死亡直前と看取りのエビデンス(新城拓也,濱口恵子,森田達也)
対談・座談会
2016.02.01
【鼎談】個別性に応えるために必要な死亡直前と看取りのエビデンス |
濱口 恵子氏(がん研有明病院緩和ケアセンター ジェネラルマネージャー/副看護部長) 森田 達也氏(聖隷三方原病院副院長/緩和支持治療科)=司会 新城 拓也氏(しんじょう医院院長) |
近年,人が死亡に至るまでの過程を対象とした実証研究が進んでいる。その中,死亡直前の医学的問題や看取りに関するエビデンスも蓄積されてきた。これらの科学的根拠を生かして充実したケアを提供することが,最期の時間を支える医療者に求められている。
本紙では,書籍『死亡直前と看取りのエビデンス』(医学書院)においてターミナルケアに関するエビデンスをまとめた森田氏を司会に,在宅医療をフィールドに活躍する新城氏,がん看護に携わってきた濱口氏の鼎談を企画。最新のエビデンスに触れながら,それらをどのように活用し,患者・家族に最善の治療とケアを提供していくのか,そのポイントを議論した。
死亡直前に関するエビデンスが集積しつつある
森田 振り返ると,医師になって3-5年目のころ,看取りの時期が近付いた患者の家族から「あとどのぐらいの時間が残されていますか」と尋ねられても,答えに窮していました。それで「自分の腕が悪いのだろうか」とも悩んだものです。当時の1995年前後というと,死亡直前から直後までの医学的問題に関するエビデンスが少なかった。「こういった徴候があればそろそろ」といった曖昧な情報しかなかったのです。じゃあ自分で詳しく調べてみようと思って調査したものが私の研究の端緒1)になったという経緯もあるのですが,近年,こうした「死亡に至るまでの徴候がいつ,どのように生じるのか」という実証研究はさらに進み,エビデンスもずいぶん集積してきましたね。
新城 最近になって,このあたりの研究は進んでいます。ただ,現場を見ると,まだまだそうしたエビデンスが有効に活用されているとは言いがたいのが実態です。
看取りが近付いてきたときに行われる死亡時期の見立ても,ともすれば科学的根拠はまるで無視され,医療者個人の経験的な,質の低い予後予測が行われていることがある。患者や家族を欺こうという意図はないにしても,根拠に基づかない予測では,彼らが生活に見通しを立てることには役立ちません。それどころか,その先の日々を不安に陥れる“呪いの言葉”にさえなってしまいます。
森田 昔は,死ぬまでの過程を医学教育で教わることなんてほとんどなかった。そうした背景があるからか,死が差し迫ってきた段階の予測も,経験則のほうが重視されてきたという面があるのだと思いますね。
濱口 「あのベテラン看護師さんに聞けばわかる」といった感じでしたよね。
新城 それは今でも現場にありますよ。確かに医療者としての直感も大切でしょう。しかし「ここを見ればわかる」という知見が科学的に示されているわけですから,医療者はポイントを類型化して理解しておく必要があります。特に,死亡前の徴候を見分け,判断することは,誰にでも身につけられるものですから。
森田 そういう意味では,最近出された死亡直前の徴候についての観察研究が,よりわかりやすい形で死に至るまでの様相を描き出しており,役立つのではないでしょうか。M.D.アンダーソンがんセンターの医師・Huiらは,死亡直前に出る徴候の頻度と出てからの時間を評価し,「出現すれば死亡がかなり近いが,全員に出現するとは限らない徴候」を「晩期死亡前徴候」とし,一方でPerformance Status(PS)や意識レベルの低下など,「ほとんどの患者でみられるが,死亡直前とは限らない徴候」を「早期死亡前徴候」としました2)。
さらに,晩期死亡前徴候を詳細に分析した上で3),決定樹分析を用いた研究を行い,Palliative Performance Scale (PPS)と,鼻唇溝の垂れ下がり,晩期死亡前徴候の数の組み合わせによって,患者が3日以内に死亡することを80%予測できるという報告を出しています(図)4)。尤度比を取り入れるなど,診断学の要素を盛り込んでいるところがユニークです。
