Sweet Memories(萱間真美,秋山智弥,宇野さつき,村上明美,濱本実也,熊谷雅美)
寄稿
2015.05.25
【寄稿特集】Sweet Memories頂上は一つ,道は無数。自分の道を一歩ずつ歩もう |
先輩ナースに怒られたり,手技がうまくいかずに落ち込んだり。新人ナースの皆さんは,不安と緊張の連続ではないでしょうか。でもそんな日々も,いつかは思い出に変わるはず。先輩ナースから,新人ナースにささげる,好評の応援歌シリーズです。
こんなことを聞いてみました
(1)新人ナース時代の「今だから笑って話せるトホホ体験・失敗談」 (2)忘れえぬ出会い (3)あの頃にタイムスリップ! 思い出の曲とその理由 (4)新人ナースへのメッセージ |
萱間 真美 村上 明美 | 秋山 智弥 濱本 実也 | 宇野 さつき 熊谷 雅美 |
3か月以上一つの仕事を続けられないと社会不適応!?
萱間 真美(聖路加国際大学 看護学研究科長/教授・精神看護学)
(1)(2)精神科病院に就職し配属されたのは,男子急性期閉鎖病棟でした。夜勤の独り立ちは1か月後の5月早々で,夜間の看護師は新人でも病棟に一人だけで,あとは看護補助者のみという体制。毎晩のように夜間救急入院が複数回あり,状態の悪い患者さんが多い病棟で,変則2交代17時間の夜勤をするたびに風邪をひいていました。
夜勤独り立ち後,1か月余りで「もう無理」と真剣に思いました。患者さんのアセスメントを勉強していて,社会不適応の基準に「3か月以上一つの仕事を続けられないこと」と書いてあるのを見てショックを受けました。「3か月という基準は厳しすぎる。1か月でも続けば相当頑張ったのではないか」と憤慨したのを覚えています。
その後間もない夜勤明けの朝,申し送りが下手だと先輩看護師から言われたので練習をしていたら,何度目かの入院をしたばかりの患者さんが突然,ナースステーションに入ってきました。机の上にあった30 cm物差しを手にして,「出ていけ!」と震えながら私に迫ってきたのです。患者さん自身がおびえていたので,身の危険は感じませんでしたが,私は記録物を持って「じゃあ,私こっちで見てますからね~」と言いながらステーションを出ました。あと3分くらいで超ベテラン看護師の先輩が出勤する時刻だったからです。ナースステーションの窓口にあるカウンターの上に記録物を広げ,外から患者さんに「大丈夫ですか」「危ないものは触らないでくださいね~」と話し掛けていると間もなく,ナースステーションに先輩が入ってきました。両者を見てすぐに状況を理解した先輩は,どっかりと患者さんの横に座って「そんなことしてちゃダメでしょう」と話を始めました。患者さんはすぐに落ち着き,物差しを置いて,自分で部屋に帰っていきました。
ナースステーションを乗っ取られるなんて大インシデントですが,先輩は淡々としていて,怒られることもありませんでした。正面から立ち向かうだけでは大きなトラブルにつながることもあり,痛い目に遭ったこともありましたので,私なりに考えたことを認めてくれたのだと思います。患者さんは,「何もかもうまくいかないけど,ステーションから新人を追い出すことには成功した」と,気が済んだかもしれません。新人のときにしかできないやり方だったと思いますが,先輩への全幅の信頼と,それに応えるナイスアシストがなければ,成り立たない場面でした。
(3)夜勤のとき,「こつぶっこ」(亀田製菓)というおかきと,ピーチ味の「ネクター」をおやつに持っていくと,その日は大きな出来事が起こらないというのがジンクスで,毎回それらを準備しました。そして,出勤する直前に,松田聖子『瑠璃色の地球』と中森明菜『SAND BEIGE――砂漠へ』を大音量で聴くのが儀式でした。「大丈夫だ」と自分を励まし,悲壮な覚悟をもって出掛けていたのだと思います。ちなみに大学受験のときは同じく松田聖子『チェリーブラッサム』を聴いて出掛け,大学生のときは同『渚のバルコニー』や松任谷由美『航海日誌』などが好きでした。
(4)なぜその行動をとったのかを,説明しないうちに,諦めないでください。意外とわかってもらえます。
『東大混浴事件』の犯人は私でした
秋山 智弥(京都大学医学部 附属病院 病院長補佐/看護部長)
(1)1992年の春,整形外科病棟初の男性看護師として東大病院に就職した私は,女性の排泄や清潔の援助を常に同僚に頼まなければなりませんでした。
その日は介助が必要な高齢女性のWさんと,介助の要らない高齢男性のMさんを受け持ち,ともに入浴を計画していました。Wさんのシャワー浴はベテランのN先輩に依頼。N先輩は必要なところだけ手際よく介助すると,Wさんを一人浴室に残し,ご自身で洗い終わるまでの間,浴室前の詰め所で記録をされていました。てっきりWさんの入浴が終わったものと思い込んだ私は,ろくに確かめもせずMさんを浴室へ。ほどなく浴室からWさんの悲鳴。驚いたN先輩が駆け込むと,浴室の端で蛇口に手をかけ椅子に座ろうと中腰になったMさんの姿が!「Mさん,お願い! 振り向かずにそのままじっとしててっ!」。その場で凍りつくMさんの背後をすり抜け,Wさんの救出に成功したN先輩。身支度を整え浴室に戻ったN先輩が見たものは,蛇口に手をかけ中腰のままじっとしていたMさんの後ろ姿でした。何度もMさんに謝罪するN先輩。『東大混浴事件』の犯人は私でした。Wさん,Mさん,N先輩,心からごめんなさい。
