医学界新聞

対談・座談会

2016.10.31



【対談】

ビッグデータ・空間疫学から見た
健康格差
中谷 友樹氏
(立命館大学文学部地理学教室教授/歴史都市防災研究所副所長)
近藤 尚己氏
(東京大学大学院医学系研究科健康教育・社会学分野/保健社会行動学分野准教授)


 2013年に開始された「健康日本21(第二次)」の基本方針の一つに「健康格差の縮小」が掲げられた。告示から4年,各自治体ではさまざまな取り組みが行われているものの他の先進国と比べると日本では問題への認識も対策も遅れている現状がある。WHOは,健康格差是正には社会全体での共同アプローチが必要であり,病院をはじめとする医療関係機関・専門職が問題を認識することが不可欠だと指摘している。本紙では,健康格差についてビッグデータを用いた研究を行う近藤尚己氏と,地理情報科学的なアプローチを行う中谷友樹氏に,日本での健康格差の実態をお話しいただいた。


近藤 私が健康格差に興味を持ったのは,臨床で出会う患者の背後に社会的な問題が存在すると気付いたことがきっかけです。医学生のとき,途上国の病院やフィールドを見学する「海外医学交流研究会」というサークルに入っていました。日本では見られないような病んだ人々が街中に当たり前にいる状況を見て,病院で医療を行うだけでは救えない方々がいることを感じました。さらに研修医のときに,ある患者に出会いました。その方は身寄りもなく,県営住宅で独り暮らしをしていました。心臓弁膜症手術からの退院後,3か月ほどで通院しなくなり,その後しばらくしてから新聞のお悔やみ欄で死亡を知り,何とも言えないむなしさを感じました。公衆衛生の観点で健康づくりにかかわりたい,そのための技術と知識を得たいと思い,大学に戻って研究をする決意をしました。

中谷 私は地理学が専門で,健康と広い意味での環境との関係に関心がありました。環境と人間の関係を研究する地理学では,健康(空間疫学)は古くからあるテーマの一つです。ヒポクラテスは『空気・水・場所について』の中で「医術を正しく学ぼうと欲する者は(中略)街の状況,居住者の生活様式を知るべきである」と述べています。また,ジョン・スノウのコレラ疾病地図は,地図を科学的な分析ツールとして活用した先駆的な業績です。現在は最新のデジタル技術GIS(Geographic Information System)や空間統計学的ツール,国勢調査の指標から作る小地域単位での貧困度指標(Areal Deprivation Index;ADI)を組み合わせて,健康の社会経済的格差を地理的に可視化する研究を行っています。

近藤 病院の医師ならば,経済的困窮者に不健康な方が多いことは薄々感じていることと思います。しかし,現場にいれば肌で感じられる問題も数字で「見える」形にするのは難しいことです。地図を描くことで可視化され,実在する問題として具体的な対策を議論できるようになります。

何が個人の健康を決めるのか

中谷 1980年代初頭から社会階層(Social Class)と健康状態の関係を調査してきた英国では,健康に影響を与える社会的因子には「個人レベル」と「地域レベル」があることが報告されてきました。個人レベルで経済的困窮や孤立といった要因があると不健康になりやすいだけでなく,貧困な状態におかれている人たちが集住している地域には特定の地域要因があり,それによっても不健康になりやすいというのです。

近藤 日本でも中谷先生が行った「Mosaic Japan」などのプロジェクトにより,たとえ本人は豊かでも貧困地域に住んでいると自分は不健康だと感じる傾向があることが示されましたね。

中谷 国勢調査などを利用して小地域レベルの居住者特性が類似しているグループ(社会地区類型クラスタ)を作成し,地区グループごとの主観的健康感を調査した研究ですね。こうした傾向が生まれる理由は諸外国でも議論になっていますが,社会経済的地位が低いとされる地域では,医療資源が少なかったり,公園や適当な買物場所などの生活インフラ整備が不十分なため生活習慣が悪化したり,犯罪が多く支援者が少ないためストレスがかかるなど,さまざまな要因が考えられます。

近藤 公衆衛生は,2つのレベルで考える必要がありますね。2000年に策定された「健康日本21(第一次)」の枠組みでは,個人レベルへのアプローチに終始しがちでした。しかし,糖尿病のリスクが高い方に運動をしましょうと働き掛けたり,喫煙習慣のある方に禁煙を呼び掛けたりといった個人へのアプローチには限界があり,なかなかうまくいきませんでした。そこで2013年からの「健康日本21(第二次)」では,地域レベル,つまり「健康になれる社会環境づくり」による健康格差の縮小が目標として掲げられました。

対策を検討するためには適切な見える化が第一歩

近藤 社会環境の改善による健康格差縮小という目標は素晴らしいものですが,課題もあります。「健康日本21(第二次)」では,都道府県別に健康寿命をランキングし,それを基準に「健康格差を縮小すること」が目標“値”とされています。しかし,これでは目標が達成されたのかについて妥当な評価をするのが難しい。例えば,2.7年あった健康寿命の最長と最短の差が2.69年になれば格差が縮小した(=目標達成)としていいのでしょうか。それだけでは少し足りないような気がしますよね。

中谷 そもそも「都道府県間」というスケールでの格差縮小が最初の目標として適切なのかという問題があるように思います。実は,都道府県「内」のほうが健康格差は大きいのです。しかし普通の地図で見た場合,東京や大阪のような人口の多い都市の中での健康指標の格差は見えにくく,詳細な地図を描いても問題が過小評価されがちです。図1を見てください。上は土地面積を反映した普通の地図で,下は人口に比例して面積を変化させた地図(カルトグラム)です。カルトグラムでは,人口に応じた存在感が可視化されます。都道府県内あるいは大都市圏内でも居住地域による社会経済的な違いがあり,これが健康格差と関連している点は注目すべきです(図2,3)。関係する人口規模を考慮すると,都道府県間と同じか,時にはそれ以上に都道府県内の健康格差の縮小にも力を入れる必要があると言えるのではないでしょうか。

図1 通常の地図(上)とカルトグラム(下)で示した平均寿命格差の地図
市区町村別生命表に基づき中谷氏作成。東北地方の一部が不健康だとよく言われるが,カルトグラムを見ると東京の東部・北部や大阪の都心にも平均寿命の短い集団がおり,その人口規模は全国的に見て非常に大きいことがわかる。一方,健康だとよく言われる長野とは別に,東京大都市圏の郊外にも長寿地域が広がっており,その人口規模は長野より大きいことが見てとれる。

図2 死因別の3次元カルトグラム
2003~07年人口動態統計より中谷氏作成。この図では,標準化死亡比(SMR:日本の平均値を100とし,年齢を調整した死亡率の一種)を色で示すとともに高さでも表現している。高い「山」ほど死亡比が高いことを意味する。胃がんは都道府県レベルで見ると日本海側の死亡比が高いことが知られているが,カルトグラムで見ると東京の下町や大阪のインナーシティ的地域(都心周辺に位置する低所得者層の居住エリア。住宅・商店・工場などが混在する地域)でも高いことがわかる。脳血管疾患の死亡比は,地方圏の特に北に位置する地域で高いが,大都市圏内でもインナーシティ的地域で高い。結核は大都市でのホームレスの罹患が問題になっているが,事実大阪のインナーシティ的地域や東京の東側・沿岸部で死亡比が著しく高く,結核が終息していない疾患であることがわかる。自殺については,都市と地方の格差が大きく地方で死亡比は高い。それでも大都市部内には格差があり,インナーシティ的地域で死亡比の高まりが認められる。

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