社会性やコミュニケーション障害の解明(熊谷晋一郎)
寄稿
2015.08.03
【寄稿】
社会性やコミュニケーション障害の解明
自閉スペクトラム症の視覚研究から
熊谷 晋一郎(東京大学先端科学技術研究センター准教授)
急増する自閉スペクトラム症
自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorders;以下,ASD)とは,「社会的コミュニケーションと社会的相互作用における持続的な欠損」と「行動,興味,活動の限局的かつ反復的なパターン」という二つの特徴で定義される神経発達障害である1)。近年,ASDと診断される人の数は急上昇しており,例えば米国ではASD有病率が20年弱で20倍以上増加している2)。ASDの急増を説明するものとして,①かつて知的障害とされていた子どもがASDと診断されるようになった(25%),②親や小児科医などがASDを認知するようになった(15%),③特定地域へのASD人口の集積(4%)など,社会科学的な要因が報告されている。また,同一の基準で診断すれば,ここ20年で有意なASDの増加は認められないという報告もある3-5)。
以上を踏まえると,ASDと呼ばれる特徴を持つ人々の数はそれほど大きく増加はしていないが,診断される人々は急増しているということになる。ここから,かつてはそれほど問題視されてこなかった彼らが,ここ最近急に問題にされ始めるようになったという社会文化的変動の影響が推定される。
ASDはなぜ生じるのか
ASDのメカニズムを説明しようと,これまでにさまざまな認知科学的モデルが提案されてきた。それらは大きく,「領域特異的なモデル(domain specific)」と「領域一般的なモデル(domain general)」とに二分される。前者は,脳の中に社会性やコミュニケーションの機能を担う特殊な神経回路が存在すると仮定し,その特異的な領域に先天的な障害が生じているとするモデル。後者は,社会的な情報処理以外の一般的な領域にもまたがる障害があり,その障害の一部として社会的な情報処理の問題が起きているとするモデル(註)である。
どちらのモデルが正しいのかについて,これまで数多くの経験的な研究が蓄積されてきたが,本稿ではその詳細に立ち入ることはしない。その代わりに,経験的研究以前の問題として,領域特異的なモデルが前提としている構成概念が,ASD研究や支援のパラダイムに対してどのようなバイアスを与え得るのかという問題を考えたい。
「正常」のとらえ方にあるギャップ
先述のとおり,領域特異的なモデルは,社会的な情報処理に特化した神経回路の存在を想定する。しかし,少し考えてみればわかるように,社会性やコミュニケーションにおける正常性の定義は,時代や場所によって異なる。
実際,2012年に歴史社会学者のヴェルホフが,ASDの概念は,子どもとその行動に関して暗黙の内に持っているその時代ごとの「規範性を帯びた期待」とともに変遷してきたということを明らかにした6)。さらに,ASD者のコミュニティー7)や,ASD児の日常生活8)を調査した人類学的な研究により,ASD者は社会性やコミュニケーションに障害があるのではなく,多数派の人々が共有しているデザインとは異なる社会性やコミュニケーションを持つ可能性が示唆されている。
社会性やコミュニケーションの成否は,時代や場所とともに変化し得る「社会」のありようとの相関物である。しかし領域特異的なモデルは,コミュニケーションや社会性の障害を,社会文化的な文脈を超えて永続する「個体」側の特徴としてとらえている。そのような考え方は,「社会」側の排除傾向を,個人の性質によって正当化する可能性を孕んでいる。
個人の中の「障害」,社会との間で生じる「障害」
障害学における社会モデルでは,障害を「インペアメント(impairment):個体側の特徴」と,「ディスアビリティ(disability):多数派の個体的特徴に合わせてデザインされた,制度・道具・規範などの人為的環境とインペアメントとの間に生じる齟齬」に区別する。その上で,個体側が過剰なコストを払ってインペアメントを除去するのではなく,ディスアビリティが生じないように,社会の側がさまざまなインペアメントを包摂し得るデザインを実装すべきだと主張する。
上記の区別に基づくと,冒頭で述べたASDの定義は,インペアメントレベルではなく,ディスアビリティレベルの記述概念であると考えられる。にもかかわらず,それがインペアメント(個体側の特徴)を記述する診断基準として採用されているのだ。
個人の中では何が起きているのか
以上のような問題意識から,私たちの研究グループでは,①社会性やコミュニケーション以前に存在する,感覚や知覚,思考や記憶,行動制御といった領域一般的なレベルでASDのインペアメントをとらえた上で,②どのような人為的環境の下でコミュニケーションや社会性の障害というディスアビリティが生じ,どのような環境ではそれが軽減するのか,という2段階で考える社会モデル的な研究パラダイムを設定した。
特に,感覚や知覚,思考や記憶といったレベルは,当事者の自己報告から重要な仮説が数多く得られる。したがって,障害を持った本人が研究者として参加することが必要不可欠と考え,医学・心理学・脳科学といった人間科学と,ロボット学・情報学といった構成論,当事者研究,という3分野の協働体制で研究を進めている。以下では,その研究の一端として,ASDの視覚体験シミュレーター開発を紹介する。
視覚刺激-視覚体験の非定型性を体験できるシミュレーターの開発
長井志江特任准教授(阪大)のグループとの共同の下,私たちはまず,ASD者の視覚的経験を知るために,見え方に関して当事者研究を行った。そこでの報告から,ある程度の普遍性が認められた特徴を選び,ヘッドマウントディスプレイを使ったASD視覚体験シミュレーターを開発した。しかし,どのような視聴覚刺激が網膜に入力したときに,どのような視覚経験が生じるか,という対応関係が明らかにならなければ,実世界に埋め込まれたシミュレーターにはならない。そこで,複数のASD者に協力してもらい,新たに開発したソフトウェアを用いて視覚経験を再現してもらうという実験を行った。その結果,平均的なASD者の<視聴覚刺激-視覚経験>対応関係を反映したシミュレーターができた9,10)。
このシステムには,課題も残る。「視覚特徴の選び方や再現の仕方は妥当か」「個人差の問題をどう扱うか」「調子がいいときの見え方が定型発達者の見え方に近似できるか」「内観によって調子の悪いときの見え方を想起できるか」などだ。今後は,「定型発達者がこのシミュレーターを装着したときに,ASD者と類似した行動の一部が発現するか」といった実験によって...
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