図 身体所見で予測する患者の死亡 |
『死亡直前と看取りのエビデンス』p12より転載 |
新城 今までの緩和ケア領域には珍しいタイプの研究ですよね。でも臨床に合った内容で,予後予測を考える上で大切なポイントが示されています。
濱口 スペシャリストが何を根拠に死亡予測を立てているのかがわかりやすいと思いました。このように言語化,図式化されているものを看取りの現場に立つ医療者がきちんと押さえることで,「あの人ならわかる」という状況も変わっていくのではないでしょうか。
個別性の尊重をめざすなら,エビデンスが不可欠だ
森田 こうやって緩和ケア・ターミナルケアのエビデンスの重要性を話していると,時に「患者の死亡前後にどう振る舞うべきかを,データに基づいて決めるなんて……」と指摘を受けることがあります。看取りはこうすべきだという理念のもとに振る舞わなければ,個々の患者に向き合っていくことはできないのではないか,というわけです。
新城 エビデンスがあるからこそ,日々の実践の妥当性を測ることができるわけで,エビデンスは“臨床の心棒”とも言えるものです。本来,「エビデンスを重視すること」と,「患者・家族の個別性を尊重した治療・ケアを提供すること」は相反するものではなく,両者一体なのですけれどね。
濱口 特に看護師は「エビデンス」という言葉にどこか冷たい響きを感じてしまって,理念先行になりがちかもしれません。もちろんそれは個別性を支えたいと強く思うが故の態度でもあるので,わからないではないのですが……。
ただ,個々のケースで倫理的に配慮して治療・ケアを選択する上では,むしろエビデンスが重視されるのだと理解しておく必要があります。倫理的な事例検討の方法としてJonsenらが示した臨床倫理4分割法においても,①医学的適応,②患者の意向,③QOL,④周囲の状況という4項目で検討を進めることを推奨しています5)。医学的適応はまさにエビデンスに基づいて判断する部分ですがそれをそのまま実行するわけでなく,患者・家族の価値観・生活状況などを配慮し,治療・ケアを選択していく。これは積極的な治療の場面でも看取りの場面でも同様で,個別性を尊重するという視点に立っても,やはり科学的根拠が不可欠になってくるのです。
森田 濱口さんがおっしゃるように,われわれが個別性をきちんと考えるための土台に当たるものが,エビデンスなのだと思いますね。実際に今,どのような知見・データがあるのかによっても,患者・家族へのかかわり方の方向性は異なりますし,本当に個々の患者・家族のためになる治療・ケアも変わってくるものです。
例えば,看取りが近づいてきたときに行う「苦痛緩和のための鎮静(palliative sedation therapy)」に関する現場の考え方も,学術的基盤が整理されていく中で変遷してきました。従来,なんとなく現場で行われていた鎮静が,必要な医療行為として定義されたのが1990年代です。その後,一時期,鎮静が安楽死と区別できない「ゆっくりとした安楽死(slow euthanasia)」であるという論調もあり,当時は多くの専門家が「鎮静すると生命予後が短縮する」という前提のもとに,鎮静という医療行為を用いるべきか否かを現場で考えていました。しかし,鎮静を受けた患者,受けなかった患者に対し,ある測定時点からの生命予後を比較する観察研究が世界各国で重ねられ,「生命予後を短縮することはない」と明らかになった6)。これは日本で行った観察研究でも同様の結果が得られており7),今の現場では鎮静は生命予後に有意な影響を与えないという考えが「前提」となっているわけです。
このように変遷を見ると流動的な側面も感じる一方で,現状のエビデンスを整理して理解しておかねば,患者・家族のためになる治療・ケアを考え,実践していくことも難しくなることがわかると思います。やはり,われわれはエビデンスを大切にしていく必要があるわけですね。
