医学界新聞

インタビュー

2016.10.17



【interview】

リオ五輪の選手を支えたメディカルスタッフ

中嶋 耕平氏(国立スポーツ科学センターメディカルセンター副主任研究員/リオ五輪日本選手団医務担当本部役員)に聞く


 8月5日から21日までの17日間にわたり開催されたブラジル・リオデジャネイロオリンピック(以下,リオ五輪)には,日本選手338人が出場し,過去最多41個のメダル(金12,銀8,銅21)を獲得した。日本中を沸かせた選手の活躍の陰には,日本選手団のメディカルスタッフによる,医療面の入念な事前準備と現地でのサポートがあった。本紙では,リオ五輪日本選手団の医務担当本部役員として帯同した中嶋耕平氏に,リオ五輪のメディカルサポートを振り返っていただくとともに,4年後に開催が迫る東京五輪への展望を聞いた。


――リオ五輪では,どのような立場で選手のサポートに当たったのですか。

中嶋 私は日本オリンピック委員会(JOC)の医務担当本部役員として,選手団全体の健康状態の把握や診療を行いました。日本選手団のメディカルスタッフは2通りあり,私たち本部員の他に各競技団体所属のメディカルスタッフがいます。本部員は,私を含め医師4人と,アスレチックトレーナー2人の計6人。医師は内科系・外科系を半々とし,必ず女性医師を加えるようにしています。各競技団体所属の医師は計16人が帯同しました。

健康管理や感染症対策で日本選手団全体をサポート

――本部メディカルスタッフの主な役割をお聞かせください。

中嶋 大会が始まれば,選手の健康管理が中心です。でも,実際に多くの労力を割いたのは,出発前の準備でした。

――具体的にはどのような作業があったのでしょう。

中嶋 まず,出発までに行う参加選手全員のメディカルチェックです。今年の1月中旬から開幕直前まで,半年がかりでした。また,ブラジルは冬のため,インフルエンザのワクチン接種を各競技団体に勧めた点は,南半球での開催ならではの備えでした。

 1年前の2015年には,開催時期と同じ日程で現地を視察して気候や環境を調査し,昨年12月の2回目の視察では,ブラジルの組織委員会から,持っていく医薬品の申請や医師登録の手順について説明を受けています。こうして事前に得た情報は,開幕前に国内で行われた監督会議とメディカルスタッフ会議で,各競技団体の医師や役員に周知しました。

――感染症についても心配する声があったのではないしょうか。

中嶋 ジカ熱,デング熱についても情報収集を行い対策を講じました。参加国も開催国も感染症に注意を払わなければならなくなったのは,近年の五輪の特徴です。各競技団体のメディカルスタッフだけでは対応しきれない領域のため,日本選手団を統括する私たち本部員の重要な役割でもありました。

――入念な事前準備があって初めて,安全に選手を派遣できることを知りました。期間中は,選手に対してはどのような点に気を配りましたか。

中嶋 五輪という大舞台を前に,やはり選手は大きなプレッシャーを感じるものです。選手村は次々に人が入れ替わり,入村したばかりの選手,試合直前で緊張している選手,試合が終わりホッとしている選手など,精神状態や体調はさまざまです。競技ごとのスケジュールを把握し,個々の状況に応じたサポートを心掛けました。

――メディカルスタッフは,選手の相談に乗る機会も多いわけですね。

中嶋 ええ。多くの選手は,強化拠点の国立スポーツ科学センター(JISS)併設のクリニックで普段から診ているため,現地でも選手は相談しやすかったと思います。力になれたかわかりませんが,頼ってもらっている実感はありました。

――今大会のメディカルサポートの工夫点は何ですか。

中嶋 日本スポーツ振興センター(JSC)が主体となって選手を支援する「ハイパフォーマンスサポート・センター(HPSC)」のメディカル&ケア部門と連携を図り,私も多くの競技のサポートに当たった点です。

――選手村の医務室だけにとどまらず,競技場にも足を運んだわけですか。

中嶋 そうです。競技団体所属のスタッフは当該競技の施設以外は入れないのですが,本部メディカルスタッフが持つADカード(登録証明)では全ての会場に出入りできます。その権限を有効活用して各競技場に出向きました。

