医学界新聞

対談・座談会

2017.02.06



【座談会】

ゲノム医療を日常診療へ
国民皆保険制度下での実現に向けて

角南 久仁子氏(国立がん研究センター中央病院 病理・臨床検査科遺伝子診療部門)
藤原 康弘氏(国立がん研究センター企画戦略局長/中央病院副院長(研究担当)/乳腺・腫瘍内科)=司会
中村 清吾氏(昭和大学病院 ブレストセンター長/乳腺外科教授)
池田 貞勝氏(東京医科歯科大学医学部附属病院 腫瘍センター特任助教)


 ゲノム医療は,研究としては進んできた一方で,日本では日常診療の実現についてはあまり議論がなされてこなかった。そこで本紙では,ゲノム情報に基づく日常診療の在り方について,国立がん研究センター中央病院の研究担当副院長の藤原氏を司会に,日本で最もゲノム情報の医療応用が進む乳がん領域で学会理事長を務める中村氏,ゲノム医療の臨床応用も含め米国で12年間診療と研究に携わってきた池田氏,国立がん研究センター中央病院が行う網羅的遺伝子検査プロジェクト「TOP-GEAR」実務責任者の角南氏にお話しいただいた。


藤原 ゲノム変異は大きく分けて,家族性の発症に至るような異常の「Germline(生殖細胞)」変異と,遺伝とは関係のない異常の「Somatic(体細胞)」変異があります。がんの中での頻度は低いですが,ゲノム変異というとGermlineのイメージが強いと思いますので,まずGermlineからお話しし,その後Somaticに移りたいと思います。

 Germlineの中では,乳がんのBRCA1/2遺伝子変異が有名ですよね。アンジェリーナ・ジョリーが予防的乳房切除を決断する要因となった遺伝子異常です。日本におけるBRCA1/2遺伝子変異の頻度などのデータは日本HBOC(Hereditary Breast and Ovarian Cancer)コンソーシアム(以下,日本HBOC)が集めています。理事長を務める中村先生,現状をお聞かせください。

研究は欧米と同等に進むが,臨床応用は20年以上の遅れ

中村 日本HBOCの目的は,日本人の遺伝性乳がん・卵巣がんの原因遺伝子をデータベース化して臨床にフィードバックすることです。

 かつて,日本人には遺伝性乳がんは少ないのではないかと言われていた時代がありました。そこで,2011~12年の2年間,家族集積性の高い260人の検査を日本乳癌学会で行いました。BRCA1/2遺伝子変異陽性者は約30%という結果から,全乳がん中の遺伝性乳がん・卵巣がんは約5~10%で,欧米と同程度と推測されました。日本HBOCではその推計を基に,日本人の環境因子の中で,乳房や卵巣・卵管の予防的切除が生命予後に与えるインパクトについて明らかにしていくため,継続的なデータ収集を行っています。

 現在,欧米ではBRCA1/2以外にも遺伝性乳がんの関連遺伝子変異が5~6個見つかっています。日本でも,日本人特有の遺伝子変異の探索を含め,AMED(日本医療研究開発機構)の研究班がさらなるデータ集積を進めています。

藤原 研究面では欧米と同等に進んでいるということですね。臨床応用はどのような状況なのでしょうか。

中村 研究は盛んに行われてきましたが,診療としてのゲノム医療はまだ確立していません。倫理的な対応や検査コストなどが障壁となっているのです。ただ,問題解決のための手段は日本にも近年根付いてきました。その一つがMRIです。MRIは診療ではすっかり一般化しており,経過観察での検診を含め,患者本人の場合は保険診療です。現在は患者家系に見つかったハイリスク者など,未発症の方は保険の対象になりませんが,エビデンス自体はゲノム情報を活用した未発症の方への検診にも応用できる段階に来ています。

藤原 しかし,実費での検診となると負担が大きいですね。

中村 そうですね。米国では私が留学した1997年の段階で,遺伝性乳がん・卵巣がんにおいてはハイリスク者にも積極的介入が行われていました。原因遺伝子の1つであるBRCA1が初めて報告された1994年からわずか3年の時期です。それから20年がたった今では,MRI検診,予防的手術,予防的薬物治療の効果がデータで示されています。日本でも2013年には人工乳房による再建手術が保険適応になりましたので,今後は遺伝子検査とその結果を基にした予防的治療についても,保険適応に向けて取り組んでいきたいと考えています。

予防活用の経済効果は実証済,ハイリスク者予測モデルを確立し,日本でも積極的導入を

藤原 昨年まで米国の大学病院でAssistant Professorとして診療・研究に従事していた池田先生,実臨床でどのように診療しているのか教えてください。

池田 米国では,家族性乳がん・卵巣がんが疑われる患者はまず遺伝カウンセラーがカウンセリングをし,その後遺伝子検査キットや次世代シークエンサー(NGS)で検査します。検査の結果が出た後,予防的治療や頻回なスクリーニングなどを行うか,患者本人に選んでいただきます。

藤原 そうした未発症の方への予防的治療は保険の対象になるのでしょうか。

池田 米国では予防的治療は保険でカバーされるものが多いです。少なくともBRCA1/2遺伝子変異ハイリスク者の場合は,遺伝カウンセリングやMRI検診,マンモグラフィー,予防的切除,予防的薬物療法を含め,NCCNガイドラインに載っている項目は全て保険でカバーされます。ただ, BRCA1/2以外の遺伝子変異では保険でカバーされないものもありますので,その場合にはどこまで治療を行うかがジレンマになります。