治療効果のレベルを認識し,手を尽くすことが「臨床の知」
森田 もちろん,「エビデンスに準ずるだけでは不十分」というのは先ほどからのお話からもわかるとおりで,現場ではあらゆる要因を踏まえて,治療・ケアを検討していく必要があります。
例えば,「死前喘鳴(気道分泌亢進;increased bronchial secretions)」への対応を挙げましょう。死亡が近くなって意識が低下すると,唾液を嚥下できなくなることで,呼吸に合わせて唾液が気道内を前後して「ゴロゴロ」という音が生じます。この喘鳴の治療に用いられるのが,唾液分泌を抑制する抗コリン薬の舌下または皮下投与です。その効果を検証すると,ハイスコ®でもブスコパン®でも効果は同等だが,自然経過を上回る効果があるのかはわかっていない8),またアトロピン舌下投与は自然経過を上回る効果がなさそうだ9),とわかっています。
つまり,いずれも自然経過による改善であることを否定できておらず,実はプラセボ以上の効果はないかもしれないという状況なわけです。エビデンスに偏重すれば,「効果がわかっていないことを行う必要はない」と考えてしまいそうな場面と言えるでしょう。「上記の効果しか見込めない状況下で,どう対応すべきか」という質問を受ける機会は多いのですが,新城先生ならどのように考えますか?
新城 まず自然の経過として起こる症状であり,意識レベルが低下した死亡直前期では呼吸困難感はないと考えられるという説明は行います。しかし,それだけで済ますのが必ずしも正解ではなく,リスクとベネフィットを開示し,家族と相談しながら薬剤を使用することもありますね。
このような対応を行う背景には,国内で患者の死前喘鳴を体験した家族の調査があります10)。当時の気持ちや認識について,約65%の家族は「とてもつらかった」と答えている。そばで付き添う家族は「患者は苦しんでいるのではないか」と心配で,つらい気持ちになっている状況があるのです。
濱口 そうした場面で「薬剤の効果もないのだから見守っていればよい」と説明しても,家族へのケアにならないということですね。
新城 ええ。それで「何もできることがない」というのは,家族に無力感を募らせるだけでしょう。ですから希望があれば,「プラセボ効果しかないかもしれないけど……」「使用者の半分程度の方に効くようだから……」と説明し,薬剤使用も選択肢として提示するのです。このように,治療・ケアのバリエーションを豊かにし,それぞれがどのぐらいの治療効果が見込めるものなのかを把握しておくことが専門家の役割でしょう。
森田 私も新城先生の実践と同様の姿勢を取ります。エビデンスでは「それをやっても効果がない」と出るけれど,それを目の前の患者・家族にどう適用するかは別問題であるということですよね。
これは終末期の輸液にも同じことが言えると思います。家族の自責感というものがあり,家族が「自分たちがもっと早く気付けば手遅れにならなかったのではないか」と思っていて,「何かしてあげられること」として輸液に期待を持つという現象はよく経験されることです。そのときにエビデンスに基づいて輸液のメリット・デメリットだけを話すことはケアにはなりません。こうした場面では家族をエビデンスで“説得”することのないように注意することが必要で,私もご家族の気持ちのケアという点から終末期に輸液を行うという選択をすることもあります。
治療効果のレベルを医師や看護師が認識し,副作用なども含めてしっかりとみるのであれば,家族の思いを酌んで薬剤の使用や輸液などの対応をする。それこそが「臨床の知」ではないかと思うんです。
心をすり減らすことを「防ぐ」という視点での活用
濱口 先ほど,新城先生がどの程度の人に効果が見込めるかなど,治療効果についても言及されるというお話をされました。そうしたデータを理解しておくのは,患者・家族のためだけでなく,医療者の心をいたずらにすり減らすことをなく...
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