,一般企業でも企業倫理はまだほとんど認識されていませんでした。1988年に渡米した当時,すでに米国のビジネススクールでは企業倫理をコア科目の一つとする動きが出ており,日本の大学教育の遅れを痛感したものです。

 医療との接点は,2005~09年の5年間,日赤医療センターの看護管理者研修で講師を務めたことです。医療現場ならではの倫理課題を知る機会になりました。

勝原 ちょうど医療事故や不正隠しが盛んに報道された時期と重なります。病院は,問題ばかりの組織に映りませんでしたか?

中野 いえ,そうは思いませんでした。

勝原 大多数の医療者は,誠心誠意自分たちの務めを果たしています。しかし,ひとたび医療ミスを隠し,その報道が出ると,病院不信が瞬く間に広がってしまうものです。

中野 企業でも同じです。不祥事のニュースばかり報道されますので「企業性悪説」になりがちです。でも,これまでお目にかかった企業人の99%は良識のある人たちで,私は「性善説」の立場をとっています。ところが一度組織に入ると,自分の良識を思うように発揮できない場面に直面することが多く,それで皆,悩むわけです。ですから,私は「ビジネスパーソン性弱説」と言うべきだと思います。病院組織も,そこで働く医療者も同じです。良識ある人たちが後ろめたさを感じずに,生き生きと働くには何が必要かを考えるのが,組織倫理学のテーマになると思っています。

「管理者失格」そこから向き合った意思決定

勝原 熊谷さんは先ほど,事例を読んで「涙が出た」とおっしゃいました。どのような体験と重なったのですか。

熊谷 かつて,看護師の人員増をめぐり苦しい思いをしたことです。あるとき師長たちから,看護師を増やしてほしいとの要望を受けました。診療報酬体系上,病院の看護師の数はある程度決まってくるものの,現場の看護師の実感としては足りないわけです。私も,一生懸命なスタッフが安全に働けるよう人員を増やしたいと思う一方で,副院長として経営的なことを考えると難しい状況にありました。その葛藤状態の中で,意思決定ができなくなってしまった自分がいたのです。

勝原 その後,どうなったのでしょう。

熊谷 結局は病院の方針で「増員不可」の結論が下されました。

勝原 師長さんたちにはどう説明したのですか。納得してくれましたか?

熊谷 いいえ。「病院全体の経営を考えた結果」と説明しましたが,当然,理解は得られませんでした。さらに,こんな言葉をぶつけられたのです。「看護部長は,私たちの看護部長ですよね」と。力になれなかった私にとって,すごくキツイ言葉でした。でも,何も答えることができなかった。私は「もう続けられない」と考え,退職届を書きました。看護部のための看護部長としての職責が果たせなければ,私がいる意味はないと思ったからです。

勝原 人的資源の不足によって,自分たちがよいと思うケアができないのは多くの病院で起こる,頻度の高い倫理課題です。しかし,多くの看護管理者がそれを倫理課題だと気付いていないのも事実。すると,「自分は管理者として失格」と思い,自信喪失へとつながったり,対処しようもないこととして向き合わなくなったりしてしまいます。熊谷さんは,そこをどう切り替えたのでしょう。また,きっかけはどこにあったと考えますか。

熊谷 「私はダメだ」と思った瞬間,混乱していたことは確かです。理解が得られなかったことへの怒りや,スタッフを守れなかった無力感でいっぱいでした。感情的になり,だから辞める選択肢しか思い浮かびませんでした。

 でも,あらためて師長たちの働く姿を見たときに,「私が辞めただけでは何も解決しない。今,やるべきことは何か」と,ふと冷静になる自分がいました。「辞めることはいつでもできる。意思決定から逃げるのではなく,向き合わなければ」と思ったのです。

勝原 副院長と看護部長を兼任する立場で組織のことを考え,そのはざまで苦しんでいた。しかし,倫理課題が何かに気付いたことで,次の意思決定の道筋が見えたわけですね。

熊谷 ええ。まず,人員不足の問題点を可視化することを決断しました。

 その後も,大小さまざまな倫理課題を乗り越える経験をしてきましたが,「意思決定は感情でするものではない」という視座が広がりました。

勝原 迷いながらも,自分は倫理的思考を働かせていることに気付いたからこそ,次に進むことができたのだと思います。

熊谷 「『よく生きること』と『いい仕事をすること』はせめぎ合うもの」という勝原先生の書籍の一文を読み,そのとき初めて「私,あのとき頑張ったよね」と思えました。

モヤモヤの要因をどう明らかに

勝原 下岡さんはサードレベルの研修を受け,「ふに落ちた」と話しましたね。熊谷さんと同じように,自分の立ち位置を認識する経験をしたのだと思います。どのような事例が出発点になったか,概略をご紹介いただけますか。

下岡 研修の課題として「自らが体験した倫理的な事例」をレポートにまとめるというものがありました。そこで私は,週末に看護管理当直をしていたときの事例を書きました。

 ある土曜日に救急搬送された70代男性,要介護4~5。主訴は「最近,身体が動きにくい」というもの。一緒に来院した奥さまに話を聞くと,老老介護で奥さまも疲弊し,介護サービスが行き届いていないことが判明した。一連の検査結果を受け,診察に当たった非常勤医は入院までは必要ないだろうと判断。しかし,非常勤医も本当にこのまま帰していいのか決断しかね,看護管理当直の私に問い合わせてきた。

勝原 下岡さんは入院させるべきか否かの判断を求められたわけですね。

下岡 はい。急性期病棟なので入院ベッドが満床というわけではありませんでしたが,病棟の事情などを勘案すると入院と判断する状況ではなかった。そこで奥さまには,週明けに介護サービスの調整を依頼するよう促し,お二人には帰っていただくことにしました。

 ただ,自分の中に罪悪感のようなものがあったのでしょうね。普段ならやらない見送りを,病院玄関のタクシー乗り場までしました。奥さ...

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