医学界新聞

寄稿

2015.07.20



【寄稿】

“世界標準”の研究倫理教育を研究者に

市川 家國(信州大学特任教授・倫理学・小児科学・内科学/CITI Japanプロジェクト副事業統括)


 近年,日本での研究上の不正問題が明るみに出るようになった。言うまでもなく,研究の不正がもたらす損害は大きい。不正によって確立してしまった研究結果が覆るまでにも,多額の研究資金,何人もの研究者の時間が費やされてしまうのだ。こうした不正行為の取り締まりのために,米国ではいち早く監視機関を設置している。ただ,“取り締まり”による効果も限定的だ。より強固な土台を作るためには,全ての研究者が倫理的認識を共有し,一人ひとりが科学を支える一員として,互いの研究行為を評価・批判する責任感を持つ必要がある。

 文科省は2014年8月,「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」1)を発表した。その中で,大学の各研究機関の部局ごとに「研究倫理教育責任者」を設置し,組織を挙げた定期的な研究倫理教育を義務付けている。研究者も倫理教育を受けるべきという機運が生まれている今こそ,こうした仕組みを構築する大事なタイミングであろう。ただ,これまでの日本では,研究者の行動規範に関する教育カリキュラムや,研究者の育成過程で体系的に学ぶ機会を組織的に設ける研究機関・施設は限られていた。全ての組織で一定のレベルに達した教育をすぐに開始するというのは,おそらく容易でない。

 2012年より,文科省大学間連携共同教育推進事業「研究者育成の為の行動規範教育の標準化と教育システムの全国展開」(CITI Japanプロジェクト)が進んでおり2),同事業では米国の倫理教育で広く使用されているe-ラーニング教材「CITI Program」を日本版にアレンジした教材の導入が掲げられてきた。本稿では,「CITI Program」を紹介するとともに,今,なぜ同プログラムが有用であるかについて述べたい。

上質・効率的な倫理学習ツールとしてのCITI Program

 米国国立衛生研究所・米国国立科学財団は,大学院生や若手研究者に対しては研究者の行動規範教育を,さらに臨床研究(人を対象とした研究)を行う者には被験者(実験参加者)保護教育を義務付けている。こうした事実からも,米国では研究者の倫理教育の重要性が認知されていることが垣間見えよう。

 上質で効率的な倫理学習の機会をいかに臨床研究者に提供するかは,長らく米国においても課題である。この課題に挑むべく,2000年4月,ボストン小児病院といった施設を含む10の大学病院などから集まったボランティアにより結成されたのが,Collaborative Institutional Training Initiative (CITI)であった。このCITIが手掛けたのが,行動規範教育のカリキュラム構築,そしてe-ラーニング教材の作成と配信だ。ネットを通じて学習するシステムを用いて,研究者に必要な倫理教育を開始したのである。CITIの教材は,「各施設に専門家の講師を設ける必要がなく,質が一定に保てる」「時間や場所を選ばない」といった簡便さが歓迎され,世に広く受け入れられることとなった。今や利用者数は世界で700万人を超え,米国内では政府機関・大学病院を含む大多数の施設で採用されるに至っている。

 現在,日本に合う形でCITI教材を構築・普及させようと動いているのが,先述の「CITI Japanプロジェクト」で,私も携わっている。かつて米国で「CITI Program」の教材づくりのプロジェクトにかかわっていた経験を持ち,私自身,CITIの教材で倫理教育を受けて感銘を受けた研究者の一人であるという背景が,その理由にあたる。

 過去の話だ。私が非常勤の研究者として所属していたヴァンダービルト大は,全米でも最初に教育学部を発足させた施設であった。教育に注力してきた歴史的経緯もあるのか,同大ではいち早くCITIの教材を導入し,私も早々に学習させられることになった。“させられる”としたのは,当時,「ただでさえ時間に追われている研究者から,なぜさらに貴重な時間を奪うようなことをするのか」という不満もあったからだ。が,実際に教材を30分ほどで学習した後,クイズ形式の設問を解くという過程をたどると,少し賢くなっている自分に気付いた。その内容は,研究者の身につけておくべき知識,倫理観だったのである。当初の不満は,「こうした教育は全ての研究者が受けるべきだ」という確信に塗り替えられていた。見事,感服させられた私は教材の作者にお礼を述べたいと思い,電話を手に取った。その電話口で作者に根掘り葉掘り話を聞いたことがCITIの教材づくりにリクルートされるきっかけとなったようで,現在の活動にまでつながっているというわけだ。