藤原 日本では変異の種類にかかわらず,予防的処置全般が公的保険では対象外です。どうすれば保険適応の日常診療にしていけるでしょうか。

中村 そもそも日本においてはハイリスク者の同定ができていません。米国の乳がんのGailモデルのようなリスク推計モデルについて,日本での検証結果がまだ出ていないのです。

 日本対がん協会では,異常がなかった検診受診者と乳がん患者の問診データを比較し,日本版のモデルを作り上げる臨床研究を始める予定です。日本乳癌学会も2017年からそのプロジェクトに参加します。NCD(National Clinical Database;外科専門医と連動した手術症例データベース)には年間約7万人の乳がん患者が登録されていますので,データベースの精度を一層向上させることで,遺伝子検査の有用性の検証や,新しい治療の効果判定にも使えるようにしていきたいと考えています。病気を未然に防げれば,患者にとって良いだけでなく,医療費削減にも効果があるはずです。

藤原 がん治療においては,費用対効果からも,予防にコストをかけるのは妥当な話です。海外の予防医療ガイドラインではGermlineの遺伝子異常のデータベースの存在が非常に重要です。同様に,日本HBOCが収集している遺伝性乳がん・卵巣がんのデータベースやAMEDの臨床ゲノム情報統合データベース整備事業でこれから収集されるデータは,今後貴重なものとなるでしょう。それらが活用され,日本においても乳がん・卵巣がんや他のがんに対する予防医療が,患者のみならず未発症者,家族にまで保険適応されていくことが望まれますね。

ゲノム情報を用いた個別化治療の取り組みが国内外で進む

藤原 ここまで「予防」への適応を中心にお話ししてきましたが,ゲノム医療は個々のがんの遺伝子異常に応じた進行・再発がんの効果的治療の選択や術後化学療法の要否判定,抗がん薬の副作用予測といった「治療」にも活用されます。特にSomaticなゲノム変異の場合は個別化治療への活用が中心になります。角南先生,日本の現状を教えてください。

角南 肺がんや乳がんを中心に,遺伝子異常に基づいた治療の選択という発想は日本でも一般化してきています。しかし,保険承認されたコンパニオン診断薬と治療薬が実際にあるのは,例えば肺がんではEGFR遺伝子変異とALK融合遺伝子のみです(2016年現在)。治療標的となるドライバー遺伝子は見つかっているものの,承認された診断薬や治療薬がない遺伝子異常は多数あります。

藤原 池田先生,米国では承認薬がない場合はどのような検査・治療がされているのでしょうか。

池田 患者にメリットがあり,エビデンスがあるのであれば医師の裁量で適応外使用ができます。適応外使用の場合は保険会社がカバーしてくれないこともありますが,RET融合遺伝子やROS1融合遺伝子,HER2遺伝子変異などはNCCNガイドラインに掲載されているので,カバーされます。検査についても同様です。

藤原 標準治療で打つ手がなくなった患者の場合は,臨床試験へのアクセスも促進していると聞いています。

池田 はい。2015年には,NGSを用いて患者のがん遺伝子を約140種解析し,変異に基づいた薬にアクセスする機会を提供するBasket trial「NCI-MATCH」をNCI(米国立がん研究所)が始めました。Basket trialの特徴は,がん種にかかわらず,分子標的治療薬の標的遺伝子を持っていれば治療のアームに入れること,一つの試験の中で同時に複数の分子標的治療薬が対象となっていることです。少なくとも1つの標準治療を受けている患者を対象に,すでに約3000人のスクリーニングが終了しており,将来的には6000人をスクリーニングする予定です。当初は治療薬が10剤しかなかったので薬剤での治療までたどり着ける患者は5%以下でしたが,今は24剤に増えたため今後は増加すると予想されます。現在,全米約3000施設が参加しています。

 さらに,2016年からは市中病院をターゲットにしたASCO(米国臨床腫瘍学会)のBasket trial「TAPUR」も始まりました。

角南 日本でも国立がん研究センター東病院を中心に,希少頻度の遺伝子異常を持つ患者を抽出し,それに基づく有効な治験薬を届けることを目的とした,産学連携による肺がん・消化器がんの大規模遺伝子異常スクリーニング「SCRUM-Japan」が進んでいます。2013年から肺がんを対象に進んでいた「LC-SCRUM-Japan」と,2014年から消化器がんを対象に進んでいた「GI-SCREEN-Japan」を統合させたもので,検査は外部委託して実施しています。それぞれ192施設,18施設の医療機関が参加,これまでに肺がん患者約3000例,消化器がん患者約3300例をスクリーニングしました。現在,製薬会社15社が参加し,治験薬は13剤です。

池田 3000例というのは,肺がん領域ではおそらく世界最大規模ですね。NCIのLung-MAP試験よりも多いです。

角南 また,国立がん研究センター中央病院では「TOP-GEAR」というプロジェクトを行っています。対象は,肉腫などの希少がんやAYA世代を含む16歳以上の全がん種の患者。当院でカスタムした多遺伝子診断パネル「NCCオンコパネル」を用いて,日常診療に近い形でクリニカルシークエンスを行っています。目的は,ゲノム医療実装化モデルの構築と,実臨床における多遺伝子診断パネルの臨床的有用性を明らかにすることです。2013~14年の第1期では131例を解析し,約半数にactionableな(薬が効く可能性のある)変異が見つかりました。

 米国では,actionab...

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