(2)大事なことは全部,患者さんが教えてくれました。中でも特別な思い出は学生のときに受け持ったFさんとの出来事です。肺がん末期で食事も拒否され,ご自分から“あの世に片足を突っ込んで”いらっしゃいました。しかしそのような中,話すこと,食べること,煙草を一服しに散歩に行くこと,何よりそうした私の看護に応じてくれることに最期の生きがいを見いだしてくださるようになりました。この関係は実習が終わってからも続き,毎週金曜日には面会に行き,Fさんと一緒に一服しに出掛けるのが習慣になっていました。
ある日,面会に行くとFさんの鼻には酸素のカニューラが。「来週にはこれも取れてるからまた来週来てくれ」とFさんに言われ,その日は帰りました。そして迎えた翌週。Fさんの面会に行く予定だったのですが,別の用事が入ってしまい,「まだ酸素もしているかもしれないし……」と,さらに一週先延ばすことに。最後にお会いしてから都合2週間後に出向くと,病室にはもうFさんの名前はありませんでした。カルテを読ませてもらうと,2週間前,最後に会った日の夕方にFさんの意識はなくなり,「もって日曜日(あと2日)」という状況だったそうです。ところが,月曜,火曜,水曜と低空飛行が続き,約束していた金曜日までは持ちこたえ,その夜にひっそりと息をひきとられていました。私が約束を守っていればお看取りすることもできたのに……。そう思うと涙が止まりませんでした。私たち看護師にとって患者さんは「大勢の患者さんのうちの一人」にすぎないかもしれません。しかし,患者さんにとって私たち看護師は,「かけがえのない一人」なのかもしれません。Fさんにとって私との約束がどれほど大切なものだったかを思い知らされた気がしました。涙がおさまり,私は自分の身を臨床にささげようと固く決意していました。
(4)富士山の裾野はひたすら長く平坦な道のりです。それでもしばらくして振り返ると意外と登ってきたことに気付くものです。頂上に近づくほど勾配も厳しくなりますが,一度に登る高さも高くなります。歩みを止めないからこそ到達できる世界です。頂上は一つ,道は無数。自分の道を一歩ずつ歩んでいってください。
「あなたほど始末書を書いている新人は他にいないわよ」
宇野 さつき(新国内科医院 看護師長 がん看護専門看護師)
(1)まだ大卒看護師が少ない数十年前,大卒は「現場で使えない」という代名詞を背負い,それでも「頑張ってみなさい」と看護部長さんにエールをいただき,小児専門病院の新生児・未熟児病棟に新人看護師として配属されました。看護師をめざしたのは,終末期ケアやがん看護に関心があったからなのですが,子どものことも大好きで,迷った挙句に「小児から成人にだったら移行しやすいだろう」という何とも安易な発想で就職先を決めました。病棟では,難しい病態や未熟児へのケア,保育器や呼吸器などの機器類の扱い方についてなど学ぶことが多く,ついていくのに必死でした。
ある日,救急車で1000 gにも満たない未熟児が運ばれてきました。私は先輩看護師と共に対応することになったのですが,不安と自信のなさでとても緊張していました。緊急でさまざまな処置を行う中で,医師から「注射器出して!」と指示されました。当時はまだ,使い捨てのディスポーザブルタイプではなく,ガラスの注射器を使っていたのですが,カートにはごく少量の投薬を行うための0.25 mLの注射器がありました。私は急いでそこにあった注射器を取ったのですが,その瞬間,手の中でパキッという音が……。ガラスの注射器を握りつぶしてしまいました。「何してるの! こんなときに!」。医師もマスクをしているので,表情は見えませんが,明らかに激怒している様子がうかがえました。「すみません……」と言いながらも,どうにも動けなくなった私の代わりに先輩がすぐに入って,てきぱきと対応してくださいました。「ああ,すごい……。私はあんなふうにできるようになれるのだろうか……」。すごく落ち込んだのを覚えています。実は私は根っからのおっちょこちょい,慌てん坊で,「看護師には向いてない」と誰からも反対されていたほどだったのです。
以後も私はこの注射器を何本も割ってしまい,始末書を1年間で何度も書きました。「あなたほど始末書を書いている新人看護師は他にいないわよ」と師長にあきれ顔で言われました。
(2)新生児・未熟児病棟で出会ったのは,生まれたばかりなのにすでに予後が限られている赤ちゃん,大きな手術を受けなければならない赤ちゃん,複雑な障害を抱えている赤ちゃんばかり。生まれるって何だろう,健康って何だろう,この子たちの命を守ること,これからの人生につなげていくことについて,看護には何ができるのだろう? と考えさせられました。ダメダメ看護師で落ち込んでいるときは,赤ちゃんの笑顔や,気持ちよさそうに眠る様子に癒やされ,頑張れていたように思います。
(3)私の元気を支えてくれているのは,今も昔もサザンオールスターズです。桑田佳祐さんの歌声と明るさに,日々エネルギーをもらっています。
(4)看護師は患者さん・家族の心強い応援団です。知識や技術を磨きつつ,常に真摯に患者さんと向き合い,仲間と協力して取り組んでいく姿勢が大切です。また笑顔と心のゆとりは良いケアを行うために必須です。自分自身のコンディション...
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