 私たちが出掛け,選手村を空けている時間帯は,HPSCのメディカルスタッフに1日限り有効なデイパスで入村してもらい,村内の医務対応をお願いしました。

――メディカルスタッフもチーム一丸となって大会に臨んだわけですね。他国で参考になる点は何かありましたか。

中嶋 東京五輪を見越し,他国のメディカルスタッフとも積極的に交流を図りました。国によっては,医務室の壁に写真を張り,国旗の配色で統一するなど空間作りに力を入れていたのが印象的です。一体感を生み,リラックスできる場になるような工夫が見られました。日本は合理的な配置でしたが,アットホームな雰囲気作りという点では,おしゃれ心がちょっと足りなかったかもしれませんね(笑)。良い点は,今後吸収していきたいと思います。

写真 選手と本部メディカルスタッフ(選手村の医務室にて)
左から3人目は五輪四連覇を達成したレスリング女子58 ㎏級の伊調馨選手。その右隣は69 ㎏級金メダルの土性沙羅選手。「選手の活躍は何よりうれしい」とレスリングの競技歴がある中嶋氏(後列右端)。

東京2020を契機に,スポーツ医学の知見を国民に還元したい

――いよいよ4年後の2020年には東京五輪が開催されます。どのようなメディカルサポート体制をめざしたいと考えていますか。

中嶋 地の利を生かした支援です。海外開催では登録に制限のある競技団体所属スタッフも,自国開催ではより多くの人員がサポートできます。競技を理解するスタッフが身近にいることは,選手の安心にもつながるでしょう。

 そこで,大会前からJISSと各競技団体のメディカルスタッフが連携し,情報交換ができるようなネットワーク作りも必要と考えています。選手に何かあれば,すぐに相談できる流れを今から築き,選手がストレスなく競技に打ち込める環境を提供したいです。

――逆に他国のメディカルスタッフを迎え入れる側として,取り組むべき課題はありますか。

中嶋 リオ五輪では「もっとこうすればいいのに」という点がいくつかありました。例えば,衛生面の設備。与えられた部屋は室内に水場がなく,わざわざ遠回りして手を洗いに行っていました。東京五輪では,快適に利用してもらえるよう,メディカルルームとして使うことを前提とした空間設計を運営側にアドバイスできればと思います。

――東京五輪の開催とその先を見据え,今後の抱負をお聞かせください。

中嶋 スポーツ医学が集積したデータや知見を国民の医療に還元する必要があると思っています。トップアスリートの能力を最大限発揮するためだけの医療にとどまらず,高齢者や小児の医療にスポーツ医学から提言できることはたくさんあるからです。

――五輪開催国には,その後の持続的な効果として“オリンピック・レガシー”を残すことが推進され,日本のスポーツ医学も発展が期待されます。

中嶋 実は,1964年開催の東京五輪のレガシーの一つに,64年大会に出場した選手のメディカルチェックが,今も4年ごとに続けられているというものがあります。当時,国際スポーツ医学連盟(FIMS)がIOCや各国オリンピック委員会に呼び掛けて実施されました。残念なのは,64年大会に出場した選手のみが対象で,今も継続しているのは日本だけということです。

――半世紀にわたる貴重な取り組みは,今後の参考になりそうですね。

中嶋 選手が引退後,どのような健康状態でどういう人生を送るかは,「健康に資するスポーツ」を考える上で重要な情報です。2020年東京五輪の開催を契機に新たな知見を積み重ねたい。そして,スポーツ医学の重要性は「メダルを取るためだけではない」ということを,東京五輪をきっかけに国民に示していきたいと思います。

(了)


なかじま・こうへい氏
1991年順大医学部卒。東大整形外科入局後,東芝病院を経て,2001年JISS契約研究員。11年より同メディカルセンター副主任研究員。日本レスリング協会スポーツ医科学委員長として世界選手権やアジア選手権などの国際大会に数多く帯同。五輪は北京,ロンドンに続き3回目。JOC医学サポート部門副部門長,日本ウエイトリフティング協会スポーツ医科学委員長も務め,さまざまな競技者のメディカルサポートに携わる。

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