医学界新聞

寄稿

2015.06.01



【寄稿】

ストレスチェック制度義務化でどう変わる?
メンタルヘルス対策への精神科医のかかわり

渡辺 洋一郎(渡辺クリニック院長/日本精神科産業医協会共同代表理事)


 企業の長期休職者の約7割がメンタルヘルス不調者であること,職場で強いストレスを感じている労働者も6割に及ぶと報告されていること ,さらに,精神疾患の労災認定の請求・認定件数が増加の一途をたどっていること1)などから,職場におけるメンタルヘルス対策の重要性はかねて指摘されていました。こうした状況もあり,労働安全衛生法が改正され,2015年12月からは従業員数が50人を超える全ての事業所において,ストレスチェックと面接指導の実施等が義務化されることになりました。

 ストレスチェックは年に一度,常時雇用する全労働者に対して質問紙あるいはICT(情報通信技術)を用いて定期的に実施されます。調査票には「職業性ストレス簡易調査票」(57項目)が推奨されており,検査は医師や保健師,厚労大臣が定める一定の研修を修了した看護師・精神保健福祉士が実施します。12月の施行に向け,具体的な運用方法に関する省令や指針2)が厚労省から発表されつつありますが,制度の目的はまだあまり知られていないように思います。

 ストレスチェック制度は,メンタルヘルス不調リスクの高い労働者を早期発見し,医師による面接指導につなげることで,メンタルヘルス不調の未然防止をめざす国を挙げた取り組みです()。定期的に労働者のストレス状況を検査して,その結果を本人に通知し,自らのストレス状況への気付きを促します。また,検査結果を集団的に分析することで,職場におけるストレス要因の評価,職場環境の改善を行い,リスク要因そのものを低減させる狙いもあります。本制度が機能すれば,企業の業績向上にもつながるでしょう。こうした取り組みは非常に意義のあるものですが,現状への適応を考えると,本制度を有効に活用するためには相当な課題と困難も予想されます。

 ストレスチェック制度の概要(参考文献3より一部改変)

企業からの依頼をどう扱うか

 制度の実施に際し,精神科医に求められる新たなかかわりは,大きく分けて二つ考えられます。一つは,事業所(産業医や面接指導を実施した医師)から依頼を受け,精神科医療機関として労働者のさらなる診療を行う立場,もう一つは,事業所の産業医としてストレスチェックや面接指導にかかわる立場です。

 前者の精神科医療機関としてかかわる場合,(1)契約相手は労働者か事業所か,(2)労働者の受診目的と事業所の依頼目的は同じか,(3)守秘義務は解除されるか,(4)労働者と事業所側でトラブルが生じた際に責任を問われるのか,といった疑問が生じるかもしれません。

 事業所の依頼で行う場合,本診療の依頼主は事業所となり,診療にかかわる費用は保険診療ではなく事業所に請求することになります。また,検査結果を事業所に提供する場合には,必ず当該労働者の同意を得た上で,事業所の依頼事項に沿った報告を行う必要があります。自ら精神科医療機関を受診する患者とは受診動機も異なりますから,診療の枠組みや治療関係の作り方など,診療の構造自体に十分配慮した対応が求められるでしょう。

労働者・事業者にとって納得のいく職場環境作りを

 次に,産業医という立場でのかかわりです。現在,精神科担当の産業医を置いている事業所はまれですが,メンタルヘルス不調者の増加に伴い,その需要は今後増加することが予想されます。精神科医が産業医として本制度にかかわる場合,ストレスチェック・面接指導を実施する医師となるだけでなく,非精神科の産業医がストレスチェックの実施,面接指導をする際の相談役や面接後の専門医面接までを担当することが想定されます。いずれの場合においても課題となるのは,本人にとっても事業所にとっても,納得のいく職場環境を作っていくための助言ができるのかという点です。

 本来,個人のメンタルヘルスには状況因子のみならず,内因や性格因子なども関与するため,本人の訴えだけでは職場の環境を把握しきれない面も少なくありません。さらには,面接の実施が1回のみになる可能性も高いといえます。産業医には,そうした限られた条件の中で,労働者一人ひとりが職場でうまく適応していくための支援を行う見識とスキルが求められます。

 また,人事,管理職,産業保健スタッフなどあらゆる立場の人に適切な情報の提供,企業の職場環境の改善に必要な助言と支援を行い,結果として企業の業績向上につなげる役割を果たすことも要求されますから,面接指導医にかかる期待と責任は非常に大きなものです。このような役割は精神医学の見識が大きくかかわる部分ですから,精神科医が産業医として期待される役割は今後ますます増加することでしょう。

「一人ひとりを生かす」視点で企業の健全な発展に寄与する

 これまで述べた点を踏まえると,ストレスチェック制度の導入をきっかけとして,精神科医には単なる治療者ではない役割が求められることになります。しかしながら,精神科医はこれまで産業分野にはあまり関与しておらず,経験が十分とは言いがたいのが現状です。したがって,精神科医にも今後研究と研鑽が欠かせません。

 従来,主治医と企業関係者との間で摩擦が生じるケースも多く,「医療原理」と「企業原理」は相反するように思われがちでした。しかしながら,職場環境が整い,労働者が自身の適性に合った業務に就くことは,労働者の心身の健康につながるだけでなく,持てるパフォーマンスを十分に発揮することにもつながり,企業の業績向上にも寄与します。結局は,「一人ひとりを生かす」という考え方が最も重要な理念になります。こうした観点を持って,精神科医療機関,あるいは産業医として精神科医がストレスチェック制度にかかわっていくことが求められるのではないでしょうか。

 職域で考えると,やはり労働者がメンタルヘルス不調に陥らないようにする「一次予防」としての機能が何よりも重要になります。つまり,労働者がより精神的に健康な状態で就労できるよう支援することが精神科医の役割です。多様性と個性を尊重する職場風土作りを促し,良好な人間関係の下,円滑なコミュニケーションが可能な職場環境が整えば,労働者の労働意欲を生み出す土壌となります。精神科医は従来の疾病論的視点を超えて,労働者のより良い適応を促し,人間関係を中心とした職場環境の改善を図る役割を果たし,労働者個人の健康と,ひいては企業の健全な発展に寄与できる存在になるべきだと考えています。

参考文献
1)厚労省.脳・心臓疾患と精神障害の労災補償状況 別添資料2.2014.
http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11402000-Roudoukijunkyokuroudouhoshoubu-Hoshouka/seishin_2.pdf
2)厚労省.労働安全衛生法に基づくストレスチェック制度実施マニュアル.2015.
http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/anzeneisei12/pdf/150507-1.pdf
3)厚労省.改正労働安全衛生法に基づくストレスチェック制度の概要.2015.
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11201000-Roudoukijunkyoku-Soumuka/0000050909.pdf


わたなべ・よういちろう氏
1978年川崎医大卒。同大講師,神戸アドベンチスト病院心療内科勤務を経て,88年渡辺クリニック開設。97年より阪大医学部神経精神科非常勤講師兼任。現在は,日本精神神経科診療所協会会長,日本精神科産業医協会共同代表理事,また厚労省におけるストレスチェック制度各種専門検討会委員などを務める。

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