国を越えた活動が必要だからこそ,世界標準の教材を

 さて,話を戻そう。なぜ倫理教育を通し,研究者が行動規範を身につけるべきかは冒頭で述べたとおりだ。では,なぜCITI教材が薦められるか,である。それは研究者の行動規範もまた,世界標準を満たす必要があるからだと言えよう。研究者は国境を越えた活動が必要になる。いち研究者の行動規範は,共同研究や就職,留学といった場面で求められるだろうし,または自身の研究成果を論文にまとめ,世に問うときにだって求められる。一流の生命科学系の学術誌に投稿する場合,各共著者の利益相反や論文作成における役割を記載する。臨床研究となれば倫理審査委員会での承認の有無を問われ,動物実験の場合にはどのような倫理規範に準拠したかも尋ねられる。こうした世界で一般的となっている行動規範を学んでおく必要が研究者にはあり,その点では世界で広く使われているCITIが有用であると考えられるのである。

 中には,「必ずしも米国で使われている教材が,日本にも適切であるとは限らない」という声もあるだろう。その指摘は正しい。確かにCITI教材は,個人情報の取り扱いをはじめ,米国特有の事情に沿った内容が充実している。したがって,CITI導入に際しては,世界標準のレベルを保ちながらも,教材内の個々の項目・内容は,国の文化・状況を踏まえて濃淡をつけ直す必要がある。つまり,CITIの骨組みに日本の法律や文化,思想に沿った肉付けを行う,「日本化」が求められるのである(実はここにCITIそのものを使う以上の利用価値があって,研究者と倫理の専門家を交えて日本に合う教材を作っていく過程で,日本全体の研究倫理リテラシーの底上げも図られるだろうという期待もあるのだが)。無論,世界標準の質を担保するために,CITI側の査読を設ける必要はあり,事実,CITI Japanも査読を受けた上で教材化している。

「特定不正行為」をはじめ,具体的なケースを交えて解説

 ここでCITI Japanの教材の中身について少し紹介したい。まず,われわれがつくる教材の特徴は下記のとおりだ。

●グローバルな見地に立つ教材
●研究機関の大小や地域性に左右されないアクセスの良さ
●全国的な意見集約の産物
●若手から熟練研究者を対象
●幅広い課題をカバー
●外国人留学生・研究者も対象
●習熟を担保するシステム

 具体的な内容としては,例えば「人を対象とした研究:基礎編」という領域であれば,生命倫理学の歴史と原則,研究における個人にかかわる情報の取り扱いなどの13単元がある,という具合だ。

 また,「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」で「特定不正行為」と定義された,捏造・改ざん・他者の研究成果等の盗用(Fabrication,Falsification,Plagiarism;FFP)であれば,具体例や発生する背景,規制などについて解説している。もちろん,昨今の論文不正問題によって着目されるようになったテーマだけではない。科学の進歩に反する行為はFFP以外にもあり,それが「不適切な行為」(Questionable Research Practice;QRP)と言われるものだろう。極めて手ぬるい査読のみの商業誌に発表した自身のデータを根拠に,製薬企業の広告塔の役割を果たすこと。自分の学説に不利なデータを破棄することや,他の研究者が再現実験をする上で必要な情報や材料を提供しないこと――。以上のように,ケースが多岐にわたる「不適切な行為」というテーマも取り扱っている。なお,いずれも1単元につき30分前後で学習し,設問に答え,一定の正解率に達することで「修了」となる。ウェブサイト上に教材の一覧や2),過去にアップしたCITIの教材もあるので参考にされたい3)

 研究倫理学習の義務化を受け,現在,日本の教育・研究機関でのCITIの利用者は増えており,また,同関係者からも注目されるようになったことを感じている。小規模分散型であり,また倫理教育を担える教育者のリソースが少ない日本の教育・研究機関では,e-ラーニングという教育手段が適しているということなのかもしれない。

 研究倫理教育で扱うべき内容は広範にわたるものであり,科学が進歩する限りは新たな倫理問題も生じ得る。研究倫理教育に求められる内容は質を担保しつつも,アップデートし続けていかねばならないのだ。こうした中で,いかに上質で効率のよい倫理学習の機会を研究者たちに提供するかは,常に検討されるべきことだろう。米国の発達した倫理教育方法の技術を利用しながらも,日本に合った教育内容を検討し,提供していきたいと考えている。

参考文献・URL
1)文科省.「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」の決定について.2014.
2)CITI Japanプロジェクトウェブサイト.
3)CITI Japanプログラムウェブサイト.


いちかわ・いえくに氏
1972年慶大医学部卒。北里大病院小児科を経て,75年に渡米。カリフォルニア大内科学研究員,ハーバード大小児科学准教授,ヴァンダービルト大小児科学・内科学・生命倫理学教授などを経て,98年に東海大小児科学・生命倫理学教授。2012年より現職。